ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2009/5/22 DVD『殺人の追憶』を観る。

7時半起床、ゴミ捨てに出るとアスファルトが濡れている。
目覚ましラジオ、NHKのニュース解説で「マスク不足」を専門家が話している。
例年なら一番需要が少ない時期だから生産が追いつかないらしい。
そして最後に、マスクは予防手段としてはそれほど有効ではありません、と言う。
感染者の咳やくしゃみでの飛沫拡散は完璧でないまでも効果はあると捕捉。
だから、マスク不足でマスクがなくても不安になる必要はありませんと締める。
マスク問題、僕はかなりしつこいですよ。


以前のようには新聞を信用しなくなっている。
何かが起こるたびに思うのは、メディアを盲目的に信じるな、だ。
大新聞を疑え、テレビの煽動を受け流せ、だ。


飲みながら報道のA部さんと話したことがある。
僕らが最前線で取材してた90年代くらいまでは良かったですね、と。
テレビ局のクルーが取材に行くとどこも大歓迎とまではいかないが拒否の空気はなかった。
どこへ行っても受け入れられて、撮影しやすかった。
それにまだ、家庭用のビデオカメラも今のように高画質で安価ではなかった。
今は違う。
WEBの世界、たとえばYou-Tubeを見ればわかる。
プロやプロでない人が撮った高画質で中身の濃い映像作品が世界中で連日アップされている。
高校生が自分で撮影して編集して作品を作ることが出来る。
ごくプライベートなものから質の高いエンターテインメント、シリアスなドキュメント…。
もちろん玉石混淆ではあるが、映像作品の価値も多様化している。
テレビ局のスタッフが無条件で特別扱いされた時代は終わった。
今になって思います。
あの頃はいい時代でしたね。
今はディレクターがデジカメ持って大変ですね。


最近、mixi の日記に風人さん(作家、大学教授)が書いていた。
「新聞はひょっとしたらもう要らないかもしれない…。」と。
ここ数年のインターネットメディアの充実ぶりに驚く。
便利さと同時に、危うさ、胡散臭さを十二分に知った。
そのせいで新聞やテレビの情報を疑ってかかるようになった。
最近にとみにメジャーなメディア不信が加速する。


…レンタルDVDで映画『殺人の追憶』(2003年)を見る。
韓国で1980年代に実際に起こった猟奇殺人事件をベースにした犯罪映画。
事実をベースにしているところは新作の『チェイサー 追撃者』も同じ。
A木が、ぜひ見ろ、と言ったオススメの映画。


映画の冒頭に字幕が出る。
「この映画は1986年から1991年の間、軍事政権のもと民主化運動に揺れる韓国において
             実際に起きた未解決連続殺人事件をもとにしたフィクションです」
ソウルから南に約50キロ離れた農村の半径2キロ以内で起きた10件に及ぶ連続強姦殺人事件。
のべ180万人の警官が動員され、3000人の容疑者が取り調べを受けたという。


なるほどよく出来た映画だった。
韓国の農村の空気、刑事たちの息遣いが間近に感じられる。
絶妙なキャラクター設定、ユーモアを交えた人間関係も濃密に感じられる。
当時の社会的背景からくる息の詰まるような閉塞感、
サスペンス(緊迫感)の網がいくつも張られ、知らずと映画の世界と同化していく。
とにかく濃い。
緊迫感、ユーモア、暗喩、いろんなものが充満していて息苦しいほど。
4.5ブラボーかな、出来れば劇場で見たかった。


WEBでいろいろな人の感想を見る。
この映画に関して言えば、プロも素人も質の高い映画評を書いている。
大場正明氏という評論家のサイト「CRISS CROSS」の評論は秀逸だった。
光州事件から5年後、当時の韓国にはこんな社会背景があったのか。
それを知って見るとまたひと味もふた味も違って見える。
http://c-cross.cside2.com/html/a10sa005.htm
大場氏が引用している「光州事件で読む現代韓国」(真鍋佑子著)を読みたくなる。


