2012/3/10 からだじうが悲しいのだ

朝まで雨が残るが昼から晴れる。
昨日は9時過ぎに寝た。
明け方4時頃目が醒める。
鼻がつまったままで口内が乾き喉がひりひり痛む。
うがいで多少は緩和されるが不快感は残る。
また寝床に入る。
鼻づまりと倦怠感、突然のくしゃみ地獄。
熱はない、と思う。
でも、ヘタに動けばヘタをこく予感。
一夜にして病人気分。
ヒロは友達と大阪城公園へ梅を見に出かけていった。
仕事はない。
きょうは家から一歩も出ないと決めた。


八重の椿が咲く。
英名Camellia(カメリア)、和名は侘助(わびすけ)。
椿の花は花弁を散らさず、首からぽとりと落ちる。
我が家のベランダでクリスマスローズが紫の花を咲かせた。


晴れてるのに引き籠もり。
朝、晴れていたり、元気に海沿いを走ったり出来ることが幸福なのだと改めて思う。
何でもないようなことが幸せだったと思う、って歌があった。
なにを大げさに、なにをシリアスに。
ある日突然世界は変わる。
人の都合や思惑なんてガン無視して。
ぼんやりした頭とぐったりした身体で去年のことを考える。



上間綾乃さんというシンガーの「悲しくてやりきれない」
美人は黒ずくめが似合いますね。黒木メイサかと思ったけど。

悲しくてやりきれない(ウチナーグチ・バージョン) / 上間綾乃




一昨日見たドラマ『火の魚』の原作、室生犀星の小説を読む。
小説『火の魚』は随筆のような一編。
室生犀星が編集者の折見とち子に金魚の魚拓をとらせるまでを描いている。
その魚拓は同じ本に収められている『蜜のあはれ』の表紙に使うものだった。
『蜜のあはれ』は珍しく会話のみで綴られた小説。
その会話も風変わりだ。
主人公の七十歳の作家が会話する相手は金魚の少女なのだ。
ドラマ『火の魚』の舞台となっている瀬戸内の小島や折見とち子の病気の話は一切出てこない。
あのドラマは小説『火の魚』と『蜜のあはれ』をモチーフにして脚本家がかなりの部分を創作したものだった。
インスピレーションを受けて書いた、と言ってもいいくらいだ。
渡辺あやは映画の他にもNHKドラマ『あの街のこども』の脚本も書いている。
彼女は神戸で学生時代を過ごし、西宮の実家は阪神淡路大震災で半壊した。
1995年には24歳、もしかしたらドイツ留学中の出来事だったのかもしれない。


室生犀星の短編集の最後に短い詩が収められている。
「老いたるえびのうた」と題された詩、犀星最期の作であるらしい。
悲しい詩だ。


    けふはえびのように悲しい
    角(つの)やらひげやら
    とげやら一杯生やしてゐるが
    どれが悲しがってゐるのか判らない。


    ひげにたづねて見れば 
    おれではないといふ。
    尖ったとげに聞いて見たら
    わしでもないといふ。
    それでは一体誰が悲しがってゐるのか
    誰に聞いてみても
    さっぱり判らない。


    生きてたたみを這うてゐるえび一疋。
    からだじうが悲しいのだ。

          
          (室生犀星「老いたるえびのうた」)


身体が弱っている時に読むと、老いた作家の悲しみがわかる気がする。
ちょっとだけ。