2011/8/24 水色のワルツ

『水色のワルツ』という名曲がある。
昭和25年のヒット曲。
上岡龍太郎がかつて「これこそ名曲中の名曲、日本でもっとも美しい曲」と言った。
(正確な文言は憶えていないが絶賛していたのを記憶する)
作曲は高木東六、作詞は藤浦洸、歌ったのは二葉あき子(「岸壁の母」の人ではありません)


今から13年前、1998年8月のステージ。
歌う二葉あき子は84歳、ピアノ伴奏の高木東六は95歳。
それはそれは感動的なライブ映像です。


高木東六のピアノは晩年のホロビッツを思わせ、二葉あき子はビリー・ホリディを思わせる。
映像を見ているだけで涙が出てくる。
メロディーは歌謡曲ではなくクラシックの歌曲の風格、
詩は、この詩の世界が素晴らしい。


  君に逢ううれしさの 胸に深く
  水色のハンカチを
  ひそめる習慣(ならわし)が
  いつのまにか 身にしみたのよ
  涙のあとをそっと 隠したいのよ


  月影の細道を 歩きながら
  水色のハンカチに
  包んだささやきが
  いつの間にか 夜露にぬれて
  心の窓をとじて 忍び泣くのよ


ハンカチにうれしさをひそめる、とか、夜道のささやきをハンカチに包む とか、
思えばこれが今と同じ日本なのかと思われる慎ましやかな心の在りよう。
でも、決して作り事ではなかったのだと思います。
 


若き日の歌唱。
高音を失った時は歌手をやめようと思ったという。
年配の方々が寄せたYou-Tubeのコメント欄が泣ける。
http://www.youtube.com/watch?v=iH1MLO_9ZLE




『水色のワルツ』を聞いて思い出す風景がある。
大学生の頃、金沢の大型家具店で配送助手のバイトを半年ほどしていた。
運転手と二人で2トントラックで各家庭に家具を届け、セッティングする仕事だった。
この仕事の魅力は…、と30代半ばくらいの運転手は言った。
いろんな家庭の中が堂々と覗き見出来るってことや。
下卑なおっさんだな、と思ったが実際にやってみると確かに面白かった。
外から見るだけではわからないその家の趣味嗜好だけでなく、
時には異様な信仰、あからさまな性癖までも覗けた。


ある晩秋の晴れた日、山奥にある住所に家具を届けた。
そこはサナトリウム(療養所)のような施設だった。
注文主はそこで働く寮母さんのような女性で六十代、いや五十代くらいだったろうか。
療養所から少し離れた従業員用の住居だった。
谷間にひっそりとある家庭菜園の中にぽつんと建っている質素な住まいだった。
壁にキリストの絵が掛かっていた。


彼女が注文したのはベッドだった。
運転手と僕は木製の簡素なベッドを組み立てた。
彼女は組み上がるのを見ながら言った。
「ベッドで寝るのが私の夢だったんです、嬉しい。」
少女漫画の主人公のように目をキラキラさせて本当に嬉しそうだった。
組み上がってそこに蒲団を敷く。
彼女は、ありがとう、と何度も何度も僕たちに頭を下げた。


車に戻ると運転手と僕は顔を見合わせた。
あのベッド、一番安物やで、と運転手は言った。
1980年代、ベッドで寝るのが珍しい時代では決してなかった。


帰り道、その人の人生を思った。
やさぐれた運転手もどこか感じ入るところがあったようで真面目な顔をして言った。
「あのおばちゃんは戦争独身かもしれんなあ」
大正生まれの多くの男たちが戦死した。
彼らと結ばれるはずだった女性の多くは老いた両親の世話をして嫁がずに自身も老いた。
20歳くらいで終戦を迎えた女性たち。
僕がそのバイトをしてた30年ほど前、戦争独身の女性は50代だった。


『水色のワルツ』を聞くと何故かあの人を思い出す。
谷間のサナトリウムの、簡素な従業員住宅の和室に置かれた木製のベッド、
洗いざらしの真っ白なシーツに出来た日だまり、晩秋のあの風景とともに。


  月影の細道を 歩きながら
  水色のハンカチに
  包んだささやきが
  いつの間にか 夜露にぬれて
  心の窓をとじて 忍び泣くのよ


8月16日、二葉あき子さんが亡くなった。
高校野球のことばかり書いていたのでメモを残しただけでしばらく忘れていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110816-00000025-mai-soci
訃報によると、広島出身、東京芸大(当時 東京音楽学校)卒業。
1945年、広島に原爆が投下された時、乗っていた列車がトンネルを走行中で難を逃れたと言う。