2011/8/29 ぷよねこ長崎紀行

『ドーミーイン長崎 出島の湯』にて目覚める。
昨夜、23時前に寝たので早朝に起きてしまう。
6時前、カーテンを開けると真っ青な空。


  ♪ こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ  (『長崎の鐘』より)


藤山一郎先生のテノールが聞こえてくるようだ。
窓の下は中華街、異国にいるような気分になる。
朝風呂、こよなく気持ちよし。
そのままバイキング朝食、家族連れの観光客で大盛況。
ドーミーインの朝食は泊まるたびに充実の一途を辿っている。
ご当地もの、今日は中華粥と皿うどん
ちゃんと長崎産の金蝶ソースも添えてある。
スペシャルメニューは「ハトシ」と呼ばれる中華の揚げパン。
海老の擦ったものをパンで包み揚げたもの。
広東語ではハートーシーと語尾を延ばすらしい。
このパンもこよなく旨し。


左上がホテルの部屋からの風景。
ハトシは左下のさらに左端です。アップを撮るの忘れました。


ホテルに荷物を預け、いざ観光へ!
いきなり異国情緒たっぷり、の長崎新地中華街です。
[f:id:shioshiohida:20110829100508j:ima


皿うどんやちゃんぽんの麺、おそらく製麺所です。
中国にも同じような料理はあるのでしょうが長崎ほど定番料理ではない。(たぶん)


バスターミナルの中ををわざわざ通過して涼む。
かなり年季の入ったビル、尼センを思い出す。
左にあるのがバスカードのチャージ機。
長崎じゃ「積み増し」っていうんですね。
チャージ機でいいのでは?と思ったがバスの利用客は高齢者が多いからか。


しばらく歩くと崖の上にハイカラな校舎が見えてくる。
長崎の名門 活水(かっすい)です。


有名なオランダ坂です。
やっぱり石畳はそぼふる雨に濡れていないとピンと来ないですね。
後ろ姿は長崎随一のお嬢様学校 活水女子大の学生さん。
すれ違った時、目を伏せ斜め横に会釈し、口元だけでかすかに微笑んでくれました。
アルカイックスマイルというんでしょうか。
僕はあっけにとられて、口をぽかんと開けていたかもしれない。
皇室の方かと思った。
活水は1993年までパンツルック禁止だったそうです。


太田和彦氏の『ニッポン居酒屋放浪記』を読んで活水女子大の存在を知った。
長崎編の「皿うどんに邪恋うずまく」でこのお嬢様学校が登場するのだ。


  活水女子大は昭和37年日活映画『若い人』のロケに使われた。
  新任教師に石原裕次郎、同僚美人教師 浅丘ルリ子
  裕次郎に恋心を寄せる女生徒に吉永小百合の豪華配役である。
  オランダ坂の下でタクシーをおりると、雨に濡れた石畳を女子学生が次々に下校してきた。
  皆、ピタピタしたスリムなファッションで美人揃いだ。  (76頁)


だから来たわけというわけではないけれど。



確かに石畳に赤煉瓦の壁にからまる蔦、と映画のロケに使えそうな雰囲気のある坂道だ。
登校していく女子大生もみな上品で美しい。
活水(かっすい)という言葉はさだまさしの歌で知っていた。
『絵はがき坂』という、たぶん1970年代のアルバムに入っていた曲だ。


  活水あたりはまだ 絵はがき通りの坂
  蔦やかずらの香り背に 学生たちが通る


http://www.youtube.com/watch?v=Af_0sEL1Lq4&feature=fvwrel


活水(かっすい)って何だ? ずっと疑問だった。
ちなみに活水とは聖書にある「活ける水」という一節に由来するとのこと。
エリザベス・ラッセルという女性宣教師が明治12年に創設した。
あのトーマス・グラバーの時代だ。


活水の隣にあったのが海星学園!
そう、高校野球で有名な長崎海星です。
僕らの世代では酒井投手ですね。
プロでは活躍出来なかったけど。
九州勢不振だった今年の夏、長崎海星も一回戦負けでしたね。
海星ってハイカラな学校でした。


グラバー園へはグラバースカイロードという斜行エレベーターを使います。
何でも日本で初めて公道扱いになった斜行エレベーターだそうです。


公道扱いのエレベーターはイタリアのジェノバで見たことがあります。
エレベーターだけじゃなくてエスカレーターや無料のケーブルカーもあった。
あ、大阪にもあった!
安治川トンネル、川底をくぐって対岸へ渡るのだ。
あそこに自転車やバイクを乗せられる大型のエレベーターがあった。


