ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2010/11/17 自己衰亡感

今日は仕事の一日。
朝から編集スタジオにこもり、夕方はナレーション録りの立ち合いでした。


本番中にスイングパノラマでこんな写真撮ってます。
第一線でないことの悲しさ、哀れさ、可笑しさ。
10年ほど前、バレーボールの中垣内のニュース企画の編集を手伝った。
引退間近のスーパーエースが新幹線で移動中にポツリとつぶやいた。
「あのジジイやるなあ、って若い奴に言わせたいって気持ちあるんですよね」
いま、その気持ちわかるなあ。


梅田スカイビルの下(ガーデンシネマのあるビル)でXmassツリーの準備が進んでいる。
回転木馬やドイツのワインやビールを売る屋台風の店も並んでいる。
ここ10年くらいだろうか、恒例のイベントだ。
え、もう1年が経ったのか…。
ついこの前、この風景の中を通ったのに、という淋しい感慨が沸く。
光陰矢の如し。
人生はレコード盤のようだと言う。
若い頃の季節の一回り(1年)は長いけれど終わりが近づくに連れて短く感じる。
いや、感じるのではなくレコード盤のように実際に短いのかもしれない。
最近は1年が短すぎて恐い。
気がつけば桜が咲いている。


…釧路の旅人宿「休坂」の増田さんがブログにこんなことを書いている。
http://d.hatena.ne.jp/yasumizaka/20101118


  今はブログをほぼ毎日書いていて、まるで幼少の頃から
  マメな日記少年のようなふりをしているが、実際はほぼ三日坊主だった。
  続いている理由は、やはりこのブログの使い勝手の良さだろう。
  それほど文章力がなくても、写真、動画、商品など文章に代わって表現してくれる。


前に使っていた日記サービスは写真が一枚しか貼れなかった。
僕も増田さんと同じ「はてなダイアリー」を使っている。
次々と進化を続け、写真、画像、音声、リンク、“何でも出来る”ようになった。
>それほど文章力がなくても、写真、動画、商品など文章に代わって表現してくれる。
確かに今のはてな日記になってから文章がいいかげんになったと思う。
それでも何とか毎日続いている。
よしとしよう。


僕は中学生のころから毎日ではないが定期的に日記を書いている。
今、手元に残っているのは高校生の時に書いた日記。
これは恥ずかしくて読み返すのも…おぞましい。
30過ぎてからの日記は落ち着いてきた。
でも、ほとんど読み返すことはない。
海外旅行や自転車旅行、山登りの現場で書き残したリポートを読むのは楽しい。
あのころは絵葉書もたくさん書いたなあ。


現存する僕の最古の日記帳。
高校一年、1972年6月18日に書き始めている。
15歳の日記、石川遼ならプロツアーに優勝した年齢。
かなり幼稚、かなり危険思想、加えて字もヘタ、1ページも読み返すに耐えられない。
普通、自分の日記なら、あのころは…若気の至りで、と感慨深く振り返るのだろうが
この年齢になってもこの日記の書き手を少しもカワイイと思えない。
表紙にマル秘と記している。
裏表紙に書いてある目標。
「県体で優賞すること」が悲しい。
この頃は体操部でオリンピック選手になるのが夢だった。(マジで)
県体とは愛知県大会の意味だろう。
この日記は翌年2月まで書いているが、その9ヶ月で3回負傷している。
平行棒で顎を切り、鉄棒で脳しんとうを起こし、ゆかで左手を骨折した。
西三河大会は勝ったが県大会に出場することはなかった。
優賞とはもちろん優勝のことだ。
かなり偏差値が低い子だ。

  


…ナレ録り終わりでA部さんと「よしむら」へ行く。
数年前は飲んだ日本酒の銘柄とか米の種類とかをちゃんと日記に書いていた。
最近は憶えられないし、憶えなくてもいいかって気になっている。
退化、そう、いろんな能力が日々衰えていくような実感がある。
瓶の蓋が開けられなくなったりする。
ポテトチップスの袋が破れなくなったする。
“自己衰亡感”、“自己老衰感” というのだろうか、造語だが。
壊れていく、滅びていく、朽ちていく。
50を過ぎてから定期的にこの“自己衰亡感”が襲う。
そうして、一段ずつ階段を下りるように終末へ向かっている。


きょうの「よしむら」、一人デカイ声でしゃべる客がいて落ち着いて飲めない。
別に悪い人ではなさそうだし酔ってカランでるわけでもない。
あまりに声がデカ過ぎていちいち神経にさわるのだ。
「しらたまの 歯にしみとおる秋の夜は 酒はしずかに 飲むべかりけり」
特に、美味しい燗酒はしずかに飲みたい。


…帰宅後、アジア大会の柔道のハイライトを見る。
48キロ級の福見が不可解な旗判定で敗れた。
谷という絶対的な長期政権の反動かなと勘ぐってしまう。
でも、スポーツとしての柔道ってどうなんだろうといつも思う。
いつも言ってるけどアメリカ人には理解不能なスポーツだと思う。
有効とか指導とかでメダルが決まる競技って。
僕らだってよくわからないしスッキリしない。
アジア大会というのは多種多彩な競技がある。
この柔道というスポーツが日本産でなかったら…、
テレビ中継で柔道を見ても何が何だかわからない。
畳の上で相手の襟をとりあってバタバタしてるだけの競技に興味を持つことはないと思う。