8時起き、9時にジムで筋トレ。
久しぶりにトレーナーにつく。
1週間以上サボってたのでキツかったあ。
一人だと適当なとこで終わりにするけどわずか1時間でも他人に追い込まれるとキツい。
普段、楽な道ばかり選んでるので追い込まれるとすぐに弱音を吐く。
初めてベンチプレスにトライしたが25キロを上げるのを四苦八苦。
(言い訳すると肩や上腕のトレーニングをやった後だったし)
ダンベルでは1セットも出来ず、「む、無理です」と泣きを入れる。
運動をしてて、突然暗い気持ちになる時がある。
いま、こうして、曲がりなりにも、身体を鍛えることが出来る。
マラソンを走ろうと思えば走れるし、山に登ることだって、自転車で100キロくらいなら走り続けられる。
ラッキーだと思うし、もう55だし、これ以上多くは望んでいるわけじゃない。
そう、今はいい。
暗い気持ちになるのは数年後、十数年後を考えてしまうときだ。
がんばれば少しは筋力がアップして気持ちよく身体を動かすことが出来るかも知れない。
でも、それも数年間限定でのことだ。
いったい残り何年くらいキープ出来るのだろう。
一つだけ確実なことは、今、自分にあるものが時間がひとつひとつ奪っていくのだということ。
何でもないところで蹴躓くようになる。
駅の階段で息を切らせて立ち止まる。
自転車で人を避けきれずにぶつかって転倒する。
今は想像するだけだがその瞬間は確実にやってくる。
いつかは走れなくなり、泳げなくなり、歩けなくなり、立てなくなるかもしれない。
今は大丈夫、今しばらくは。
スコット・フィッツジェラルドが書いている。
「いうまでもなく人生とは崩壊の過程である」
(小説『こわれる』)
誰もいない夜のプールを泳いでいるとそんな暗い思いに囚われることがある。
…午前中にくたくたになって仕事へ行く。
局員の人事異動にともなってデスクの配置換えがあった。
9階から引っ越して来て以来、ずっと居心地のいい端っこの席だったのに、どういうわけか部長席に近くになる。
不可解な配置換えだと部内世論は言う。
リストラが近いということなのだろう。
まあいい。
今までのデスクに10年以上、書類や本やVHSやDVDでカオスとなっていた。
いい機会だと前向きにとらえよう。
捨てまくってやったよ。
でも、この配置案を考えた奴、安楽な死に方はしないと思う。
…昼イチで定例連絡会、そののち今月最後のニュースデスク。
テレビでは電力会社の株主総会と衆議院の消費税法案採決、報道は大忙しだろう。
大げさな節電キャンペーンの末、再稼働を決めた関電総会で大株主の大阪市長がパフォーマンス。
見ていて「これくらいでいいかな?」って感じがしてムカつく。
東電に関してはムカつくどころではなく血圧が上がる。
…また訃報。
ザ・ピーナッツの伊藤エミさんが亡くなっていた。享年71。
ホクロがある方、ジュリーの嫁さんの方です。
一卵性双生児の女性デュオ “ザ・ピーナッツ” 改めて素晴らしいネーミングにうなる。
ピーナッツという可愛い響きもいい。
僕らが幼稚園から小学生のころ、ザ・ピーナッツの歌は巷にあふれていた。
そして、「ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」
我が家に来たばかりのブラウン管にも彼女たちの笑顔があった。
ザ・ピーナッツ、どれも覚えやすいメロディーの名曲だった。
伊藤エミとユミの二人は名古屋出身だった。
♪プティーフルール かわいい花 (可愛い花 1959)
♪小さな胸に 今宵も ひらくわ 情熱の花 恋の花よ (情熱の花 1959)
♪ためいきが出るよな あなたのくちづけに (恋のバカンス 1963)
♪悲しいことも ないのに なぜか 涙がにじむ (ウナセラディ東京 1964)
♪追いかけて 追いかけて すがりつきたいの (恋のフーガ 1967)
♪まるで私を責めるよに 北の新地に風が吹く (大阪の女 1970)
ザ・ピーナッツの初期の歌を聞くと僕は反射的にうしろめたい気持ちになる。
マツダクーペの後部座席、大人たちの足下に当時小学生だった僕はうずくまっていた。
うずくまったまま警察の検問を受けた。
そのとき、あるいは、その前後にカーラジオから流れていたのが「ウナセラディ東京」だった。
♪悲しいことも ないのに なぜか 涙がにじむ
昭和30年代、愛知県の工業都市に住んでいた。
わずかな期間だったと思うが、当時我が家には自家用車があった。
親戚が集まると車に乗って近くの海へ行ったりした。
その頃、自家用車を持っている家庭は少なくドライブは贅沢な楽しみだった。
誰もがドライブに参加したがり、車は慢性的に乗員オーパーとなった。
その夜も若い叔父や叔母たちの中に小学生の僕がまじって乗っていた。
酔っぱらい運転の検問だったのかもしれない。
運転していたのが父だったのか叔父だったのか憶えていないが、警察だ、と誰かが言った。
定員オーバーは明らかだった。
大人たちはすみやかに隠蔽工作にかかった。
リアシートの僕を足下に隠すのだ。
言われるがままうずくまった。
怖かった。
警察をだます。
小学生にとって神に逆らうような所業だった。
車は停止した。
窓を開ける。(もちろんくるくるとアレを回すやつだ)
警察と二言三言やりとりをする。
免許証を見せる。
警察官の懐中電灯が車内を照らす。
絶対に見つかる。
僕は手錠をかけられて逮捕される。
それくらい覚悟した。
はたして無罪放免。
小学生にこんな思いをさせて大人たちを心から恨んだ。
55歳の今になっても、あの曲を聴くたびに思い出す。
♪ 街はいつでも うしろ姿の しあわせばかり ウナセラディ東京
http://www.youtube.com/watch?v=MhsLuvDD79g
今思うとあの定員超過はとっくにバレていたのかも知れない。
警察は知ってて見逃したのだ。
あんなふうに懐中電灯で顔を照らされたら当時10代か20代だった叔父叔母たちの顔色に出ないはずがない。
おそらくあれは酔っぱらい運転の検問を装った労働組合の活動家捜査で、定員超過なんかで検問を止めたくなかったのだ。
60年安保を過ぎて、しばしば街はデモ隊で騒然となった時代だった。
中学生くらいになって教師からそんな話を聞いた。
ザ・ピーナッツの歌を何曲かYou-Tubeで聞いた。
印象に残るのは『恋のバカンス』だ。
宮川泰と岩谷時子の名コンビの作。
旧世代にとってこの旋律はじんじんと胸の奥に響くのだ。
ロシア民謡の短調!
あの「カチューシャ」や「トロイカ」や「黒い瞳」の哀愁の旋律。
宮川泰してやったり、だ。
ロシア語で聞くと、なるほど、と思う。
事実、当時のソ連でも大ヒットしたらしい。
二人が今も健在なら由紀さおりのようにピンクマルティーニと世界ツアーが出来たのに。
追記:この映像、この演奏、この歌唱に涙。
鈴木章治、安田伸、ザ・ピーナッツの3カメショー。
最後に「シャボン玉ホリデー」のワンシーンがあります。
…J1 ガンバー名古屋 永井の2ゴールはいいけれど…。
あの試合の見所は他にあったように思えた。
闘莉王とピクシーを見せたかった。
なんでも五輪代表、ナショナルチーム報道に収斂していく風潮。
わかるけど同調したくない。
地上波テレビはすべて、永井2ゴールで猛アピール! だった。