この坂を歩いて登るのは骨です。
毎日となればなおさら。


グラバースカイロードの2つのエレベーターを登り切ると絶好のビューポイントです。


神戸は背後に屏風のよう六甲山があるが、長崎は周囲を山に囲まれている。
そして、街の中にもいくつもの丘がある。
長崎出身の大学時代の同級生に、長崎は坂の町らしいね、と問うと、
“(坂)だらけ”、と答えたのを覚えているが、実際に街を歩くと実感としてある。
平らな場所が本当に少ない。
風景に自然と変化が生まれる。
こういう地形に萌える。


活水女子大学を遠望。
え、しつこいですか?



ある晴れた日に、グラバー邸の絵はがきカット。
グラバー園という数軒のいわゆる異人館を集めた庭園の中央にあります。
グラバー園の入場料は600円也。


龍馬伝』でおなじみの武器商人トーマスくんです。


快晴を意味する撮影用語のピーカンの語源は2つあって、ひとつがピース缶。
もうひとつはオペラ『ある晴れた日に』の登場人物ピンカートンに由来するという説もある。


夏休みもあと2日、宿題は済ませたのでしょうね。


おそるべき棒読みの観光案内が聞こえて来た。
グラバー邸の前でガイドさんたちが研修の真っ最中でした。
おそらく20歳前のルーキーたち、緊張が伝わってきます。


グタバー園の中に長崎伝統芸能館(?)みたいな展示館がある。
しばし、「長崎くんち」のフィルムを見ながら涼む。
展示してあるのは実際に「長崎くんち」で使用する船。


グラバー園から出てすぐに振り返ると大浦天主堂が…!


大浦天主堂下」という名前の停車場。
ここから路面電車眼鏡橋方面へ移動します。
長崎の市電はどこで乗ってもどこへ行っても120円と格安。
しかも、この市電だけでたいていの観光地へ行ける。


市内中心部、盛り場の「思案橋」周辺を走る路面電車
こういう古い車両の方が趣はありますが、上のモダンな方が乗り心地は断然よろしい。


市内のあちこちに奇妙な料理の看板が…。



路面電車で公会堂前という電停で下車する。
近くを流れる中島川に19のストーンブリッジが架かっている。
長崎観光で僕が来たかった場所が3箇所あって、この石橋群がその一つ。


日本の街の中心に石で造った橋ばかり19も架かってるなんて素敵じゃないですか。
古代ローマ都市とか漢詩に出てきそうな中国の江南地方の街とかを連想する。
だいたい石で橋を造るというのは日本の発想じゃない。
この中島川のすぐ山側に寺院群がある。
唐寺と言われる中国人が興した寺だ。
この石橋群はその中国人の指導で建設が進められたという。
確かに石で橋を架けるというのは簡単ではない。
考えてみれば石橋はどんな工法で架けるのか? 
21世紀にiPhoneを使う僕にも確かなことはわからない。
世の中にはそういうことだけらけなのだ。


有名な眼鏡橋です。
石橋群のなかでも最古の橋だそうだ。
興福寺という唐寺の2代目住職 黙子という人が17世紀に建造したもの。
黙子は建築技術者でもあり度々の水害で木造の橋が流されるのを見かねて造ったのだとか。
ちなみに日本最古の石橋は琉球王国(今の那覇市)にあったが沖縄戦で破壊されてしまった。


前述の太田和彦『ニッポン居酒屋放浪記 疾風編 』にこの石橋群の記述がある。


   寺町を下ると中島川の石橋群に出た。
   寛永十一年(1634)に造られた日本最初のアーチ型石橋の
   眼鏡橋をはじめ、全十九橋が次々に重なる。
   昭和五十七年七月の大集中豪雨は262人の犠牲者を出し、
   この石橋群も崩壊したが今みごと甦り美しい景観をつくっている。  
                                 (74頁)


1982年7月、僕らの世代にとって記憶に新しい長崎の大水害。
集中豪雨と聞くと長崎や諫早を思い浮かべる。


橋と橋の間が極端に短い。
橋が密集していると言ってもよい。
これだけの数が必要だったというわけでもなさそうだ。
眼鏡橋が出来て以来、町の有力者や寺院が競って架けたそうだ。
合理ではない。
球速に失われつつある洒落や粋が支配する風景。
長崎 中島川石橋群、いいです。


