ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2012/1/5 法王の死

今日も寒い。
きのうは太陽が1年でもっとも地球に近づく「近日点通過」の日だった。
なのに寒いとはどういうことだ?


足裏にマメが出来そうな感じ。
今日はロードバイクで走ることにする。
幸いにも風は弱めだ。
西宮のヨットーハーバーを折り返し、芦屋浜へ渡り、海沿いを走る15キロコース。
春から夏にかけては楽に走れたのにけっこうキツい。
冬キラシリーズ、南芦屋浜の人工ビーチで一枚撮る。


…今日から仕事、ニュースデスク初めです。
イチローとムネリンの仲良し自主トレ、アニキ&アライさんの広島兄弟自主トレ。
最近はこういうツルんでやるのが流行りでんな。


高校サッカーはベスト8激突!
いま地元の市立西宮、もと地元の中京大中京を応援する。
が、西宮は2点先制するも大分に大逆転負け、中京大中京はPK戦で四中高に敗れる。
高校ラグビーは準決勝、ベスト4激突!
東福岡が大阪常翔学園を圧倒、なかでも大型フルバック藤田が規格外のパワー。
彼は京都出身なんですね。
奈良の御所実業も頑張ったが東海大仰星に及ばず。
花園に決勝見に行きたいが…7日は浪曲寄席だった。


バレーボールの松平監督の訃報がファックスで届く。
松平康隆氏 81歳 松平氏は僕ら世代の中で今も松平監督であり松平会長である。
『ミュンヘンへの道』は永遠のレジェンドである。
稀代の戦略家、日本の速攻、コンビバレーは松平、猫田、木村で完成させたと僕は思っている。
ミュンヘン五輪後に監督をやめ、日本バレーボール界のドン(首領)となる。
男子バレーを人気スポーツにすべくプロデューサーとしてスゴ腕をみせた。
僕がバレーを取材してた頃、会場に現れると周囲がざわめき、オーラが感じられた。
ヨハネ・パウロ2世に雰囲気が似ていたので記者仲間では“法王”と呼んでいた。
バレーボールの解説は常にキャッチな表現で試合を盛り上げた。
会長時代に2回、第一線を退いたあとに1回、インタビューさせていただいた。
新人の評価を聞くと「ラオピンの再来だね」とか「3年後には世界のエースになるよ」とか、
いつ聞いてもテレビで使いやすいコメントを出してくれた。
手元にあるアサヒグラフ ミュンヘン五輪増刊の記事。
「記者会見で、松平監督は『私のバレーが世界を制した』と胸を張った」
衒いのない自負、実に明解で気持ちがいい。
         


巨星墜つ、という思いだ。
ヒロが、でも猫田や南や、中村祐造より長生きしたね、と言う。
追悼の意をこめてYou-Tubeでこの歌を聞いた。
  


…デスク終わりで久々に『白頭園』へ行く。
箱根駅伝で芦ノ湖のゴール&スタートの中継を担当したA藤が帰阪、
A木、Uデスクと4人、なりゆきの新年会となる。
珍しく『白頭園』は空いていて客は僕ら4人だけでした。
グラスビール1杯と赤ワイン2杯。
箱根駅伝の裏話を聞きながら焼き野菜でヘルシーに飲む。
〆は絶品の牛肉上ハラミを2切れずつ。


焼き野菜、今回のヒットは、ロマネスコというイタリア産のカリフラワー、
花ッコリーというブロッコリーとサイシンの交配品種、西洋野菜と中国野菜の合体です。
あいかわらずジャンボマッシュルーム、アピオスは旨い。
どうです、この焼き色。