再録 2005/5/16-17

霧積温泉への道 2005.5.16


長野新幹線あさま553号)
ひとりで密かに温泉へ行く。
東京は抜けるような青空、空気は清涼で気持ちいい。
ただ、体調はイマイチ。ちょっと下痢気味で重い。
夜行寝台では4時間ほど寝たか、2時頃に寝て6時頃に起きた。
B寝台個室シングルは確かに個室だが寝るだけである。
大阪発0:32、飲まなくてもいい日本酒を飲み、コンビニで買ったつまみを食べる。
深夜に飲み食いする報いは生活習慣病だけでなく
翌朝の体調に直結する。そんな当たり前のことを時々忘れる。
たとえ夜行寝台であっても、寝酒は諦めよう。
いや、夜行寝台でなくとも、だ。
それくらいは諦めてもいい。
眠前のインシュリンは打たなかった。今朝の血糖値94。


…東京駅のアジアン風レストランで朝食。
ベーコンエッグに珈琲、ロールパン。
この店がなにやらベトナム語(たぶん)で店員同士が声をかけあう。
ほとんど全員が日本人なのに。
たぶん、遊び心ってやつだろうが
東京駅にその手の遊び心って必要か?
フツーに珈琲を飲み、フツーに朝食を食べたい。


霧積温泉 金湯館にて)
長野新幹線で軽井沢まで行く。
軽井沢を下りると空気が冷たい。
そくっとするほど、しかし澄んだ青空に心も浮き立つ。
旧軽井沢へ向け歩き出す。
道の脇にコナシ(小梨)の木があって
たわわに白い花をつけている。
上高地の小梨平や徳沢園にもこのコナシの木がある。


軽井沢銀座のパン屋でラスクとベーグル、ベーコンエピを買う。
軽井沢は平日なのにそこそこ観光客でにぎわっている。
上原謙と高峰美枝子のような上品な熟年カップルが多い。
浅間山が周辺4キロ以内への入山規制されているので登山客は少ない。
碓氷峠への道を歩く。
途中から車道と別れ遊歩道が続く。
季節は5月、芽吹いたばかりの緑が美しい。
落ち着いた静かな初夏の散策路。
吊り橋を渡り、浅間山が木々の隙間から見え隠れする。
ちょっと汗ばむくらいの登りの山道を楽しみながら歩く。


軽井沢の駅から2時間ほど歩いて見晴台に到着。
碓氷峠にある展望所だ。
噴煙をあげた浅間山が見える。
その向こうに雪をたっぷり残した穂高連峰
さらに八ヶ岳南アルプスが青空に浮かんでいる。
東南にはごつごつした妙義山
連合赤軍のアジトがあったのは妙義山中ではなかったか?
榛名山中だったかもしれない。
それにしてもこの深い森の緑を見ていると
厳冬期にアジトから逃亡し、雪の暗い森を彷徨い歩くというのは
どんな体験だっただろう?
世間を知らない20代そこそこの若者たちだった。
想像を絶する30年以上前の出来事。


緑の中で珈琲を煎れて昼食。
夜中に酒を飲んだからか、久しぶりに下痢気味。
駐車場にあるトイレへ走る。
ティッシュを持ってこなかった。
あ、ちり紙の自販機、助かった。
男女のトイレの入り口の真ん中、2ヶで100円の古い自販機。
若い女のグループがトイレの前でたむろしているぞ。
自販機の前を空けてくれよ。
おじさんちり紙買うんだ。
もれそうなんだよ。
カッコ悪いなあ、ウンコするのバレバレやんか。


ランチのあとは茶屋の並ぶ峠から林道に分け入る。
古い道しるべに「霧積温泉まで徒歩170分」とある。
未舗装の林道、新緑が斜面こぼれ落ちるよう。
今年は5月の山を、若葉を堪能している。
思えば去年は印象が薄い。
この時期の緑を浴びることはこころと身体の滋養なのだ。


林道の脇で湯を沸かして珈琲を煎れる。
スノーピークのガスストーブであっと言う間に湯が沸騰する。
レギュラー珈琲をペーパーで落とす。
野点の珈琲で一服、普段は吸わない煙草を1本ふかす。


