…その壱、春風と桜
けふも桜、明日は嵐の予報なので名残を惜しもう。
広田神社の前にある池の堤に咲くソメイヨシノ。
土手に枝の影がテキスタイルのような網模様をつくる。
いたずらな春風に歌舞伎の舞台のように花吹雪が舞う。
あわれ花びら流れ おみなごに花びらながれ (三好達治「甃(いし)のうへ」)
桜の花の下で遊ぶこどもの画を見ると木下恵介の映画「二十四の瞳」を思い浮かべます。
小豆島の春、見習い教師 高峰秀子の懸命さと子どもたちの悲しき運命を思う。
日本映画史上もっとも美しいモノクロームの世界。
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…その弐、春風と躑躅
昨日、荒地山への道に咲き誇っていたコバノミツバツツジ。
その群落で有名な広田神社、ロードバイクで15分ほどの近さなのに初めて来た。
阪神タイガースの必勝祈願でおなじみの神社。
(なぜか阪神はキャンプ終わりで広田神社、オープン戦中に西宮神社と二度必勝祈願する)
広田神社は西宮神社と双璧をなすだけあって立派なお宮でした。
咲き誇るコバノミツバツツジ、おっさんが歩くにはこっぱすかしいほどのピンク色の花の小径。
本殿の横につるされた沢山の絵馬が春風にパタパタと音をたてている。
絵馬に書いてある願いごとを読む。
「○×養護センターの臨時職員に採用されますように」(41歳の女性)
「お母さんに仕事がありますように」(9歳の女の子)
つつましくも切実な願いに思わず泣きそうになる。
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…その参、春風と拉麺
西宮にある青森煮干し中華の店「なかた屋」で煮干しラーメン中(600円)を食べた。
僕はそれほどラーメンに食指は動かない方だが魚出汁系のラーメンだけは大好きです。
釧路のまるひらラーメンで魚系出汁の醤油中華そばにハマった。
ここ なかた屋 の煮干しラーメンは極シンプル、あっさり、魚の出汁が濃厚、僕の理想の中華そばでした。
鶏系、豚骨系、ニンニク系のラーメンが好きな人には物足りないかなと思う。
チャーシューもレアっぽくて脂が少ない。
デフォルトで注文すると中太ストレート緬だったけど細ちぢれ緬も選べる。
次は細麺にしよう。
確かまるひらラーメンも細ちぢれ麺だったような。
「なかた屋」は青森や弘前にあるらしい。
2003年の冬、青森で冬季アジア大会がありBS1の番組で青森に10日ほど滞在した。
そのときに何度かラーメン屋に足を運んで憶えた味だ。
飲んだあとの締めにあっさり系スープがよく合った。
天満にある「玉五郎」も魚系だけど背脂が入ってちょっと脂っこい。
食べるときの体調によりますね。
お店は新しくてシンプルで何よりも清潔です。
50代くらいのおかあさんと20代後半から30代前半の若い美人(彼女がラーメンをつくっている)、女性二人で切り盛りしてました。
二人とも気持ちいい対応でファンになりました。
煮干しの他には、背脂のせ、塩煮干し、つけ緬がある。
次は煮干しの細ちぢれ緬、その次はあじ節塩中華、その次は背脂濃厚魚介だし……毎週通いたい。
でもお昼のみの営業なんですよね。
確かラストオーダーが1545だったような。
食べ終えて外へ出る。
火照った顔を春風がそよっと撫でる。
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…その四、春風と珈琲
芦屋の読書カフェ『麓(ろく)』で珈琲を飲む。
読書カフェとは誰かがブログで勝手につけていた呼称です。
「なかた屋」から山手幹線を西へ走る。
JR芦屋駅の手前を少し山側へ登り阪急の線路を越えたところにある。
http://www.palashio.com/gourmet/cafe/11.html
草屋根のある小さなカフェ。
1階にカウンターと大きなテーブルがある。
アントニオ・ガウディの作品のような曲線の階段を上がるとテーブルが二つ。
屋根裏の隠れ家のような空間で少し苦めのコーヒーを飲みながら本を読む。
ときおり山から海へと吹く風が部屋をぬけてゆく。
猫の額のような小さなテラスには散水用のホースと鉢植えが一つ。
クリスマスローズの花が春風にゆれている。
阪急電車の走行音が風を突いて戻ってくる。
帰ってネットで口コミを見ると僕の座った2階は競争率が高いそうな。
運が良ければ座れます、とある。
寒い日や雨の日には1階奥の大テーブルがいいかもしれない。
でも、そんな日には来る足もないな、と気がつく。
今日の足はGiant のフラットバーロード。
蔦の壁に立てかけた。
けっこう似合うんじゃないかな。
もちろんイタリアやフランスのビンテージロードがベストだろうけど…。
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…その五、春風と清貧
ドキュメンタリー映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』を梅田ガーデンシネマで見た。
始めるまでは眠くもなかったのに開始3分で寝た。
映画のせいじゃない。
ナルコリプシー?