「俺は人を見る目だけはあるんだ」と田舎刑事が言う。
ポスターも二人の刑事がこっちを穴の空くほど見つめている。
お前が犯ったんだろ、と。
田舎刑事のソン・ガンホは相変わらずの存在感。
(僕は彼が犯人役だと思い込んでいたが刑事でした。)
ソウルから派遣された若い刑事はキム・サンジュンという役者。
高橋克典と別所哲也をミックスしたような雰囲気。
どこかで見たなあ、と思ったら去年見た『光州5.18』の主役だった。


ポン・ジュノという監督。
この人の映画を見たのは2作目になる。
『グエムル 漢口の怪物』の監督でもある。
あれはただの怪物パニック映画ではなかったなあ。
この『殺人の追憶』には映画界の巨匠の影響が至る所に見られる。
雨のシーンが多い。
犯人目線のカットや暗喩としてのトンネル。
あれはクロサワだろうか、というのはあまりに身びいきだろうな。


この手の韓国映画の風景はどこかいつも懐かしい。
1986年〜90年くらいを設定した映画だけど、日本で言えば昭和30年代(60年代)の雰囲気だ。
刑事の狭い家や容疑者のアパート、村の食堂、飲み屋は戦後の臭いがする。
思えば、朝鮮半島の終戦(休戦)は1953年、日本より10年近く後のことだ。


しかも戦争の様相がまるで違った。
同じ民族同士にアメリカ、中国が加わっての死者400万を超す激戦だった。
自分たちの住んでいる町や村が戦場になった。
朝鮮戦争の歴史は岩波新書で昔読んだはずだが、すっかり忘れていた。
調べると驚いたことがある。
大韓民国が成立した時に首都だったソウルは朝鮮戦争の3年間で占領、奪還を繰り返す。
1950年6月に北の電撃作戦で陥落、北に占領される。
その年の9月にアメリカ(国連軍)の仁川上陸作戦、南が奪還。
しかし、中国軍が参戦、翌51年の1月、ソウルは再び陥落、北に再占領。
3月、アメリカ(国連軍)がふたたび奪還し、53年に休戦に持ち込む。
すごいでしょ?
戦後復興も遅れるはずだ。
東京がそうなったことを想像する、わが故郷がそうなったことを想像する。
いや、実際にどんな惨状になるか想像すら出来ない。

 
  


…GAORAでビーチバレー中継を見る。
世界のトップレベルの試合を見るとは面白いし発見がある。
選手も個性的だ。
ブラジルのラリッサとジュリアナ、いつも叱咤するラリッサ、萎縮するジュリアナ。
解説の高橋が、このペアはいつもそうなんですよね、と言う。
ラリッサを見ているとサッカーのドゥンガを思い出す。
とにかく世界トップの試合は凄い。
あの運動量とスピード、ラリーの応酬は見応えがある。
テニスに近いかな。


インドア崩れでは勝てないと思う。
高校生から初めても遅いくらいじゃないかな。
解説者の話を聞いているとドイツには屋内に100面くらいのコートがあるという。
環境が違う。
二人いれば出来る、砂場があれば出来る、というハードルの低さを考えると、
もしかしたらインドアのバレーよりメジャーになるかも、と思う。
日本以外の国ではもうなってるのかもしれない。
アイドルだけをフィーチャーしてスポーツとして認識されていない。
差は開くばかりだろう。
雨とインフルエンザの影響もあったにしろ、あのプレーにあのスタンドでは可哀想だなと思った。
実際に見たいと思う。


…夕方、図書館と買い物。
予約していた本を借り、ミネラル水を買って帰る。
ついでに玉村豊男『玉村豊男 モバイル日記』を借りた。
その本でブコウスキーが晩年にMacで書いた日記『死をポケットに入れて』を知る。
amazonで調べると河出文庫で出ている。
129円!購入す。

死をポケットに入れて (河出文庫)

死をポケットに入れて (河出文庫)

…夜、DVDで谷口千吉監督『銀嶺の果て』を見る。
感想は後日また。