2011/1/17 1.17

16年前の今日、冬山のトレーニングと称して六甲山中でキャンプしていた僕は、
テントの周りを暴走した馬が何十頭も通りすぎるような凄まじい衝撃でたたき起こされた。
60リットルの縦走登山用の大型ザックを担いで街へ戻った。
新神戸の高台から見た神戸はSF映画のような気味の悪い静けさに包まれていた。
三宮の生田筋はいくつものビルが横倒しになったり崩れ落ちたりしていた。
内戦の国は見たことはなかったがおそらく激戦地はこんな感じだろうとその時思った。


僕はまだ携帯電話を持っていなかった。
山を下りて神戸市役所の臨時電話には多くの人が並んでいた。
瓦礫の街を歩いて甲子園まで帰った。
住んでいた公団住宅、入るとドアの前に冷蔵庫があって部屋に入れなかった。
冷蔵庫が3メートルほど移動していた。
4つの本棚が全て前のめりに倒れていた。
部屋の中が激しくシェイクされたのだな、と思った。
散乱する本の山に埋もれている電話機を掘り当てた。
電話は生きていた。
実家に無事を連絡した。


1.17 16年目の六甲山、頂上付近は雪化粧していた。


震災後、神戸で取材を始めた。
センバツ出場が濃厚な神港学園のナインや家族はどうしているか。
幸いにも選手の家族に犠牲者はいなかった。
でも、部員の家族は避難所生活を余儀なくされていた。
甲子園球場もダメージを受け、球場周辺はまだ瓦礫の山だった。
開催が危ぶまれたセンバツだったが、高野連は復興のシンボルとして開催を英断。
神港学園の出場が決まった。
一度は諦めた甲子園だったので校長室の電話が鳴った時は感激した。
神港学園は甲子園でも劇的な試合をものにしベスト8まで勝ち上がった。
当時のキャプテンが鶴岡一成
その後、彼は横浜に指名され、今も巨人の捕手としてプロで活躍している。
震災から16年、彼も33歳。
エースだった杉本はどうしてるだろうか。


…感傷に浸っている場合じゃない。
珍しく仕事が忙しいのだ。
今日もニュースデスク終わりで編集スタジオで作業、深夜まで続く。
明日は収録本番、トークの展開が全く読めないので不安。
でも、ここまで来たら開き直り。
出来ることはすべて準備した。
明日、収録終わりで眼鏡堂さんと京都で飲む。
それを楽しみに、ちょっとがんばろ。