2011/3/31 弥生のつごもり

弥生の晦(つごもり)、2011年の3月が終わる。
ソメイヨシノも咲き始めた。
いろんな思いが頭をめぐる。
深呼吸をひとつ。


…今日もニュースデスク、センバツの準々決勝と楽天西武の練習試合。
“公立の星” 加古川北が日大三高にボコられている。
U野デスクと同じマンションに住んでる人の甥っ子が加古川北のベンチ入りメンバー。
大量リードされたあとだったが代打で起用される。
タシロくん、タシロくん、とU野さんは大騒ぎ。
三振!
うまくはいかないものです。
(申し訳ないけどちょっと笑ってしまった)


編集担当は久々にF島くんが登板。
いまや君の名前は世界で知らない人はいないほど有名になった。
でも、あいかわらずコンビニ食。


…午後、やや大きめの余震があった。
岩手の花巻で震度5強宮城県北部で4強…!
仙台の叔母に電話する。
ああ、もう慣れてるからね、と平然。
近況を聞く。
すでに電気も水も来た。
ガスももうすぐ来るという。
震災後にがんばってラウンジの営業を始めたが2日で締めたとのこと。
店のあるビルにまだ水が来てなかったらしい。
水無しで2日間営業したのか…。
ビルにも水が来たので明日から再開するとのこと。


…ブログ『傍見楼日乗』が久々に更新された。
「20000泳いだ(ただし単位はセンチね)」「だましだまし」「無為の人」などなど、
力みのない暮らしぶり、洒脱な文章表現に感服し、過去に何度か紹介させてもらった。
眼鏡堂氏からブログを書いている佐々木さんが三陸海岸宮古出身だと聞いていた。
3.11以来、音沙汰が無かったが昨日「断片的なお礼」と題して更新された。
http://blog.livedoor.jp/nor_sasaki/archives/51716223.html


眼鏡堂氏からのメールにも「さすが佐々木さん、抑制の効いた文章です」とある。
あの日の衝撃を全身で飲み込み、鼓動の収まるのを辛抱強く待った末にようやく書かれた文章。
後付の思いこみかもしれません、と前置きしながらも、
遠く、深く、静かに、思いをこめて、あの日のことを書いている。


印象に残ったのは被災した母上のこと。
三陸の山間の村で震災にあったが4日後無事が確認された。
その後、盛岡に疎開していたが、
“市内の病院で持病の薬を入手すると、反対する弟と私の説得を振り切って
 数日で本州最東端の半島の根元にある故郷の村へと戻っていきました。
 多くの友だちや親戚と支えあって暮らしている日常へ”
老母の小さな背中が目に浮かぶ。


三陸のうたごえ』で書いた千昌夫の母のことを思い出した。
高齢の母は最近になって東京から陸前高田へ戻っていたのだった。



僕らが三陸海岸を旅したのは2006年の秋だった。
田野畑村の「鵜の巣断崖(うのす)」がお気に入りの場所となった。
もう少し北にある名所「北山崎」は観光客ので賑わっていたがここは誰もいなかった。
鳴りの支配する絶景、山からカットインで海、まさしく海と陸の出会うところ。
断崖の上に吉村昭の「星への旅」の文学碑が立っていた。


宮古湾の奇景「浄土ヶ浜
静かな海と大きなカモメが印象に残っている。
当然ながらここも津波が襲っただろう。
今はどんな風景になっているのか。


ヒロが言う。
わたしたち結婚してから東北にはホントに楽しませてもらったね、と。
青森に3回、岩手に4回、秋田に4回、山形に4回、福島に3回、宮城に1回。
その他にも僕が仕事で秋田に2週間、青森に2週間、宮城にのべ1週間。
また行こうね、と約束する。


思えば、僕が初めて東北へ足を踏み入れたのは20代半ば、仕事だった。
1983年5月、行き先は秋田の男鹿半島
今思えば…。
この話についてはまた書きたいと思う。



…震災後に読み始めた高田郁『銀二貫』を読了。
阪神大震災の時は三ヶ月くらいは本を読む気になれなかった。
特にフィクションには全く集中出来なかった記憶がある。
今回、バカみたいに時間はかかったけど時代小説なら何とか読めた。
『銀二貫』、江戸時代の大阪天満が舞台。
知ってる地名のところばかり。
察するに舞台となる寒天問屋の井川屋は「よしむら」の近くにある。
大川にかかる天神橋が象徴的な存在として描かれている。
江戸時代の天神橋は表紙絵のように中央の盛り上がった太鼓橋。
一番高いところからは海も見えたのだとか。
川上の天満橋はおもに武家の使う橋だったそうな。


度重なる大火、そのたびに大阪の商人は一文無しになった。
当時は社会保障も何もないから家が焼けたら裸で路上に放り出される。
人気シリーズ『澪つくし料理帖』でも主人公は水害で両親を失っている。
奈落に突き落とされても、何度でも立ち上がる人々。
日本人は、いつだってこうして逞しく生きてきたんだな。
 

…23時ころ、駅からの帰宅途中に自転車で立ちゴケする。
信号待ちの時、ちょっと気を抜いてしまった。
自転車ごと右側に倒れ込み、このままではヤバイと思った。
その瞬間、前方回転して受け身をとっていた。
深夜の歩道でおっさんがキャット前方一回転の図。
幸い歩いている人は誰もいなかった。
ちょっと筋肉痛は残ったものの無傷でした。


明日から4月、新年度が始まる。
僕は勝手にサマーセメスター(4-9月は夏の6ヶ月)と決めた。
そして、春本番
自粛の春にならないように。
よもや、レイチェル・カーソンの予言した沈黙の春にだけはならないように願う。