2012/7/3 半夏生の寺

行くのなら雨の日にしようと決めていた。
先日、京都で飲んだ時、祇園の町でこんなポスターを見つけた。
半夏生の庭園 特別公開 臨済宗大本山建仁寺塔頭 両足院」
http://www.ryosokuin.com/tokubetu/

  


半夏生は「はんげしょう」と読む。
恥ずかしながらこの言葉を知ったのは5年ほど前だった。
有馬温泉の小さな宿に泊まった。
部屋の名前が「半夏生」だった。
「節分」「八十八夜」「入梅」「二百十日」などと同じ雑節(ざっせつ)の一つ。
梅雨の末期で多湿で不順な頃とされ、農家はこの日までに田植えを済ませ、
どんな気候不順な年でもこの後は田植えをしないという習慣があったという。
http://koyomigyouji.com/24-han.htm
何よりも「半夏生」という文字、「はんげしょう」という音の響きに心惹かれるものがあった。
ポスターで半夏生という植物があると知った。
7月はじめ、半夏生の頃に満開になるという。
梅雨の花を見るなら雨の日がいい。
ヒロを誘うが、まだお出かけする気分にはなれない、ましてや雨なんて、と言う。
ならば、と一人で出かけた。


…いつものようにコンデジで写真を撮る。
建仁寺はたいていの場所で撮影OKのお寺だ。
撮影禁止なら禁止で仕方ないが、撮っていいと言われたら撮ってしまう。
ただし備忘録、メモ替わりなので画質は今イチです。
例によって絵日記ならぬ京都フォト日記。
ネットで調べれば判るお寺のウンチクをだらだらと書くより自分で撮った写真がいい。



小雨の建仁寺、境内にある老木に見事なまでの苔が育つ。
  



禅宗の寺院には敷地内にいくつもの「塔頭(たっちゅう)」がある。
wikiにこう説明がある。
塔頭は、祖師や高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)、または、その敷地内に建てた小院である。
転じて、寺院の敷地内にある、高僧が隠退後に住した子院のことも塔頭と呼ぶようになった。
写真は建仁寺の塔頭のひとつ、西来院(せいらいいん)。
塔頭は○○院、○○庵、などと呼ばれる。

  


ここが半夏生の寺 「両足院」、りょうそくいん と読みます。
開祖は建仁寺第三十五世の龍山徳見(りゅうざんとっけん)という僧。
650年前ですから14世紀、足利尊氏の治世、室町時代のことです。
建仁寺は建仁2年、鎌倉時代に建立されたお寺です)
  


特別拝観料は600円。
受付の後ろに丸窓がありました。
丸窓を見ると条件反射的に写真を撮ってしまう。
  


本堂をぐるりと回り込む。
半夏生の庭だ。

  
  
白花は今が盛り。
咲き誇る、ではなく、ひっそりと咲いている。


池辺を彩る白い花、半夏生絶滅危惧種であるという。
緑の中に純白、上品なコントラスト。
  


書院より庭園を眺めるの図。
雨模様、午後遅い時間、拝観客は少ない。
一人になる時間もあった。
おじいさんのボランティアがガイドしてくれる。
説明がときどきフリーズして申し訳ないがイラっとする。
  


雨の禅寺、小一時間ほど静かな時を過ごせた。
  


両足院に庭が作られたのは江戸時代のはじめ。
以後の400年ほどのこの庭の歳月に思いをはせる。
幕末の志士たちも、新撰組会津の藩士も、あるいは昭和の戦争で出征していった兵隊たちも、
この梅雨の季節に、この庭を、この白花を、見たのだろうか。
昭和20年、その年の七月、死地へ赴く前に満開の半夏生を見た青年学徒がいたのだろうか。
半夏生の寺』
伊集院静浅田次郎あたりがそんなタイトルで小説を書きそうな気がする。


   


拝観後、花見小路や八坂神社、新橋あたりを散策。
『遊亀』で独酌し、ほろ酔いで阪急電車、帰途につく。
四条大橋から北を望む。

  


次の京都散歩は洛西、嵐山や嵯峨野を攻めたい。