2011/1/24 つぶやきにうなづく日々

今日はニュースデスクの当番、とりたてて何も仕事が無いが…。
ナレーションを書くための準備と来月の勤務希望を提出するのとで一日が終わる。


出勤した時、玄関にいつもより出待ちの人が多かった。
嵐の二宮くんと松山ケンイチくんが映画の宣伝で「ミヤネ屋」に出演していた。
番組終わりの時間帯にたまたまエレベーターで階下へ降りた。
スタジオのある2階で停まる。
もしかしたら?と期待してしまったが、乗ってきたのは水道橋博士さんだった。
ものすごく小柄な人だ。
ラジオ、Podcastで聞いてますよ、と言おうかなと思ったがやめた。
最近、エレベーターでの遭遇率が高いのは西田ひかるさんです。


途中抜けだしてモスバーガーセルジオと珈琲ブレイク。
雑誌『考える人』の紀行文学特集がいいと薦められる。

考える人 2011年 02月号 [雑誌]

考える人 2011年 02月号 [雑誌]



夜はA藤&A木に誘われて片町の「おくどあん」へ行く。
http://e-nkaiya.com/okudoan/
今日から節制ぢゃなかったのか?
背肝が美味しかったです。


…去年からTSUTAYA DISCUS を利用している。
ネットで予約、ポストへ返却、延滞料なし、というシステムだ。
便利、楽チン、月額980円でDVD4作品が借りられる。
1作品あたり245円。
あまりに楽過ぎて…。
去年の11月から2作品を借りっぱなしで見ないままなのです。
もちろん12月、1月と980円は支払っている。
1作品あたり1470円に跳ね上がっている。
映画館へ見に行くのと変わらない。
レンタルDVDを見る圧力は延滞料なのかも知れない。
こういうのって見るクセがついて勢いがつけばバンバン見るのだが。


…ふむふむと同意したTwitterのつぶやきをいくつか。


ITジャーナリストの佐々木俊尚さんが紹介していた毎日新聞のコラム。
http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20110120ddm003070116000c.html
『肉食と草食』というタイトル、一部抜粋&コピペする。
アリゾナの銃乱射事件の裏にある政治的対立と扇動的なメディアについての見解。
大新聞にしては珍しくバランスのとれたコラム。


  「ラジオや一部のテレビ」が、商売で憎悪をまき散らしているのだという。
  乱射事件担当の保安官の言葉を引用している−−
  「朝から晩まで、ラジオやテレビがひどい言葉を流している」。
  どれほどひどいかというと、右派の放送メディアは、医療保険改革の支持者など
  反対派のことを「殺せ」「ギロチンだ」と叫んでいるのだそうだ。
  しかもそれが人気番組になるというのだから、米国はやはり肉食社会だ。
  (中略)
  では日本のメディア状況はどうだろうか。
  草食系の日本では、政治家を殺せと叫ぶような番組は見かけない。
  だが、銃を使わなくても、草食社会ならではの陰湿ないじめはないだろうか。
  顔にばんそうこうを貼った大臣、漢字を読み違えた総理など、辞職するまで「憎悪報道」が続く。
  餌食になった政治家はいじめと思うだろう。
  今は、民主党小沢一郎元代表が標的だ。
  小沢氏に対する「『政治とカネ』の問題」という、定義の不明確なレッテル貼り報道を、 
  ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は「言葉のファシズム」とまで警告している
  日本国憲法の基本原理は国民主権である。
  国民主権は国民が選んだ国会議員によって担われるのだ。
  議員を安易に「殺せ、殺せ」と言う米国メディアと、
  レッテルを貼る日本の状況はどこか似ているように思う。


作家の佐々木譲のつぶやき。


  この記事を読むと、BBCの番組は必ずしも「原爆被爆者を嘲笑」したわけではないようだ。 
  わたし自身も番組出演者と同じく、原爆投下の翌日には広島から列車が出ていたことに
  驚く。『ストックホルムの密使』で、その日の政府の反応について詳しく書いたが。
  http://blog.goo.ne.jp/mithrandir9/e/5d8249376ac2592288a873dcbf11e412


こういう騒ぎは必ずたきつける人たちがいる。
嬉しそうに騒ぐ人々の中でもっとも扇情的なのがメディアであることが危険。
さらに昨日読んだのは同じ佐々木譲さんの図書館についての連射つぶやき。


  同業白石一文さんが、図書館で書き下ろしと銘打たれた本を借りないでくれ、
  と書いている。印税について数字を出したうえで、「皆さんが図書館を利用すると
  良心的な作家ほど行き詰まる」と。この問題については何度かブログにも書いてきた
  けれど、わたしは図書館を作家の敵とは思わない立場だ。


  なにより、読書家としての自分が図書館で育ったという自覚がある。
  若いとき、貧しいが読書欲は旺盛だったころ、もし世の中に図書館がなかったら、
  その後わたしはこれほど本を「買う」大人になったろうか。
  むしろわたしは、自分の本を公立図書館のすべてが買ってくれたらと願う。


  図書館は本一般の読者を育てるだけではなく、わたしの読者も育ててくれる。
  図書館で単行本を借りたひとがわたしの読者となってくれたら、
  そのひとはやがて購入者ともなってくれるはずである。
  作品を知る、作家を知る、その回路を狭めて、読者が増えることはありえない。


  ある図書館でわたしの本が10人に借り出されたと聞けば、わたしは10冊分の印税が
  ふいになったとは考えない。10人の読者ができたと考える。
  そしてそのうちのただのひとりにも、次は買おうと決意させることができなければ、
  それは作家としてのわたしの負けだ。


  たしか内田樹教授も図書館について書いていたはずと思ったけれど、どの本に収録の
  論考だったろう。わたしは内田教授の図書館論に共感している。
  図書館という制度を、支持する。


白石氏の「図書館で借りないでくれ」という意見はどんな理由があるのか?
彼は図書館を利用したことがないのだろうか。
ちょっと残念だなあ。
内田樹先生がわかりやすく書いている。
http://blog.tatsuru.com/2009/01/07_1103.php


  ネット上で無料で読もうと、買って読もうと、どなたも「私の読者」である。
  本は買ったが、そのまま書架に投じて読まずにいる人は「私の本の購入者」ではあるが、  
  「私の読者」ではない。
  もの書く人間は「購入者」に用があるのか、「読者」に用があるのか。
  
  私は「読者」に用がある。
  
  読者の中には「本を購入しない読者」がいる。
  
  図書館で読む人も、友だちから借りて読む人も、家の書架に家族が並べておいた本を読む人も、
  ネットで公開されたものを読む人も、さまざまである。
  
  どれも「自分では本を購入しない読者」たちである。
  
  だから、彼らの読書は著作権者に何の利益ももたらさない。
  
  けれども、おそらく「本読む人」の全員はこの「本を購入しない読者」から、
  その長い読書人生を開始しているはずである。
  
  私たちは無償のテクストを読むところから始めて、
  やがて有償のテクストを読む読者に育ってゆく。
  
  この変化は不可逆的なものであると私は考えている。
                       (「内田樹の研究室」より)


思いついて今日、図書館へ行こうと思ったが月曜日、お休みでした。
僕の場合、レンタルDVD同様で読まずに返す本が多すぎる。