あの日から17年が経った。
去年の1.17の日記を見返す。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110118/1295282972
一昨年はアメーバ腸炎をドカンと叩くべく、副作用のプチ鬱と闘いながら投薬治療中だった。
4年前は花園ラグビー酒場を巡るドキュメンタリー取材に悪戦苦闘していた。
6年前は先日七回忌を終えた義父が亡くなった年だ。
そうしてずっと遡っていくと1995年の1.17につながっていく。
あの日から地続きで今がある。
今日の阪神間はおだやかな冬晴れの一日だった。
きょう、愛読しているブログ『神戸ポダリング日記』に詩が紹介されていた。
http://ozunu.exblog.jp/17231154/
詩人で劇作家のEdna St. Vincent Millayという人の作。
17年目の僕らの心に深くしみる。
訳詩を拝借させてもらう。
表題は、Lament(嘆き、あるいは哀歌)、日本語訳はブログの主によるものです。
お聞き子供達、お父さんは亡くなったのよ。
お父さんの着ていたコートで、
おまえには小さいジャケットを作ってあげましょうね。
おまえには小さいズボンを作ってあげましょうね。
お父さんのはいていたズボンから。
お父さんがいつもポケットに入れてたもの。
小銭や鍵の束。
タバコの葉にまみれている。
ダン、おまえには小銭をあげましょうね。
貯金箱に入れておくために。
アン、おまえには鍵束をあげましょうね。
チャラチャラ音を立てて遊べるように。
人生は先に進めないといけないから。
そしてやがて亡くなった人も忘れ去られるでしょう。
良い人は亡くなるけれど。
アン、早く朝ご飯食べなさい。
ダン、お薬を飲むのよ。
人生は先に進めなければならないの。
どうしてだかお母さんにもわからないけれど。
シンボルスカの『始まりと終わり』を思わせる。
http://www.haizara.net/~shimirin/on/akiko_03/poem_hyo.php?p=5
名詩だと思う。
あの戦争のあとも、1.17のあとも、3.11のあとにも、人生は続くのです。
「先へ行こう」
…図書館からメールが届き、予約した本が貸出し可能になったから取りに来いとのこと。
通勤途中に中央図書館に寄る。
町田康『告白』、樋口明雄『ドッグテールズ』、そしてもう一冊は浪曲の本だ。
タイトルだけを見て予約したが実物を見て驚いた。
正真正銘の“古書”である。
本来なら禁帯出という扱いの本ではないだろうか。
明治生まれの祖父の本棚にあるべき本だ。
僕ごときがデイパックに入れて持ち帰っていいものだろうかと尻込みする。
奥付を見る。
昭和31年1月15日印刷
昭和31年1月25日発行
とある。
半世紀以上前の発行。
僕の生まれる前の本だった。
定価は150円、果たしてこの当時に高かったのか安かったのかは不明。
パラパラと読む。
浪曲の台本の前に、浪曲の歴史、古今東西の浪曲師の紹介がある。
「現代浪曲家の芸歴」という項に二代広沢虎造、二代玉川勝太郎、二葉百合子ら名がある。
これを読むと著者の江口鉱三郎は広沢竜造という元浪曲師で広沢虎造の弟子であったが、
咽を痛め作家に転身したとある。
本の裏表紙に貸し出しカードが入っているのが懐かしい。
…デスク3日目。
明日、明後日とオフで金曜日から手術のため入院する、
A部氏と『よしむら』へ行く。
よこわの造り、豚トロと庄内野菜の塩炒め、先付けに蒸し穴子。
長崎から入った自家製の塩鯖に感動。
どの料理も写真が撮りたくなるほど美しい。
雰囲気は庶民的でも料理はハイクラスの居酒屋です。
カウンターはあいかわらず満席でした。