まあいい。
20分後くらいに目が醒めた。
そこからは憶えている。
大きな損失ではない。
消息不明のかつてのスターを捜す「○○を探して( Searching for ○○)」というドキュメンタリーの手法は何がオリジナルだろう?
「デブラ・ウインガーを探して」だろうか。
もともとは「ミスター・グッドバーを探して」のタイトルのパクりだったのだろうか。
誰かご存知ですか?
「シュガーマンを探して」はある種、アメリカンドリーム的な話です。
WEBページのあらすじです。
1968年、ミシガン州デトロイトの場末のバーで、ロドリゲスという男が歌っていた。
その姿が大物プロデューサーの目にとまり、満を持してデビューアルバム『Cold Fact』をリリースする。
しかし将来を渇望されるも、2枚目のアルバムも含めて商業的には大失敗に終わる。
多くのミュージシャン同様、ロドリゲスも誰の記憶にも残らず、跡形もなく消え去った。
しかし運命に導かれるように海を越えた音源は、反アパルトヘイトへの機運が盛り上がる南アフリカの地へ渡る。
ロドリゲスの音楽は体制を変えようとする若者たちの胸に突き刺さり、革命のシンボルとなった。
その後、南アフリカでは、20年に渡って幅広い世代に支持され続け、ローリング・ストーンズやボブ・ディランより有名なアルバムとなる。
しかし、ロドリゲスがその後どうなったのかを、誰も知らなかった。
残されたのは、失意のうちにステージで自殺したという都市伝説だけ。
アメリカで無視されたロドリゲスの音楽は、なぜ同時代の南アフリカで熱狂的に受け入れられたのか?
ロドリゲスはどこへ行ってしまったのか?
南アフリカの熱狂的ファンがロドリゲスの運命を探る調査を始めると、そこには驚くべき真実があった……。
以下、ネタバレになります。
音楽に限らず、絵でも、俳優でも、スポーツ選手でも将来を期待されて失敗に終わるシンガーは大勢いた。
この映画が僕の胸を打つのはシクスト・ロドリゲス、その人の人間としてのたたずまい、生き方だった。
ロドリゲスは若くして音楽業界から姿を消します。
その後、工事現場で日雇いの肉体労働で稼ぎ、子どもたちを育てる。
お金も名声も求めることなく、貧しいワーキングクラスの人の声になろうと、デトロイトの市議会議員に立候補したりもする。(何度も落選する)
誰もやりたがらないような、3Kの仕事を率先してやり、ギターを弾き、歌を歌い続ける。
その孤高の生き方は都会の片隅に棲む清貧な聖人のようでもある。
彼は南アフリカでコンサートに出演し巨額のギャラを手にしたはずだった。
彼はクルマにも乗らず雪の積もった冬のデトロイトをひょうひょうと歩いていく。
こういう人って稀にいますよね。
今年の長編ドキュメンタリーでオスカーを獲得。
彼の生き方は変わらないだろう。
読後感がさわやかです。
つつましいハッピーエンドが何とも清々しい。
佐々木俊尚氏がコラムに書いている。
映画の隠れたテーマは「承認されないことの切なさからどう逃れるのか」だということだ。
私たちはいつも「人から認められたい」「自分の能力を知って欲しい」というような承認欲求の虜(とりこ)になっている。
インターネットが普及して誰でも自分の意見を発信できるようになり、そういう欲求はますます高まっているように思える。
でもロドリゲスは自分はまったく知らなかったけれど、どこかで小さなできごとを引き起こし、
それが歴史の中で少しずつ繋がっていって、最後は大きな物語へとつながっていく。
私たちの承認欲求は、いまこの現在ではなかなか満たされない。それはつらいことなんだけれども、
でも自分が生きて何かの行いをしているということは、どこかで誰かに影響を与え、誰かの人生を小さく変えているのかもしれない。
それに気づかなくたっていいじゃん。そう思うようにしようよ。
そう考えれば、私たちはこの空虚な人生を少しでも意味のあるものとして受けとめられるかもしれない。
確かに。
自分の知らないところで誰かが自分のこと見ててくれて、それを十年以上経ってから知らされるってこと、ないわけじゃない。
ちょっと疑問もある。
南アフリカで社会現象になるくらい有名なミュージシャンがいるってことが世界に伝わらなかったのだろうか?
それくらい1980年代のアパルトヘイト時代は隔絶されていたのか。
たとえば北朝鮮でブラジルの売れないシンガーが大ブームになったりするみたいなものかだろうか。
…映画終わり、新梅田食道街のマルマンでスパゲッティとよく冷えた白ワインを一杯だけ飲む。
帰宅後、プールで30分ほど歩く。
明日は日本列島は春の嵐だとテレビやネットで大騒ぎ。
どうなんでしょ?