2011/7/26 そんなババアはおらんやろ

今日はミナミで映画と文楽の二本立て興業です。(個人的に)
大鹿村騒動記』@なんばパークスシネマ、文楽サマーレイトショー@国立文楽劇場


南アルプスの山麓、村のおじさんたちのチャーミングな映画でした。
原田芳雄、年とっても、つなぎにゴム長でもカッコイイ。
つなぎ姿を見てて宮城の百姓、佐々木さんを思い出してしまいました。
佐々木さんには悪いけど野球のユニフォームより作業用のつなぎが様になってた。


最近、世間は不寛容でギスギスして、愚かにも人をルールで縛ろうとする。
この映画に流れる“おおらかさ”あるいは“寛容”には救われた気持ちになる。
原田芳雄が演じる歌舞伎、景清の最後の決め台詞が泣かせる。
 「仇も恨みもこれまで。六代君の御先途を頼む」

この映画はいつ行っても1000円均一。
客層はほぼ前期高齢者、パークスシネマはほぼ満席でした。



文楽狂言『心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)』を見て一句。


    そんなやつはおらんやろ、というがたまにいる


現代の感覚で近松ものをとらえると不可解。
だけど、自分が江戸時代の町人だと想像を巡らすと主人公の悲しさが少しわかるかも。
理由は定かではないが養子の息子に嫁いできた嫁を嫌う姑(しゅうとめ)、
この人形の顔が鬼のようで見るからに悪そうなのには笑ってしまった。
姑が嫁を嫌い離縁を迫る。
嫁のどこが気に入らぬか、どこに落ち度があるか、そんなことを語られない。
現代の感覚なら解せぬところ。
で、それがどうして心中につながるのか。
これも現代の感覚なら理解出来ぬ。
自分の住む世界を飛び出すことは死ぬことと同意だった。
当時も、今も、理屈の通らない悪意というものがあって、
偶然それに触れてしまう不幸も受け入れざるを得なかった。
そういうことは当時ありふれたことだった。
だから、当時の庶民は身近な悲劇として感情移入出来たのだ。


住大夫、眼福眼福。
嶋大夫、ちっちゃい爺ちゃん大熱演!見直したぜ嶋さん。
勘十郎、エースの面目躍如、ダルビッシュ海老蔵澤穂希木村沙織、そして桐竹部長!


でも、文楽劇場、客が入ってませんでした。
レイトショーだからでしょうか。(とはいえ18時半スタート)
たまたま団体さんがいなかったからでしょうか。
淋しい。


演目が地味、というのもあるのかも。
だからといって、千本桜や曽根崎心中、油地獄など人気ネタばかりやってたら、
文楽という芸能の豊かさ、広がりがなくなってしまうものな。
僕らのようなビギナーばかりじゃないんだし。


今年、何度目の文楽劇場かな。
こうして毎月のように通っていると登場する技芸員さんにもなぜか親しみが沸く。
住大夫は住さん、嶋大夫さんは嶋さん、勘十郎さんは、もちろん部長。


席は右上段、床(大夫、三味線)も舞台(人形)もよーく見えました。

ヒロは「上田村」の初っぱなから夢の世界だった。
てん、と錦糸さんの三味線が催眠術の合図だった。
夢心地で住大夫さんの名調子を聞いている。
三浦しをんが畏れ多くも睡眠確率は住大夫さんが一番だと書いていた。
白状すれば僕も中盤で落ちた。
先日聞いた素浄瑠璃は心拍数が上がって寝るどころじゃなかったのに。
ヒロ聞くと穏やかな寝顔だったという。
今日の住大夫さんの声からは良きα波が出ていたに違いない。