まいったなあ、珈琲を飲んだらまた腹の調子が悪くなったぞ。
誰もいないからいいかあ。
何年かぶりの雉打ち(早い話が野糞)すいません。
埋めておきます。


林道は途中から細い登山道に変わる。
軽井沢駅を出てから7時間(徒歩5時間半)で霧積に着く。
その温泉宿は桃の花が咲く谷にひっそりと在った。
谷へと下りる小道の両脇には
紫色や黄色のスミレが絨毯のように咲いている。
桃の花と明治時代の温泉宿、
桃源郷という言葉を思い出した。


宿は霧積温泉「金湯館」
光文社新書の「カラー版 温泉教授の日本全国温泉ガイド」によると


  群馬県の温泉にあっては別天地にあると言っていいほどの静寂境にある霧積温泉
  古くから外国人の保養地として人気があったが、
  洪水が起き、軽井沢へと人気が移ってしまってからはさびれる一方であった。
  ゆっくりと時を過ごせる雰囲気がそこここに漂っている。
  山の温泉のいいところは、辿り着きさえすれば、
  あとはひたすらに湯と静かな時間とに身をまかせられることだ。


とある。


軽井沢よりもう一つ昔の保養地だったのだ。
そして、霧積の名は西条八十の「帽子」という詩で有名になった。 


  帽子   西条八十 


 母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
 ええ、夏碓井から霧積へ行くみちで、
 渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。
 --母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
 僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
 …母さん、あのとき、向うから若い薬売が来ましたっけね。
 紺の脚絆に手甲をした…。
 そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
 だけどとうとう駄目だった。
 なにしろ深い渓谷で、それに草が
 背丈ぐらい伸びていたんてすもの。
 …母さん、本当にあの帽子どうなったでせう?
 そのとき傍に咲いていた車百合の花は、
 もうとうに枯れちゃつたでせうね。そして、
 秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で毎晩きりぎりすが鳴いたかも知れませんよ。
 …母さん、そして、きっと今頃は、…今夜あたりは、
 あの渓間に、静かに雪が降りつもっているでせう。
 昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
 その裏に僕が書いた
 Y・Sという頭叉字を
 埋めるように、静かに、寂しく…。


森村誠一の「人間の証明」(角川映画で有名になった)でも、
この詩がモチーフになっている。
こうしてその舞台となった碓氷峠から霧積温泉の道を歩いたあと
この詩を読むと、うん、なかなかいい詩だ。
幼い頃の、あるいは青年期の「喪失」。
胸がきゅんとする。


宿泊客は他にいない。
静かすぎる山の温泉。
湯は39度と待望のぬる湯。
日のあるうちに1時間ほどゆっくりと浸かる。
窓から桃の花が見える。 


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

信越本線跡を歩く 2005.5.17

霧積温泉 金湯館)
朝6時半に目覚める。
山の温泉の朝ぼらけ、5月とは信じられないほどの冷え込み。
摂氏2度だったそうな。
小一時間ほど朝湯につかる。


宿の見える谷を上ったところに古いベンチがある。
丸太を切っただけの素朴な展望台。
そこで珈琲を煎れようと宿を出るが着いてから水を持ってきてないことに気づく。
最近、こんな段取りの悪さが目立つ。歳だと思って諦めよう。


宿の前で古い水車が回る音を聞きながら缶コーヒーを飲む。
宿のイヌが傍らに座る。
小型の雑種犬、耳が大きく、
可愛い顔をしておとなしい。
イヌと並んで座り朝の珈琲タイム。
あとで宿の爺さんに聞くと、このイヌは気性が荒いらしい。
こんなに小さな体で熊と闘ったり、
つい先日もテンを2匹殺した、と言う。
爺さんもつい最近指を噛まれたらしい。
飼い主まで噛む荒くれものだったのだ。
マタギ犬の血が混じっているのか、
あるいは正確がひねくれているのか。
犬も見かけでは判断できない。


