ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2011/4/26 石巻 FUTABA INN

8時半起床、これでも普通の人なら寝坊でしょうね。
佐々木俊尚さんの早朝連射で『石巻百景』というサイトを知る。
石巻には僕のお気に入りのB&Bがある。
サイトに周辺の被災後の写真が載っている。
このB&B、FUTABA INN に2006年と2007年に僕は二度泊まった。
2006年10月に僕が撮った写真。


宿かの近くにある旧北上川沿いにある神社。
いつものように朝にジョギングした時に撮った。


安い、清潔、居心地がいい。
アメリカの小さな町にあるモーテルのような風情。
宿主が紹介してくれる居酒屋や寿司屋はハズレがない。
隣町の涌谷町の佐々木さんの撮影の際、この宿に泊まった。
二度目に行った時、チェックインしてから
ネットで近くに古い銭湯を見つけた。
「つるの湯に入ってからオススメの居酒屋へ行こうと思います。」
と僕が言うと、
40代くらいのオーナーは「鶴の湯、渋いですねえ。いいですよ。」
と答えてくれた。
そんな会話も憶えている。
オーナーは無事だろうか?


このあたりは住吉地区というらしい。
『石巻百景』に僕が撮影した神社の現在の写真が載っている。
http://shinyousha.com/ishinomaki-photo/
見ると津波の被害を受けてはいるが壊滅的な状況ではなさそうだ。
海から数キロあるからだろうか。
でも、津波から3週間後におばあさんと孫が救出された場所はこれより上流だった。
うーむ、どうなんだろう?
セルジオに見てきてくれと頼んだが旧市街へは車が入れなかったらしい。
復興後、FUTABA INN が営業していたらまた泊まりたい。


と、書いて、宿のHPを数日ぶりにチェックし直したら…。
http://www.kilie.com/futaba/index.html


おお、オーナーは無事だったようだ。
さらに、グーグルでFUTABA INN を検索して
オーナーの家族のブログを発見した。
(FUTABA INNがご実家であると書いておられます)
『後だしじゃんけん日記』
http://blog.goo.ne.jp/noon2009/e/bc604e6459454921ac02a7e2e8223941


3.11まで遡って読んでいくと当時の切迫感が伝わってくる。
宿のオーナーと携帯に連絡がとれたのは3月20日だったようだ。


大潮だったのだろうかこのページの写真を見るとかなり海面が高い。
http://blog.goo.ne.jp/noon2009/e/32e521368bb67a9e151be016c566c6cf
こんな新聞写真がアップされていた。(出典は河北新報)
ええ! 3枚目に載せた赤い橋の神社、完全水没してた。




…しばらく深夜帰宅〜寝坊の悪循環でサイクルジョグをサボっていた。
今朝、久々に再開、夙川には知らぬ間に鯉たちが泳いでいる。


海沿いのニセアカシアもいつのまにかやわらかい若葉が開いている。
マンションの向かいの公園の藤棚も開花している。
六甲を見れば、山笑う、とまでは行かないが、微笑み、
くらいは緑が鮮やかになっている。

…夕方、西宮北口までロードバイクで走り『ヒロ珈琲店』で豆を購入。
大津の皇子山球場の西武楽天戦の中継を見る。
今日はパリーグエース激突の日だった。
岩隈vs涌井、成瀬vs木佐貫(?)、和田vsダルビッシュ。
岩隈&成瀬完封!
これぞエースのピッチングにしびれた。


そういえばロッテの若きエースだった成田文男氏の訃報にふれる。
1974年の中日ロッテの日本シリーズで第3戦、
成田から打った谷沢の2本のホームランを思い出す。
当時監督だった金やんはまだ健在だ。
64歳 まだ若い…。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あ、そうそう、先日セルジオが撮影してきた
宮城県涌谷町の佐々木さんの映像をアップします。
震災後、僕がメールでやりとりしてた “不屈の百姓” 佐々木さんはこんな人です。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110331/1301542614