10/7/27 ミュンヘンの闘将逝く。

バレーボールの中村祐造氏(68)が逝去。
ミュンヘンの12人がまた一人亡くなった。
アニメ『ミュンヘンへの道』で育った僕らの世代にとって彼ら12人は特別なのだ。
全日本のメンバーをいまだに12人全てそらで言える。
中村祐造は闘将というにふさわしい昭和の面構えと気合いを発していた。
昔はスポーツ選手と言えばああいう角刈りの強面が一典型だったような気がする。
アメリカで腎臓移植までして闘病していたとは知らなかった。
10年以上前になるが中学生のバレー大会のイベントであのミュンヘンのチームを取材した。
この仕事をやってて良かったと思える僥倖の一つだ。
森田、横田、大古、嶋岡、松平監督にインタビューすることが出来た。
もちろん番組では阿久悠作詞の名曲『ミュンヘンへの道』を使わせていただいた。
最年長の南さんにも会うことが出来た。
その取材から半年ほどして南さんが亡くなった。
猫田、南、中村と12人中3人が天に召された。
息子に先立たれたような松平親分はどんな思いだろうか。


1972年、TBSで日曜夜7時半から放送された『ミュンヘンへの道』。
アニメ・ドキュメントという手法が斬新だった。
このオープニングのタイトルベースでスパイクを打つのが背番号3番。
松平一家の主将にして鬼軍曹 中村祐造である。


♪ 憶えておくがいいよ 一途に燃えた日を 
  憶えておくがいいよ 二度とない日を
このサビが中学生だった僕の心をどれだけ震えさせたか。
あの頃は本気でオリンピックへ出るつもりだったものな。
(バレーボールじゃなくて体操ですが)


朝刊に中村祐造の戦績の一覧が載る。
東京五輪が銅、メキシコが銀、ミュンヘンが金!
その他、世界選手権3位、ワールドカップ2位…。
眩しいくらいに輝かしいではないか。
確かに“バレーボールの時代”その全盛期を見るようだ。


ちなみに元全日本監督 柳本晶一は鬼軍曹中村祐造の薫陶を受けた。
薫陶というよりシゴかれまくったと聞く。
新日鐵時代、中村が監督、選手は田中幹安、小田、辻合、そしてセッターが柳本だった。
竹刀の雨あられ、師匠中村祐造と弟子の柳本晶一、実に絵になる組み合わせ。
思えば柳本が監督として脚光を浴びた時、関西弁の物言いが誰かに似てるなあと思った。
師匠だったのか。


You-Tubeで検索していてもう一つ懐かしい動画を見つけた。
ドラマ『ガッツジュン』のオープニングタイトル。
僕はこの主題歌が大好きだった。
ドラマは当時でさえかなりトホホな内容だった。
昭和40年代、甲子園の実際の試合の映像がタイトルバック。
銀傘を支える鉄柱が懐かしい。
昔の甲子園もいいなあ。