09/10/21 『挽歌』-ガリ版の時代

秋晴れが続く。
思えば新番組の撮影だけピンポイントで秋雨前線と台風に当たった。
運が悪いとしか思えないが、そういう巡り合わせってあるものだ。
今日はその新番組『月刊すぽるたす』のPRスポット(番組宣伝の15秒CM)の編集。
それにしても僕のような年齢でこの手の仕事をしている人も珍しいと思う。
いつまでやってんだか、と自分に突っ込む。
でも、年相応に中間管理職がやりたいかい?
命が縮む思いをして会社経営がしたいかい?
いいんじゃない。
煩わしいことはないし、嫌いな仕事じゃないし。
贅沢は言えない。


作家の原田康子が亡くなった。
学生時代、寮の先輩の本棚に『挽歌』があった。

挽歌 (新潮文庫)

挽歌 (新潮文庫)

高橋和巳の小説と並んで原田康子の『挽歌』の保有率は高かったように思う。
僕自身が読んだかどうかも忘れてしまった。
あの頃はよくわからない小説も面白くない顔をして読んでいた。
『海霧』の方は読んだような…。
いや、あれは加賀乙彦だったか。
釧路の人、というイメージ。
映画のポスターも記憶にある。
主演は秋吉久美子
(1957年版は久我美子


『挽歌』は元々ガリ版刷り小説だったらしい。
ガリ版で1年で70万部を売ったという。
凄いベストセラーだ。


ガリ版と言えば昔はみんなガリ版だった。
中学生の頃まで学校での配りモノはほとんどがガリ版で刷った藁半紙(わらばんし)だった。
たしか中間テストとか期末テストも手書きガリ版藁半紙だった。
ガリ版カリカリとロウ原紙に文字を彫る。
その原紙を印刷機にかけて藁半紙に刷っていく。
今の30代の人には想像がつかないかもしれない。


ガリ版の次の印刷テクノロジーが「青焼き」だった。
正式には湿式コピーというのだろう。
感光紙みたいな紙と合わせてコピー機に通す。
写真で言うとネガみたいなものが出来るのではなかったか。
大学時代のゼミのレジュメはこの「青焼き」だったような記憶がある。
青焼きは湿式、出来上がったコピーは濡れていて乾かす必要があった。


「青焼き」(湿式)に対して、「白焼き」があった。
これは乾式コピー、僕らはゼロックスと呼んでいた。
“○○ちゃん、これゼロックスしといて”のゼロックス
現在のコピー機だ。
(実際には多くの技術革新はあるのだろうけど)


僕が大学を卒業するまでワードプロセサーの普及は無かった。
卒論は手書き、たぶんコピーは青焼きだった。
仕事をし始めた頃にワープロが普及しだした。
でも、しばらくナレーション原稿や台本も手書きだった。
今や台本に動画だって貼れてアメリカにも一瞬で送ることが出来る。
それがどーした?とも思うが凄いと思う。
ガリ版、青焼き、ゼロックス
手書きワープロDTP
隔世の感あり。


原田康子『挽歌』、釧路に同名の喫茶店があったような。
それとも小説の舞台になった喫茶店だったか。


…JRさくら夙川駅までで歩く。
夙川沿いにおよそ25分のウォーキング。
往復で50分、ジョギングをさぼってる分、せめて歩こう。
大阪駅から編集スタジオまで20分のウォーキング。
往復で40分、歩け歩け。


午後1時から7時、ほぼ一日仕事でPRの編集、録音を仕上げる。
仕事は段取りだ。
番組コピー『あこがれのアスリートに、元気をもらいましょ』
元気をもらいたいのは年老いて沈滞している僕自身なのだ。
でも、今週、いや来週を乗り切れば軌道に乗る、と思う。


阪神ホテル地下の『はがくれ』で一人夕食。
うどんのカレーつけ麺を食べる。
空腹だったので1.5玉にする。
すぐに後悔、多過ぎた。
歩け、歩け。