ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2011/6/2 47都道府県女ひとりで行ってみよう!

益田ミリ『47都道府県女ひとりで行ってみよう!』を読了。
ゆるーいライトエッセイなのに読みながら色んなことを考えてしまった。
人見知りの30代半ばの女性がWEBの原稿を書くためだけに月1回ひとり旅に出る。
4年かけて47都道府県を制覇、その過程で彼女はひとり旅が好きになってくる。
ある意味で30代おねえさんの成長を描いたビルディングス・エッセイ。
旅慣れしてなくて、地元の人とのふれあいが苦手、一人で飲食店に入れない。
コンビニ弁当を買いビジネスホテルの部屋で食べるなんて旅の様子が微笑ましい。
僕は旅好きな人間だけど何故だろう強く共感した。
実は旅慣れしてるふりをしてるだけだったと発見する。

47都道府県女ひとりで行ってみよう (幻冬舎文庫)

47都道府県女ひとりで行ってみよう (幻冬舎文庫)


益田ミリさんは無理していない。
気負ったり、カッコつけたり、自分を大きく見せようとしていない。
僕はそういう人に好感を持ちます。
伝えるべきコトを自分の使える言葉で伝える。
僕も含めて書くトレーニングを受けていない人はかくあるべきだと思う
文章表現も平易、日本語を覚えたばかりの外国人にもわかるだろう。
ぷよねこ日記もかくありたいと思う。
でも、amazonのレビューではかなり酷評されてます。
旅好きに人にとって彼女の消極性が許し難いのでしょう。


彼女は地理や歴史に疎い。
疑問に思っても調べることもしない。
ただ疑問に思うだけ。
司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズとは対極。
不思議なことに司馬遼太郎益田ミリも僕はどちらも面白いと感じる。


どんなとこが面白かったかって?
魅力をうまく説明出来ないので引用しちまいましょう。
ぜんっぜん面白くないと思う人は読みとばして下さい。


  (神奈川県 118ページ)
  老舗っぽい蕎麦屋に入った。天ぷら蕎麦をすすっていると、向かいの席に
  おばあちゃんと孫娘らしきふたりが座った。おばあちゃんは80歳くらいで、
  孫娘は20代半ばというところか。
  「おばあちゃん、なににする?」
  孫娘が、おばあちゃんのためにメニューを端からゆっくりとひとつずつ読み上げはじめた。  
  おばあちゃんがそれをうなづきながら聞いている。
  わたしはその光景を見ていたら急に涙がこみ上げてきて、もはや蕎麦どころではない。
  最近、やけに涙腺がゆるんでしかたがないのである。 


  (静岡県 137ページ)
  浜松から新幹線のグリーン車に乗って東京へ戻ることにする。人生初のグリーン車だ。
  座席はゆったり、足も伸ばせるし、それはそれは快適…の、はずだったが、
  前の座席に小学生の兄妹がいてそれが気になって仕方がない。
  彼らは車内販売のお姉さんを気軽に呼び止め、
  「すいません。じゃがりこ下さい」などと言っている。
  背もたれを最大限に倒している小学生の後ろで貧富の差を感じる35歳のわたし。
  せっかくの初のグリーン車の思い出が、お金持ちの子供に踏みにじられたのであった。


  (福井県 73ページ)
  ところで、あの修行僧たちは厳しい修行が済んだあとはどうするんだろう?
  このまま永平寺で修行をつづける修行僧もいるかもしれないし、裕福なお寺が
  待っている修行僧もいるのかも。
  そういえば、以前、ものすごいお金持ちのお寺の息子と飲んだことがあるなぁ。
  走り終わると美味しい水が飲めることがわかっている人と、
  ゴールもわからず走っている人とでは、走る苦しみって違うんじゃないかなぁ。
  そんなことをふと思う。


  今回の福井の旅。呼んでもないのに父がキタ。父はなんか楽しそうだった。
  父の兄であるおじさんの家にも泊まった。
  子供の頃からわたしを可愛がってくれたおじさんとおばさん。
  帰る時、玄関先でおばさんが、「なにもしれやれんけど」と言って
  34歳のわたしに1万円をくれた。
  思わず涙があふれてきて、「元気でいてや」と慌てて父の車に乗り込んだ。
  一人旅に出ようと思い立ったからこそ、こうやって久しぶりに会えた人もいる。
  ちょっぴりジーンときた。そんな秋なのであった。


  (長野県 83ページ)
  改めてひとり旅で馬籠に来てみて良かったと思った。
  ちなみに2005年に馬籠は岐阜県になってしまったのでした…。
 

木曽路のあの馬篭宿(まごめ)が長野県から岐阜県になった?
越県合併というらしいが、…知らなかった!