…パッキングをする。
ベテランの登山者できれいにパッキングしている人を見かける。
「出来る」人だな、と感じる。スキがない。
僕もきれいにパッキングしたいのだが思うようにいかない。
いつもまにか、どのポケットに何を入れたのか忘れて大騒ぎになる。
「あれ?あれどこへ仕舞ったかな?」
決めておけばいいのだ、でも当たり前のことが出来ない。
達人の道はほど遠い。
外国を旅しているときも、大きなバックパックを
美しくパッキングしている欧米人を見かける。
宿で同室となり、話をすると物静かで落ち着いている。


…帰りは宿の主人の車で送ってもらう。
横川駅への道は曲がりくねって長い。
主人は少し腰の曲がった70代らしき老人。
「この道が西条八十の帽子の道ですか?」
「いや、お宅が歩いてきた道がそうだよ。
観光ガイドにはこの道ってことになってるが、ウソ。」
当時は碓氷峠から来るには山道しかなかったからね。
あそこは風が強いんだよ。谷も深いしね。
あの林道を走ってて車のドアを開けて突風で壊れたことがある。」
麦わら帽子など飛ばすのはわけないだろう。


旧国道18号で落としてもらう。
かつて信越本線が走っていた廃線跡を歩く。
国鉄でも有数の峠越えだった。
その線路あとが遊歩道になっている。
あまりに急な登りだったために
電気で引っ張り上げるアプト式が採用された路線だ。
現在、信越本線は群馬側は横川駅で行き止まりになっている。
長野新幹線の開通とともに峠越えの在来線が廃止になった。
遊歩道はそのときに出来たものではない。
もう一世代前の旧信越本線の跡だ。
アプト式で引っ張り上げて、
26のトンネルと数多の橋を抜けて、
横川から軽井沢まで2時間近くかかったと言う。
今なら軽井沢から東京へ1時間ちょっとだ。
金湯館の主人に言わせると、
トンネルを抜けるたびに景色が変わったという。
その後、長いトンネルが別の場所に掘られ
アプト式もなくなり時間は短縮された。
しかし、その路線も新幹線に道を譲ったというわけ。
小説家の尾崎行雄西条八十堀辰雄らが乗ったのは
アプト式とトンネルの旧信越本線だったのだろう。


この道はほんとに気持ちいい道だった。
年配のグループや夫婦連れが仲良く歩いている。
藤の薄紫の花や栗のクリーム色の花が
緑の山のアクセントになっている
途中にある碓氷湖というのがまた美しい。


素晴らしい5月の散歩道。
煉瓦造りのトンネルを5つほど抜けると、
信越本線第三橋梁の上に出る。
四連のアーチを持った英国人設計による美しい橋。
煉瓦色が新緑に映える。
その橋の傍らで珈琲を煎れよう。

…五月、美しい季節 
出来れば毎年この季節は仕事はしないようにしよう。
そんなに人生は甘くない。
でも、そう錯覚するほど5月の風景は甘美だ。
この美しい時間を永遠に自分の所有物にしてしまいたい。
そんな欲求にとらわれる。
で、ふと考える。
違う、永遠ではないから 
儚いから…美しいのだ、たぶん。


そんなありきたりのロマンチズムでさえ
似つかわしいほどの景色だということ、たぶん。
また秋に来たい。10月の終わりか、11月の始め。



五月を謳った詩を2編。
教科書に載っていた詩だ。


山頂から  小 野 十三郎


山にのぼると
海は
天まであがってくる。


なだれ落ちるような若葉みどりのなか、
下のほうで 
しずかに
かっこうがないている。


風に吹かれて高いところに立つと、
だれでもしぜんに世界の広さを考える。
ぼくは手を口にあててなにか下のほうに
向むかって叫びたくなる。


五月の山は、ぎらぎらと明るくまぶしい。
きみは、山頂よりも上に、
青い大きな弧をえがく水平線を、
見たことがあるか。




初夏の風    川上澄生


かぜとなりたや
はつなつの かぜとなりたや        
かのひとの まへにはだかり

 
かのひとの うしろよりふく
はつなつの はつなつの
かぜとなりたや