いつごろからだろうか?
他人に影響されることに抵抗がなくなったのは。
友人や仕事仲間が勧める本や音楽や趣味を受け入れるようになったのは。
40歳を過ぎた頃だろうか…。
それまでの自分を思う。
愚かな自尊心を抱きしめて人間としてのバランスを欠いていた。
少しくらい他人に、世界に、流されてもいいじゃないか。
気が向かないことでも何かの縁だからやってみようか、と思い始めた。
これが案外と具合がいいことに気がつく。
最近で言えば『阪急電車』を読んだこと。
誰かに勧められなければ自分では見に行くことのなかった映画、コンサート。
歌舞伎、文楽、ちょっと前になるけど、iPhone、Twitter、
3年前のラグビー、AMラジオ8年前のブログ、落語…。
20代の頃に他人の薦めに素直に従ってやってたらさぞや楽しかっただろう。
そう思うことも少なくない。
僕に関して言えば若い頃の方が頑迷だったと思う。
たとえば登山。
20代の頃、お前に向いてるからと何人もの先輩に勧められた。
白山や剱、立山の縦走に何度か誘われた。
でも、なぜか頑固に従わなかった。
30代半ばになって突如、登山に目覚めた。
学生時代に始めてたら…と思う。
有り余るほどの体力と時間があった。
あこがれの先鋭的なクライミングも出来たはず。
もしかしたら命を落としてたかもしれないがそれはそれ。
今朝、珍しくiPodも聞かず自転車で走っててそんなことを思う。
周りに集まってきた人々に積極的に流されてみる。
敬愛する金子光晴翁に「くらげ」という詩がある。
ゆられ、ゆられ
もまれもまれて
そのうちに、僕は
こんなに透きとほつてきた。
だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。
心なんてきたならしいものは
あるもんかい。いまごろまで。
はらわたもろとも
波がさらつていつた。 (「くらげの唄」金子光晴)
久米明のまねで朗読すると気持ちいいですよ。
いやいや、こんなにからつぽになるまで
ゆられ、ゆられ
もまれ、もまれた苦しさの
疲れの影にすぎないのだ!
! ときっぱり言い切るのが久米明流です。
詳しくは大泉洋先生の動画を参照下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=LflxKCCXYco
…午前中、近所の成川クリニックで採血採尿。
午後からデスク、2連投だが本日は無風、何もなし。
ニュース項目の連絡票をプリントアウトして、いくつかの電話を受けて、終了。
明日は阪神優勝対応の打ち合わせ、可能性はラスト2ゲームまでずれ込む。
29日から上京、歌舞伎の勉強会への参加決定!
クリスタルタワーのLawsonで大西順子コンサート(30日)のチケットもゲット!
楽しみです。