  (愛知県 94ページ)
  スガキヤはラーメンのチェーン店で、名古屋が地元である。
  わたしの故郷の大阪にもあったので、高校生の頃によく食べた。
  今回久しぶりに食べたけど、懐かしさも手伝って、すごく美味しかった。
  美味しかったけど、わたしが頼んだのはネギラーメンで、出てきたのは肉ラーメンだった。  
  あれ?違うよなと思ったけど、なんにも言わなかった。
  お店のおばさんが、
  「いま、お肉、切りたてだから美味しいよ〜」って嬉しそうだったから。
  「ここの食べたら、他の店のラーメン食べられないでしょ」とも言っていた。
  従業員の人が、自分の店を好きなのって、気持ちがいいなあって思う。


たった一人の従業員のおかげで店の印象って180度変わりますよね。
スガキヤ懐かしい!
マスコットキャラが『スーちゃん』だった。
益田ミリの描く漫画に『すーちゃん』ってのがある。
これは偶然か?


  (山梨県 106ページ)
  健康ランド内の大広間では、朝から晩まで誰かが唄っていた。
  舞台の横に機会があり、100円をいれるとカラオケが出来るのだ。
  わたしはこの大広間が気に入って、食事もここでひとりでしたし、
  風呂と風呂の休憩の間もずっと大広間にいた。
  派手なムームーを着たおじさんやおばさんたちが熱唱している姿は、
  いくら見ても見飽きない。上手な人もたまにいるけど、だいたいは音程が外れている。
  でもそんなコトおかまいなしに、みんな楽しそうである。
  そういう様子をずっと見ていると、
  「わたし、もっと気楽にやっていけばいいんじゃない?」
  自分の心がふわっと湯気のように軽くなった。


  (広島県 243ページ)
  わたしは、自分がひとりで屋台に座るなんてことができないのをもう知っている。
  しかも、それを克服したい気持ちがないこともわかっている。
  わたしは旅で地元の人とふれあわなくてもいいし、むしろふれあいたくないと思う
  タイプだったのだ。「旅」と聞くと、テレビのレポーターみたいに、
  地元の人とふれあわないとダメなんじゃないか、おいしいものを食べないと
  いけないんじゃないかと最初の頃は気負っていたけれど、もうどうでもよくなった。  
  地元の居酒屋で隣の席の人たちと仲良くしゃべったり、お酒をごちそうになって
  楽しかった、という誰かの旅話を聞いても、ああそうなんだ〜と思うだけである、
  横切るだけでも旅は旅であり、その土地の空気に触れたというのでも
  いいんじゃないかな、などと思う。


  (岩手県 251ページ)
  中尊寺では2時間ほど自由行動があったんだけど、解散する前に、
  「全員で記念写真を撮りますのでご協力ください」と、バスガイドさんに言われた。
  欲しい人は申し込んで買う、というシステムだ。でも、わたしだけ断った。
  知らない人と記念写真なんか撮りたくない。だって、だって、後になって、
  写真を買った人たちが「この人、ひとりで参加してたのよ〜」などと、
  誰かに写真を見せながらわたしのことを説明するかも、と思うと恥ずかしい。
  ひとりで参加していた若い女性は、ニッコリ笑ってみんなと写っていた。
  バスに戻ったときに、後ろの席の親子連れが、
  「写真は思い出になるから、撮ったほうがいいわよねぇ」
  などとしゃべっている声が聞こえた。イヤミか!?


  (京都府 188ページ)
  (註:京都駅ビルにホームが見えるホテルがある)
  「部屋からホームを見るのが楽しみです!」と電話で告げると、
  ホテルの人もほほえましそうな声で予約を入れてくれた。
  当日は新幹線で京都へ。数年前に新しくなった京都駅は「京都らしくない」という
  声もあるようだけど、わたしはとても合っていると思う。威圧的な感じが京都にぴったり。  
  デザインもカッコ良くて好きだ。
  (中略)窓からはホームが一望…できなかった。
  手違いで、そこはホーム側じゃない部屋だったのだ。ショック!! 
  案内してくれた若い女性スタッフが、フロントに問い合わせてくれたが、
  すぐには部屋の確保ができない。
  30分ほど待って、ホーム側の部屋に移ることが出来たのだった。
  待機していた30分間、わたしは始終ニコやかだった。
  案内係の女性の対応に、心がなごんでいたからである。
  彼女はわたしが退屈しないよう、いろんな話題を着くって話かけてくれていた。
  とっても感じのいい人だった。
  こういう小さな営みのおかげで、誰かの失敗が帳消しになっている、ということが、
  ホテルの偉い人たちには伝わっているのかな。彼女はちゃんと評価されているのだろうか。  
  どうか、評価されていますように。


