ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2011/2/11 雪の朝、再び『盟三五大切』

雪の朝、ちょっと嬉しい気分。
でも、湿った雪、降ってはすぐにとける儚い命の雪です。


今日はジョギングは休止。
六甲も雪にかすんで全く見えない。
マンションの非常階段の下、誰かが作ったスノーマンが…。


寝起きに珈琲とイングリッシュマフィン。
ヒロが広島から送られて来た八朔でマーマレードを作った。
マーマレードというより八朔のピールに近い。
甘苦くて好きです。


ちょっと早い昼ごはん(というか遅い朝食)は豪華メニュー。
舌平目のムニエルと水菜たっぷりの湯豆腐とかぼちゃの煮物。


太平洋側を中心に降る雪は年に1度か2度ある。
常春の南紀にも雪が降ったようだ。
駐在カメラマンtakomatsu 君が那智の滝を撮った。
雪の那智、これは珍しい。


午前中はやるべきことをせず、ずっと歌舞伎の感想を書いて過ごす。
キャンプ取材でOB解説者や古参の記者の斉藤佑樹評を聞くと驚くほどの低評価。
(人柄ではなくブルペンの投球を見ての評価です)
そんな話をヒロにしているとガラスセラミック製のミルクパンが床に落ちて砕け散った。
四半世紀ほど使い続けていたピジョン製の愛用品だった。
佑ちゃんの悪口は言うまい。


…京都から来たえりぼうと天満で合流、午後遅くから昼酒。
美大4年生、えりぼうには明るいうちから飲むということにちょっとだけ罪悪感があると言う。
今春から真っ当な社会人になる自覚は十分にある。
叔父さんはきっぱりと言いました。
そんなものは全くありません、と。
ちなみに、父上から「天満なら大丈夫、治安は悪くない」とお墨付きをいただいたそうな。
僕がどこへ連れて行くと思ったのだろう。
ま、いいや。3軒ハシゴするぞ、3軒!


叔父さんが酒友と、あるいは独酌で、普段飲んでる店へ行きましょう。
折悪く祝日、立ち飲みの殿堂『酒の奥田(奥田酒店)』はお休みだった。
http://blog.livedoor.jp/pop_web/archives/51053521.html
あの大阪らしい活気ある激安大バコの立ち飲みを味わって欲しかったのにね。


じゃあ、と向かいの『肴や』へ行く。
http://blog.livedoor.jp/pop_web/archives/50673540.html
ご存知のようにこの店も立ち飲みだけどスツールが空いていたので座ることにする。
ちょっとオシャレなスペインバル風になってしまった。
立ち飲みの真髄を見せちゃると意図した叔父さんとしては本意じゃないけど…。
仁左衛門歌舞伎『盟三五大切』の感想をじっくり聞くには座った方がいいか。
サッポロラガーを飲みながら感想戦が白熱する。
(歌舞伎の話はまたあとで書きます)
ビール中瓶2本と白菜&豚肉煮びたし&煮穴子。


2軒目は(いつもの)『大安』です。
http://blog.livedoor.jp/e96002/archives/51512627.html
ここにスツールはない。
オールスタンディングです。
ここからは日本酒。
いきなりドカンと置かれたコップ酒にえりぼうが驚く。
彼女はこれが立ち飲みデビュー(!)とのこと。
眼鏡堂氏も6年ほど前に僕と行った梅田の『金盃』が立ち飲み初体験だったそうな。


東京の人はあまり立ったまま飲まないのかな。
そういえば僕も東京へ行くと大抵座っている。
最近は東京にも増えたようです。
浜松町の『秋田屋』や『銘酒センター』はもともと立ち飲み形式だ。
酒屋が店内で小売値で飲ませる“角打ち”は九州が本場、西日本のものなのかな。
子供の頃、商店街の端にある酒屋でもオヤジたちが仕事帰りに飲んでいた。
思えば、僕の立ち飲み(角打ち)初体験は九州、宮崎の延岡だった。


天満で“角打ち”らしいと言えば『稲田酒店』
http://blog.livedoor.jp/pop_web/archives/51606999.html
ここに連れて行くのはさすがに気が引ける。
客層があまりに濃すぎるのだ。
この店で堂々とコップ酒があおれる女性はA部夫人の酒豪Nさんくらいだろう。


『大安』では主に恋愛の話。
僕が三重錦、えりぼうが白岳仙、さらに僕だけ麓井の熱燗。
中落ち、中トロにぎり、貝柱の天ぷら、菊菜の煮びたし


3軒目は梅田へ移動して新梅田食道街の『金盃(きんぱい)』
http://ameblo.jp/furansowaa/entry-10162715607.html#main
酒は静かに飲むべかりけり。
騒ぎすぎるとオヤジさんが酒樽をたたいて「お酒は静かに飲みましょう」と注意される店。
ここの主人、頑固そうな面構えが文楽の三味線さんにいてそうな感じ。
ま、ここは立ち飲みの浪花トラディッショナル、老舗の風情です。
えりぼうが隣のおっちゃんに大阪弁で話しかけられていた。
ハートランドビールの生グラス、大根炊き、名物エッグ。


…大阪駅でえりぼうを見送りビルボード大阪へ行く。
大西順子アノトリオ『バロック』リリースツアー@ビルボード大阪。


大西順子は一昨年の夏に同じビルボード大阪、去年の秋に渋谷のオーチャードホールで聴いた。
最初に聴いた時の衝撃を日記に書いている。


  鍵盤が砕け散るかと思うほどの強烈なフィンガータッチ。
  肘でとかでなく指だけで叩くように弾く。ピアノは打楽器だ。
  キックオフ同時にラッシュをかける。
  ホイッスルが鳴った瞬間から勝負をかけているかのような怒濤の攻めピアノ。
  おまえらついてこい。
  リズムセクションの屈強な男が完全に支配されている。 
  村上春樹もニューヨークでライブを聴いて感動を記していた。
  ライブじゃないとわからない凄さがある。  (2009/8/21)


