映画『さや侍』を見る。
連日の西宮ガーデンシネマ通いである。
松本人志監督作品を観るのは初体験。
もともと見るつもりはなかった。
先日、奈良で竹原ピストルのライブへ行った。
熱唱に打ちのめされた。
彼が主題歌を歌い、出演もしていると聞いた。
ピストル信者としては行かねばと思った次第。
折しも月の始まり、映画は1000円だ。
そして、時間は…ある。
シネマ5、150人くらいの小さめのスクリーン。
(十分に大きいんですけどね)
邦画なので字幕はない。
ならば、と前から3番目の右端を所望す。
見終わって脱力。
松本人志風に感想を言えばこんな感じ。
な、なんなんでしょうね。この映画の訴えてくるもんの正体ちゅうんは。
最後まで見終わっても結局わからへんかったんですど。
まあ、まったく期待はしてへんかったんで不意をつかれたといえばそーなんでしょうけど。
最後の方で少し熱くこみあげてくるもんがあったのは事実です。
映画で起こってることはメチャメチャなんですよ。ありえへん設定やし。
監督が野見っちゅうおもろい男を主役として使ってみたかったんでしょうね。
それありき、やと思います。
ド素人で演技もでけへんので周りをちゃんとした役者で固めていったんでしょうね。
娘のタエ役の子はそりゃあ達者ですよ。
父親が芸をするときにこの子が口上を述べるようになるんですが泣けるんですよね。
で、情けない父親に終始不機嫌やったんですが最後の最後に見せる表情がええんですよ。
クライマックス、最後の10分くらいは悔しいけどムチャクチャやねんけどいいんですよ。
(ちょっとネタバレになるんですけど)
去年見た『龍馬伝』で武市さんや長次郎が死んでいくでしょ。
野見の最後の顔、あの『龍馬伝』と同じ悲しみがよみがえってくるんですよ。
幕末の志士のように大義も何もないんですよ。
わけわかりませんわ。
アカン、泣く理由なんか無いやん。
こんなんで泣くはずないやん。
で、最後の最後に竹原ピストルが登場するんです。
行きずりの僧(托鉢僧)という役、これがたいへん重要な役なんです。
河原で娘を待ち構えて父から娘への手紙を読み上げる。
しだいにメロディーがつき歌になる。
浪曲みたいな展開ですがフォークソングです。
まあ、現実にはありえへんのですけど、これがいいんです。
もうアカン、もうダメ、となりました。
言うときますけど理屈は通ってないんですよ。
背景も心情も説明不足のとこあるんで。
力づくですよ。
でも、今夜もピストルの歌にTKOです。
主演の野見さんというのは五十過ぎのフリーターだそうです。
最期のシーン、あの目、あの表情が目に焼きついて忘れられません。
この映画、ひょっとしたら歌舞伎にしたら面白いかも、と思った。
竹原ピストルの主題歌です。
父から娘へ~さや侍の手紙~.wmv
前2作も見てないので松本人志という監督の評価はよくわからない。
映画評に“父と娘”の絆がテーマとあるけどそこんとこは全く感じるものが無かった。
けど、野見というおっさんを使って映画を撮ろうという発想、それを実現することがエライと思う。
野見という素材は他の監督さんが使ったらひょっとしたらもっといいのかもしれない。
でも、松本人志が使ったからこその味わいかもしれない。
別の監督作品で見たいが難しいだろうな。
予告編です。
この日記を読んで『さや侍』を見て腹が立っても怒らないで下さいね。