09/11/4 そうだ釧路行こう!

夕食は鮭炒飯。
自家製いくらを少しトッピングして親子チャーハンにする。
痛風持ちには毒かも。

      

      


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今日も冷え込む朝。
珈琲とイングリッシュマフィンで脳を目覚めさせる。
マフィンは全粒粉のもの、素朴な感じで美味しい。
体重72.40キロ。


12月9日、釧路で梅津和時木管無伴奏Enkaライブがある。
前日は札幌、その2日前が苫小牧、題して『北の国へ。09初冬』という旅公演。
梅津さんは旅人宿『休坂』を定宿にしているらしい。
『休坂』の宿主Mさんは僕のhatenaダイアリー仲間(わずかに先輩です)です。
演奏終わりに宿で飲むのだとか。
これは行かねば…されど最果ての街、釧路は遠い。

  
     



…午後から通勤自転車(ケント号)を引き取りに行く。
あの忌まわしい嘔吐の日、やむなく夙川駅に留め置いた自転車が収容されてしまった。
場所は名神高速下の収容所、自宅から5キロちょっとの距離。
天気もいいのでジョギングで行く。
ケント君は健在でした。
1800円払って無事戻ってきた。
ケント君は今まで2回盗難に遭い、その都度帰ってきた。
これで3回目の一人旅。
ブーメランみたいな自転車だ。


帰宅後、ヒロと芦屋海浜公園プールへ行く。
夏に買った回数券の期限が切れそうなのだ。

   

…図書館で借りた新刊『孤高の戦い人』(後藤正治 著)を読む。
高価な岩波現代文庫(一冊1000円)の人物ノンフィクションシリーズです。
松井秀喜、小川良樹(下北沢成徳のバレー部監督)、上田利治仰木彬らのルポ。
相変わらず端正で静かな筆致。
A部さんに借りて読んだ同じ岩波現代文庫『1960年代の肖像』でも同じ感想を抱いた。
あの本は札幌の喫茶店『北地蔵』で読み終えたのだった。
「ぷよねこ」に書いている。


  後藤氏の文章は品がある。
  決して難解ではない。
  あえて奇をてらった表現はしない。
  淡々と書くことを身上として、しかし熱がしっかりと伝わる
  毎回、最後の締めの一文が秀逸である。  (09/7/26)


    



上田利治、ウエさんは38歳で阪急の監督になった。
青年監督と言われた。
現役選手としては2流以下だったが監督として抜群の実績をあげた。
日本シリーズ3連覇など数字を見るだけで鳥肌が立つほどの戦績だ。
かつての西宮球場、試合前にいつもベンチで鉄アレイで鍛えていた。
僕には、勝負師、というイメージがある。


仰木監督は遅咲きの指導者だった。
20年のコーチ生活を経て、近鉄の監督になったのは53歳の時だった。
就任最初のシーズンにあの10.19があり、翌年に優勝している。
上田と仰木、ほぼ同世代(仰木さんが2歳上)
二人は紛れもない名将だった。
その対比が面白い。
上田vs仰木、かつて阪急と近鉄オリックス近鉄の試合は個人的に興味深かった。
戦績はどうっだったのだろう。
五分五分のような気がするが。


二人に影響を与えたのは三原や西本ら一世代前の名将たち。
関西の群雄割拠を演出したオヤジたち。
あの伝説の『江夏の21球』、9回近鉄のサードベースコーチが仰木さんだった。
名将物語として、西本、上田、仰木の回想ドキュメントを見たい。
そこに脇役として野村克也が加わる。
(もう仰木さんに話を聞くことは出来ないけど)


語り尽くされたように思える素材をぐいぐいと読ませる後藤正治の筆力に感服。
江夏豊を描いた『牙』を読んだ時もそうだったなあ。

  
80年代から90年代、スポーツニュースでパリーグの担当だった。
僕は上さんや仰木さんに試合前に何度かインタビューしたことがある。
当日、広報に今日は監督お願いします、と言えば、練習終わりでセッティングしてくれた。
当時はそれが当たり前だと思っていた。
思えばおおらかな時代、それで良かったのに、と思う。
当然携帯電話なんてなかった。
球団に電話してもなかなか広報につながらなかったし。
今はどうなんだろうか。
テレビのスポーツニュースで監督インタビューのニーズが少なくなってしまった。
一握りのスター選手にだけを扱っておけばいい。


上さんは堂々としていた。
僕らのような若い記者にもぞんざいな言葉遣いはしなかった。
仰木さんはしゃべりながら口元が細かく震えていたのを憶えている。
この人も同じく尊大なところはなく人当たりは良かった。


…今日は口の中が酸っぱい。
めまいがしたり、吐き気がしたり、下腹がしくしくしたり、僕は崩壊過程にある。