最初の衝撃が強かったせいかオーチャードホールでの印象はイマイチだった。
今回の『バロック』は自分のピアノ以外を聴かせるという方針なのだろうか。
僕は大西順子のピアノが聴きたいのに、今回もベースの井上陽介を意識的に前面に出す。
井上陽介も悪くないけど大阪メインの彼ならいつでも聴けるのになあ。
短い時間に3軒ハシゴで飲んだせいか演奏中に眠ってしまう。
ダメじゃん。
どうやら今回の『バロック』ツアーは僕にはしっくり来ない。
大西順子、次は最前線で怒濤の攻めピアノ聴かせて下さい。


…さて、歌舞伎の話。
殺しがフィーチャーされるブラックな歌舞伎『盟三五大切』は後を引く。
えりぼうの感想を聞く。
僕がぽかーんとして見過ごしていた細部を見ている。
3階席だったのに2階最前列の僕より源五兵衛の心が見えていたのだ。
以下、殺意に関するえりぼうの分析。


殺しの理由は愛ではない。
源五兵衛は殺意を抱くほど小万を愛してはいなかった。
しかし、自分を愛してくれている、と信じていた小万の裏切りは許せなかった。
身請けの百両、三五郎、入れ墨、赤ん坊、それらが次々と導火線を伝い殺意を点火させた。
わたしは源五兵衛に共感する、と。


小万が口にする言葉のひとつひとつに源五兵衛のダークな心が敏感に反応する。
顔色の変化を彼女はちゃんと見ていたのだと思う。
僕が見えなかったもの、あるいは、見ようとしなかったものは何か?
見終えたあとの率直な感想は、昨日の日記に書いた通り。
身勝手で、考えが足りない、場当たり的な愚かなる殺人者。
もちろん、殺しの動機に思いは及ぶ、でも共感とはほど遠いもの。
はて、どうして彼女は共感して、僕は共感出来ないのか?
裏切られたのは男、男の心理から言えば共感してしかるべきではないのか。
ちょっと考えてみる。


ここからは僕の個人的な来し方の話。
そもそも自分は演劇を見るのに向いていないのではないか、と思うことがある。
感情移入が出来ないのだ。
もちろん映画や小説を読んで感動する。
時には泣くこともある。
老人たちのロックドキュメント『ヤング@ハート』は涙が止まらなかった。
逆風に孤立、あるいは老いてもなお、誇り失わず堂々と立つ姿に心動く。 
それは登場人物に感情移入することとは違うような気がする。
(ええカッコすんなっていう批判もあるでしょうがここは見逃して下さい)
俯瞰で見てしまう傾向があるのかな、と思う。
客観、相対、対比を重んじ登場人物と同化出来ない。
心を重ねることが出来ない。
演劇を見るのに向いていない目線なのかもしれない。
友人のセルジオと話していても、時にその傾向を指摘され限界を感じる。
でも、まあこれは性分だと思います。


告白すれば(大げさ?)、『寺子屋』や『すし屋』では泣けなかった。
正確に言えば、場の雰囲気に感じ入るものはある、が泣くまでに至らない。
他のことを考えてしまうのです。
泣くより先に、こんな無茶な社会が悪い、制度がおかしい、と憤ってしまう。 
「せまじきものは宮仕え」だって?
挙げ句の果てに「いろは送り」、韻踏んで嘆くならドロップアウトしろよ、と。
自由気ままに生きてきたせいだろうか辛抱することを知らない。
何とかならんか、と思ってしまう。
もちろん、もう若くないし歳を重ねて挫折も知って世の習いも少しはわかってきた。
現存の仕組みは受け入れざるを得ないものとして認めなければ話にならない。
アウトローにはなれない。
でもなお、心が拒否してしまうんですよね。


感情移入出来ないのはわかった。
で、話を『盟三五大切』に戻しましょう。
源五兵衛に共感出来ない?
彼は殺意を抱くほど小万を愛してはいなかった。
でも、愛してくれていると信じていた女の裏切りが許せなかった。
情はうすいくせに自尊心は高い。
困った。
これって…。
情はうすいくせに自尊心は高い。
実は、僕がそうなんです。
自分に似ているから源五兵衛が嫌いなのかもしれない。
近親憎悪。
同じ顔をしてるからダメな男と切って捨てたのだ。
弱い部分を深く掘り下げないで欲しい。
潜在的なデフェンス本能が働いたのだ。
鶴屋南北とえりぼうに弱みをあぶり出された…!


叔父さんの性根を長々と書いてしまいました。
ご容赦をください。


『盟三五大切』
もういちど見たいと思う。
今回は物語ばかり見てしまい役者を楽しむことが出来なかった。
ばあばあのようにため息をついて仁左衛門を見られなかった。
南座の『義経千本桜』は筋書きに話が及ぶことはなかった。
海老蔵とという千両役者を手放しで楽しめた。
今回は頭でっかちな見方だった。
でもこういうのもあり。


悪が匂い立つダークな歌舞伎。
オススメは仁左衛門の殺気を感じる花道真ん中あたり。
振り返ればそこに源五兵衛が立っている、背筋がゾクゾクとする感覚が味わえる。
さて、3月の国立劇場仁左衛門×鶴屋南北