眼鏡橋のたもとでおばちゃんが売っていたアイスを買う。
長崎ではチリンチリンアイスというらしい。
http://www.chirinchirinice.com/
へらですくって盛ってくれる。
バラか牡丹の花のように美しい。
そしてライトなジャパニーズ伝統冷菓です。
秋田のババへらアイス、高知のアイスクリンと同系統かな。
長崎のが一番あっさりしてた。甘ったるくなくて好きです。
いまだに100円が嬉しい。
炎天下の長崎、わずか2分ほど、歩いて50メートル、蒸発するように消えました。
優しく、はかない味でした。



眼鏡橋を渡り寺町の寺院群を訪れた。
ここも来たかった場所のひとつ。
太田和彦『ニッポン居酒屋放浪記』を読んで来ようと決めた。
太田さんが長崎のバーで知り合った美女に勧められた穴場である。
結論、ここはよかった。
大正解だった。
長崎の丘に建つこの中国寺院で、僕はひとりで1時間ほど過ごした。
誰一人会うことがなかった。
得難い体験だった。
境内に白い百日紅さるすべり)が咲いていた。
その下に斎藤茂吉の歌碑(石碑)があった。


    長崎の 昼しずかなれば  唐寺の  思いいづれば  白き百日紅の花  茂吉


まさにこの歌にドンピシャの夏の昼下がりだった。
よき時間が過ごせたことに感謝します。 



  十七世紀、長崎在留の中国人がキリシタンの取り締まりに対し、
  そうではない証明として建てた中国式寺院 唐寺は、元和6年(1620)に、
  揚子江 三江地方の中国人により造られた興福寺が最初という。


  寺町から興福寺参道に入ると、一対の巨大なソテツ古木を石畳左右に配し、
  大雄殿が悠然と建っていた。高い外回廊にかぶる大屋根の反り、
  壁一面の精巧な連続幾何学模様の透かし彫りは明らかに中国のものだが、
  すっかり彩色が落ち、古びた相貌は奈良大和の古寺にも通ずる閑寂なたたずまいだ。
  長崎に、いや日本にこんな趣き深い中国寺があるとは知らなかった。
  長崎に根づいた中国文化の奥深さがしのばれる。
  ヒナガタさんの趣味はなかなか渋い。


                (『ニッポン居酒屋放浪記 疾風編』より)





興福寺を出て100mほど歩いただろうか。
三つの目的地の最後はこのお寺、正確に言えば、このお寺の墓地です。


寺の名前、何と読むのか?
ふりがなも無いし、近くに誰も人がいなかったので聞けずじまい。
そう、ここにはあの『龍馬伝』でおなじみの長次郎、近藤長次郎さんのお墓がある。


長崎特有の地形、墓所も急な斜面にある。


  きみは両手に花を抱えて 急な坂をのぼる 
  ぼくの手には小さな水桶 きみのあとに続く


          (クラフト「僕にまかせて下さい」)


そんな歌が思い出される風景。


龍馬の筆による「梅花書屋氏墓」の文字。
長崎を見下ろす高台に長次郎さんの墓があった。
強い向学心と想像を絶する努力の末、あなたは長崎にたどりついた。
土佐から遠く長崎で果て、さぞや無念だったでしょう。

供え物のお酒を忘れたことを悔やむ。



人生初のトルコライスを本場で食す。
しかも、たまたま通りがかったのが発祥の店とされる思案橋の洋食『ボルドー』。


特急『かもめ』で帰る。
有明干潟諫早湾をはさんで威風堂々の雲仙普賢岳
左端の最高峰は溶岩ドームの平成新山、あの1990年の噴火までは存在しなかったピークだ。








以下、忘備録。

長崎の歌には雨が降る。
長崎物語、思案橋ブルース、長崎は今日も雨だった、長崎慕情、長崎の夜はむらさき、
でも、長崎ブルース、長崎の鐘、あの娘と長崎、では降ってない。



平和記念公演や浦上天主堂


この美しい街に1945年8月9日が訪れた。


  こよなく晴れた 青空を
  悲しと思う せつなさよ
  うねりの波の 人の世に
  はかなく生きる 野の花よ
  なぐさめ はげまし 長崎の
  あゝ 長崎の鐘が鳴る