2012/1/18 そんなもんなの?

玉戸さん、あした遊びに行ってもいいですか?」
「迷惑だけど来てもいいよ」


というわけで天理市郊外在郷の玉戸翁66歳に会ってきた。
2006年2月、入之波温泉の山鳩湯に泊まった帰りに車で寄った。
会うのは6年ぶりになる。
年賀状は毎年もらう。
手書きの味のある書状のことは元旦の日記に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20120102

ね、いいでしょ?


玉戸さんは仕事の大先輩だ。
かつては映画会社に勤務し、その後はフリーのディレクター、構成作家となった。
京都の銀閣寺の近くで暮らしていたが奥さんを癌で亡くし一人になった。子供はいない。
その後、数年は同じマンションに一人で住んでいたが仕事を辞め天理の実家に戻った。
3年後、同居していた老母を亡くし一人になった。
(ちなみに玉戸さんは1945年8月20日生まれ。日本の敗戦を待ってこの世に生まれてきた。戦後生まれとしては最年長だ)
天理での独居歴は10年になるそうだ。
僕の唯一と言って構わない年長の知人でもある。


今、僕の回りは年若の人ばかりになった。
仕事関係でもプライベートでも自分が最年長であることに気がつく。
30代のあるときまで仕事仲間では自分が最年少だった。
不思議なことにある日を境に逆転したような感覚がある。
ポジがネガに反転するように、あるいはオセロが白から黒に変わるように。
そんなことは実際にあり得ないのだが。
玉戸さんにその話をすると、そーなんだよ、と同意してくれた。


箱根駅伝の中継で妻夫木聡がエレベーターに乗る黒生のCMがあった。
64階で下りると64歳の北野武がいて生ビールを飲んで話を聞く、というやつ。
あの設定って面白いと思った。
たけしの話は意味不明だったけど。
http://www.youtube.com/watch?v=N0E20In7pGo


玉戸さんに会いに行くとき、自分が妻夫木くんのような青年の気持ちになっている。
同種の職業、同じフリーランス、子供なし。
今回、エレベーターは66階で停まった。
ビールは飲まなかったけどしばらく話を聞いて、じゃあまた、とエレベーターに乗る。
また来いよ、迷惑だけど、と玉戸さんが言い扉が閉まる。
僕も54階で年若の友人を迎えねばならないのかな。


銀閣寺のころは毎年秋に行ってた。
あの頃、僕は独身、玉戸さん曰く、バランスの悪い青年、だった。
冒頭の、迷惑だけど、は当時からだった。
土産に僕の好きなウイスキーを買っていった。
旨いウイスキーら買って来ましたと渡したが、帰りに持っていけと言う。
「塩田があんまりいい酒だ、いいウイスキーだ、って言うから 持って帰れって言ってやったよ」
玉戸さんが言ってたと後日友人から聞いた。


前置きが長すぎる?
玉戸さんは普通にお元気でした。
そりゃ66だから相応にしょぼくれてはいたけど。
昔はダンディで映画俳優みたいだったが味のある老優になったという感じ。
6年前とそれほど変わったところはない。


「一人暮らしってのはけっこう忙しいんだよ」
天理の商店街まで自転車で買い物へ行く。
三度の自炊をする。
食器を洗う。
ゴミを捨てる。
珈琲を淹れる。
飲む。
マグカップを洗う。
洗濯をする。
干す。
取りこむ。
「独居老人なんて暇そうに思うだろけど違うんだよ」
風呂を沸かす。
風呂に入る。
浴槽を洗う。
お金を下ろしに行く。
手紙をポストへ入れる。
「ちょっと誰かにたのむってのが出来ないんだから。
 補欠がいないんだよ。ずっと試合に出続けてないとダメなんだよ」


おまけに今、町の民生委員をしている。
その前の2年は区長を勤めていた。
いつかの年賀状に、
「今は迎春準備のため、連日地元の神社に通う日々。
 これが意外に新鮮なものに映り始めた。
 信仰にめざめたんじゃない、田舎にめざめたたんだ。」
とあったがそういうことだったのだ。
村の役を続けていると仲間が出来る。
他の家の家庭事情を知るようになる。
それが面白いんだ、と近所の人の話をしてくれる。
田舎ってのは凄いよ、と。
佐々木譲の駐在警官シリーズ『制服捜査』を思い出した。
語り口も昔と変わらない。


「今日は俺がおごるからな」と真面目な顔で言う。
年金生活者にご馳走にはなれませんよ、なんて言うと怒られそうだ。
歩いてすぐの国道169号沿いにある食堂へ連れて行ってくれた。
「選択の余地なし、ここしかないんだよ」
店は仕出し弁当の準備で忙しそうだった。
奥の座敷で豪華な昼定食と瓶ビール中瓶をご馳走になった。


「俺は(パソコン)やらないから知らなかったけど、
 俺の名前をパソコンで検索すると、
 古いアニメの脚本家として出てくるらしいんだよ」
iPhoneで検索すると出てきた。
チャージマン研』という70年代のアニメだった。
学生時代にシナリオ研究会の仲間に頼まれてやった脚本だったらしい。
IT時代に突如過去がよみがえってきたような感覚らしい。
主題歌の作詞は女房なんだよ、と言う。


僕が浪曲にハマっているという話をすると、
昔の歌謡曲で途中から台詞が入るのが多かったのは浪曲の影響があったかもしれんなと言う。
それで思い出した、と玉戸さん。
由紀さおりの『1969 』というアルバムに入っているペギー・リーの曲がいいらしい。
CDを見せてもらった。
『 Is that all there is (こんなもんなの?)』という曲。
啖呵(浪曲でいう台詞)から始まる。


