10/9/20 祝日がオフになって思うこと

今日は敬老の日で祝日。
最近、ここ数ヶ月だけど、日曜がオフになることが多い。
デスク勤務のシフターに何らかの思惑があるのだろうけど調子が狂う。
賑やかなとこが嫌いで淋しいとこが好きなので日曜は家にいるしかない。
映画も混んでるし、山も人が多いし、スーパー銭湯も芋の子洗いだし。
甲子園へ野球見に行くか、と思ったが巨人戦、座るとこないな。
広島戦だったらいいのにな。
積み残している日記を埋めていこうか。
何としても9月中に積み残しゼロにしたい。
10月攻勢!
何の具体的ビジョンもないまま意気込みだけ先走る。


…デジカメを買って以来、自宅での朝食を撮り続けている。
もともとはレコーディングダイエットみたいなもの。
食べたものを文字にするためのメモだった。
2000年4月からだからもう10年近く撮り貯めている。
外泊もあるけど、年300枚とざっと計算して10年で3000枚になる。

  



今日の食卓での会話。
「オレら夫婦を主人公にしたドラマかドキュメンタリーがあったら(あり得ない仮定)、
 エンドロールの映像はこの朝食の写真にしよう。延々と続く朝食メニュー、感動的やろ?」
「…そうやね」
「ヒロが死んだら朝食の映像を延々と流しながら思い出して泣くわ。(何だそれ?)」
 でも、こっちの方が100パー先に死ぬから、それはないか。」
「死ぬ前に編集しといてね。わたし出来へんから。」
「うん」


…3日連続で同じコースを走る。
朝、ロードバイクで15キロ走るってのは正直楽ちん。
運動になってるのかな、と疑う。
でも、45分から50分くらいは連続運動してるわけだから脂肪燃えてますよね。


今日は曇天。
いつものデジカメ(SONY Ciber Shot)でなく、ほぼ死蔵状態のRicoh R8を出してきて撮る。
手前や奥にいろいろフォーカスを合わせて撮ってみるが納得出来る写真が撮れない。
一眼レフのようにファインダー覗いてマニュアルで撮ってみたいな。
液晶モニターを見て撮るというのは写真撮っているって手応えがないし不格好に思える。


…ルーキーの秋山が巨人戦で投げている。
一目見ておこうと自転車で甲子園まで駆けつける。
今日はYTVの中継、T夢が放送席フロアをしている。
記者証で入れるのだがほぼ満席で座る場所がない。
記者席には誰か見知らぬ人が座ってるし、
取材DのA木は不機嫌そうな顔で別の場所に座っている。
邪魔にならない場所を移動しながら試合観戦。
秋山は6回で降板してしまった。
6回裏の好機に阪神ベンチは秋山に代打金本を出す。
敬遠気味のフォアボール、満塁でマートンがゲッツーとなる。
好機を逃す。
なぜかスタンドから真弓への罵声が飛ぶ。


デイゲーム、3塁側スタンドが西日に浮かび上がる。


…甲子園からGiantでニシキタへ出る。
『Hiro Coffee 西宮北口店』へ行って読書と思ったのですが何と行列が出来ている。
祝日はこんなものなのか。
即、諦めてテイクアウトにする。
ついでにブレンドの豆を200g購入。
カップの珈琲を高木公園のベンチで飲む。



…夜更かした昨日、NHKの『J-MELO』で大西順子のライブ演奏を見る。
やっぱり凄いJUNKO OHNISHI、あいかわらずの豪腕、吹っ切れた弾きっぷり。
鍵盤が砕け散るかと思うほどの男前のフィンガータッチ。
最強のジャズピアニストです。
新譜が出たらしい。
バロック』、前回はダウンロードしたけど今回はCDを買おうかな。

バロック

バロック


去年の今頃、ビルボードで初めてライブを聴いた。
最初の一曲で惚れました。
骨董品ではない旬のジャズを聴けた喜び。
彼女のライブは年に数度なので貴重だ。
新譜が出たからライブあるかな?とWEBページを見ると…あった。


一夜限りのスペシャルライブ!
9月30日、Bunkamura オーチャードホール
見たい…けど。
それまでに阪神が優勝を決めてくれるか絶望になるか、どっちでもいいから決めてくれ!
スポーツも前任者のA部デスクだったら優勝しようが僕をはずしてくれたのにな。
2005年の優勝はボストンで知ったんだもんな。