このホテルはグランヴィア京都と言います。
http://www.granvia-kyoto.co.jp/stay/entry/001311.html
ホームの見える部屋はトレイン・ビューというらしい。
ここに泊まってみたい!
ヒロに提案しようかと思うが、こういうのは絶対に受け入れられない。
京都なんて泊まる理由がない、と一蹴されるに決まっている。
昔、白馬駅の駅舎の2階に2段ベッドの簡易宿舎があった。
山登りのときに2泊ほどした記憶がある。
ミネーロと唐松へテント山行の時だ。
部屋からもちろんホームが見えた。
闇にほんのりとホームが浮かび上がって寂しい山の停車場って感じでした。
調べたら今はもうないようだ。
僕らが泊まったのが1996年、オリンピックの頃に白馬駅は変わったものなあ。


  (兵庫県 195ページ) 
  夜はデパ地下でお総菜を買い、ホテルでテレビを見ながら食べるという
  わたしの大好きなパターンにした。
 

  (広島県 242ページ)
  JR呉線に乗り換え30分ほどで呉に到着。駅前にそごうがあったので嬉しくなる。
  とりあえず夜ご飯はデパートの惣菜に決定である。


夜の街を入るべき店を探して歩き回る。
迷ったりためらったりしてるうちに夜が更けていく。
挙げ句の果てに入った店が失敗だったりする。
常連まみれだったり、無愛想だったり、極端に不味かったり、
あるいは一人飲みには一品が喧嘩売ってるくらいデカかったり、
それを自慢げにしてたり、とにかく店選びは難しい。
デパ地下で買ってホテルの部屋でテレビ見ながら食べる。
これ僕も好きです。飲み友達と行くときは決してしませんが。
結婚してからよりいっそう楽しみになりました。
ヒロと一緒に行っても時々そうする時もあります。
ホテルの近くにデパートがあると軽くガッツポーズしたりして。


  (和歌山県 262ページ)
  「わ〜、マイナスイオン!!」
  観光客の声が、あちこちから聞こえていた。
  高い崖の上から、サーッと水が落ちてくるのを見ていると、気持ちがすっきりしてくる。
  東京の自宅近くにこの滝があれば、厭なことがあるたびに出かけていくのに、などと思う。  
  厭なことは、日々、いろんなパターンでやってくるが、わたしは小さなことでも
  大袈裟に考えてしまうので、即効でダメージを受ける。
  だから、せめて、嫌いな人からは遠ざかるのが身のためだ、ということを、
  ようやく学習した。人生には、別に嫌いな人間がいてもいいのだと思う。
  嫌いな人の良いところを探して、騙し騙しやっていくより、嫌いは嫌いでいいやと思うと、  
  だいぶ軽くなる。那智の滝は家の近くにないけれど、わたしはなんとか大丈夫だろう。


那智の滝に行ったことがない。
安芸の宮島に行ったことがない。
高野山へ行ったこともない。
永平寺へ行ったことがない。
平泉へ行ったことがない。
鳥取砂丘は通過しただけだ。
行かないまま死んでいくのかと思うと少しだけ残念な気持ちになる。 
あれを見ないで死んでしまう。
これを食べずに死んでしまう。
あの映画を見ずに死んでしまう。
あの小説を読まないまま死んでしまう。
50代になってそんなことばかり考える。
見ても見なくてもホントはどっちでもいいのだ、と知ってはいるのだが。


 (東京都 271ページ)
 東大に着くまでの30〜40分の間、運転手さんと旅の話をしていたのだが、
 わたしは、こうして ひとり旅を始めてから気づいたある事実について考えていた。
 それは一人の旅の話は、あんまり楽しくはない、ということだ。
 人は、旅の話を聞くよりも、旅の話をする側のほうが好きなのだと思う。
 旅をすると、あんなこともあって、あんなものも見て、と色々話したくなるけれど、
 よっぽど話術がないと退屈というか、自慢というか。
 わたし自身も「きっと、つまらないだろうな〜」と心の隅で思いながら喋っている。
 47都道府県を旅したからって調子に乗らないように気をつけないと、と思う。


確かに自分にも憶えがある。
他人の旅の話を聞いても楽しくはない。
自分の旅の話をするのは楽しい。
日記にも昔の旅の話をよく書いている。
でも、それは許して下さいね。
僕の日記なので、僕は読んで楽しいのです。
 

こうして引用するとあまり面白くないな。
ダラダラと全編を読み続けないとユルさの魅力が伝わらないのだろうか。
若い知識欲のある人には耐えられないかもしれない。
酷評されるのは分かる気がする。
(筆者でもないのにスミマセン)
三浦しをんのエッセイほどの爆笑芸はない。彼女はプロだから。
でも、素人っぽいユルさが僕は好きです。