   「こどものときだった 家が焼けちゃったの
    あの時のパパの顔、けっして忘れない
    あたしをしっかり抱いて 火の中を逃げ出した
    パジャマのまま立ち尽くし、ただふるえてた
    何もかも燃えてゆくのを見て すべてが無くなった時、
    自分に言ったの 火事なんてこんなもんだったの

    こんなもんなの?」

   ♪そんなもんよ
    さあ 夜明けまで グラスを持って
    それだけのことよ 乾杯
    踊りましょう


帰ってからiTune Storeで一曲だけ買って聞いてみた。
いいなあ。
シャンソン?
由紀さおりの語り(啖呵)が抜群にいい。
人生って、そんなもんですよね。


こちらはオリジナル、ペギー・リーの歌唱。
http://www.youtube.com/watch?v=3VscVP_Gt_s


そういえば由紀さおりがアメリカでヒットしてるってセルジオから前に聞いたっけ。
『1969』というアルバムに入っているのは日米で1969年にヒットした曲。
日本の歌謡曲もある。
『フルーライトヨコハマ』『夜明けのスキャット』『いいじゃないの幸せならば』『夕月』…。

1969

1969


玉戸さんが言う。
1969年のころはちっともいいと思わなくて曲は知ってたけど右から左へ流してた。
でも、このトシになって聞くといいんだよ、何でだろうね。
同感です。
若い頃と今とはセンサーが違うんですよね。
それがいつから入れ替わったのかわかりませんけど。
人生って、そんなもんなんです。


  歩いても 歩いても 小舟のように
  わたしは ゆれて ゆれてあなたの腕の中
             (橋本淳



  あのとき あなたと くちづけをして
  あのとき あなたと わかれたわたし
  つめたい女だと 人はいうけれど
  いいじゃないの しあわせならば
             (岩谷時子



  教えてほしいの 涙のわけを
  見るものの すべてが かなしく見えるの
  夕月うたう 恋のおわりを
  いまでも あなたを 愛しているから
             (なかにし礼


詞がいいですよね。
プロの仕事。
一行目から勝負に出ているような簡潔さ。
むずかしい言葉は決して使わない。



由紀さおりの昔の曲が好きだ。
僕のベスト3は『挽歌』『生きがい』『初恋の丘』です。


  やはりあの人は
  わたしを送りに来なかった
  にぎわう夕暮れ人ごみの中
  わたしはただバスを待つ


  辛くないと言えば嘘だわ  
  あの人のことが気がかりだけど
  わたしは今バスに乗る
           (千家和也
  http://www.youtube.com/watch?v=iPFdQFYF3FM




  今あなたは目覚め 煙草をくわえてる
  早く起きてね バスが来るでしょう
  お茶さえ飲まないで 飛び出していくのね
  からだに毒よ いつもそうでしょ

  ああ あなたと別れた今でも
  ああ 私はあなたと生きているの
            (山上路夫
  http://www.dailymotion.com/video/xapbvo_yyyyy-yyyy_music#rel-page-1



  まぶしく輝く 青い大きな空も
  ときどき私のものじゃないふりをする
  まぶたに浮かんでくるの 初恋の丘
  決して恋などしないと 誓ったのに


  大人になっても ひとりぼっちはつらい
  初恋の丘へ も一度帰りたいな
  お嫁にいくことだけが道じゃないけど
  やっぱりひとりじゃ生きていけないのかな
             (北山修
  http://www.youtube.com/watch?v=N3sVwEgPgUU



どうしてこんな歌が好きなのだ?
理由は聞かないで下さい。
僕にもわかりません。
というか本性を見透かされてるようで。



センサーが過敏になる時期もある。
去年の3月がそうだった。
あれが異常だったとは思わない。
もしかしたら普段が鈍感になっているだけかもしれないのだ。
3.11以後、心を強く揺さぶられた曲がある。
どれもライブで聞いた曲だった。


3.21 神戸松方ホールでのコンサート。
アンコールで歌った長谷川きよしの『愛の讃歌』


   たとえ空が落ちて 地が裂け崩れても
   ただお前だけを 愛する私
             (訳詞 長谷川きよし




3.23 甲子園球場で聞いた選抜の大会歌。
戸山手女子高校のコーラス隊による『今ありて』


  新しい季節(とき)のはじめに
  新しい人が集いて
  頬(ほほ)そめる胸のたかぶり
  声高(こわだか)な夢の語らい
              (阿久 悠)




4.22 心斎橋クラブクアトロのライブ。
アンコールで歌った浜田真理子の『夜明けのうた』


岸洋子のオリジナル版ですが。



あの震災復興キャンペーンで作られた「がんばろう」や「絆」の歌よりも、
悲しみを認め、悲しみによりそう『愛の讃歌』や『夜明けのうた』に感じるものがあった。
歌の力は凄いな、と感じたのですよ、と玉戸さんに熱く語った。
鬱陶しいなと思われたかもしれない。


話しこんでいたら4時過ぎになる。
自転車だ。
明るいうちに奈良まで帰りたい。
お暇することに。
じゃあまた。
また来いよ、と玉戸さんは言わなかった。
やっぱり迷惑なのだ。



【参考画像】
2000年10月、銀閣寺前独居中の玉戸氏とアル中部長Y田。
今から12年前、今の僕らと同じ年齢の玉戸さんです。