大西順子の男前ピアノ、こんなんです。
この日記に過去何度も貼り付けてる映像ですが。



ホームページにTwitterのアカウントが書いてあったのでフォローする。
かなり頻繁にツイートしてます。
かなりミーハーです。
かなりぶっ飛んでます。
発言がほとんど男です。


ベーマガ新書『蔦文也と池田高校』読了。
畠山準水野雄仁、江上光治の共著、おそらく聞き書きなのでしょう。
サブタイにあるように“攻めだるま”野球の真実、というのは読んでも全然わかりません。(笑)
その手の蔦野球の研究書でも解明本ではなくて丼さんのお仲間が評しておられたように、
「困りもののおじいちゃんの武勇伝を語る同窓会に参加させてもらってる」感覚になります。
でも、他の人はともかく、僕はすごく面白かった。
普段はこんな人だったんだ、と発見し、あるいは、さもありなん、と頷いたり。


14回出場して優勝3回準優勝2回、甲子園に残した監督の実績には今更ながら驚く。
まさに高校野球に “蔦の時代” “池田高校の時代” を築いた人なのだ。
でも、それとは別に、気のいい好々爺、としての顔を偶然にも僕は知っている。
(1984年暮れから85年正月、2週間ほど先生の欧州旅行に同行、
 バックパッカーだった僕は61歳の老教師に試練の貧乏旅行を強要した)
思えば僕が世間知らずだったというのが蔦先生にとって不幸だったわけだ。
自分のことながらあれは何だったのだろうとニヤリとしてしまう。
この欧州紀行の顚末についてはいずれ詳しく書きたい。


3人の回想記を読んで思う。
あの頃の高校野球って本当に面白かったんだ。
荒木がいて、畠山がいて、水野、江上がいて、桑田、清原が重なって。


  甲子園に行くと蔦さんは、いつも機嫌のいいおジイちゃんという感じだった。
  いつもマスコミやファンに囲まれているため、殴りたくても殴れないし。
  夜はなじみの寿司屋に行って、いい気分で酔っぱらって帰ってくるとオレの部屋に来た。
  「オレは勝ちたいんや。明日も頼んだな。」
  練習のときと違って、甲子園では監督が仏に見えた。    (水野雄仁


僕はこのなじみの寿司屋へ何度か呼び出されご馳走になった。
宿泊している「網引旅館」から歩いてすぐの「浜寿司」さん。
野球の話はほとんどせずにヨーロッパ旅行の思い出話で大笑いした。
「あん時はシオダはんに殺されそうになったぞ、ワハハハ」
先生にとって辛い旅だったろうけど、過ぎてしまえば笑い話。
恰好の気分転換になっていたのだろうと今になって思う。
自己正当化。


  (決勝の相手がPL学園に決まって)
  PLは1年生ピッチャー? 負けるわけがないやろ。
  奇跡のPL? さすがにオレらの前で奇跡はないやろ。
  (準決勝で)高知商に10対9? オレらから何点獲られんねん。
  完全にPLをなめていた。


 (3連覇を狙った1983年夏、決勝でPL学園に敗れて)
  三者凡退。0対7。すべてが終わった。
  ホームベースをはさんで挨拶を交わした後、私はしばし途方に暮れた。
  どこに行けばいいんだっけ。
  甲子園での過去15試合、私たちは常にバックスクリーンに正対する形で整列し、
  池田高校の校歌を口ずさんできた。
  「こっちや、こっちや」
  3塁側のベンチ前で、白川先生が手招きしている。
  あんなところに並ぶのか。             (江上光治)


そうか、水野や江上たちは1982年夏に2年で甲子園に出場してから負けてなかったんだ。
僕が蔦さんに会ったのはその試合から1年半後のことだった。
1984年の暮れ、伊丹空港でのこと。


水野が書いている。


  高野連の人から聞いたことがあるけど、
  高校野球で人気が出るチームの条件は5つあるという。
  田舎で、県立で、名物監督がいて、人数が少なく、野球が強い。
  池田はすべて当てはまっていた。


最近は5つ当てはまる学校がないですよね。