2013/6/1 海市を歩く

【行動メモ】
午前中はばあばあ(義母)の一回忌の法要。去年、通夜と告別式をした天八の玉泉院に親戚10人が集まる。
式場で昼ご飯を食べて、明日のハーフマラソン出場のためJRの新快速で敦賀へ移動する。
駅前のマンテンホテルにチェックイン、夕方5時前から小一時間ほど敦賀の街をジョギングする。
明日いっしょにハーフを走る編成Mはすでに気比の松原まで12キロ近く走っている。
夜はMの友人である敦賀在住のY氏の案内で地の魚で飲む。


敦賀の海沿いにある赤煉瓦倉庫。
かつては“花なめ背景ぼかし”の構図がマイブームだったが最近は“望遠手前ひっかけ”を好む。
  


学生時代は金沢に住んでいたから敦賀には何度か途中下車した。
働き始めてからも小樽行きのフェリーの発着港として何度か訪れた。
僕の敦賀という街のイメージはひたすら暗い。
闇の比率の多い街だ、と当時の旅日記に書いている。
暗くて湿気があって、寂しい。
だからといって敦賀を忌み嫌っているわけじゃない。
打海文三に「ハルビン・カフェ」という長編小説がある。


   福井県の西端にある、海市(=蜃気楼の意味)という、
   いささかロマンチックな名前を与えられた新興の港湾都市
   凶悪犯罪の多発により、警官の殉職率が東京をはるかに凌駕するレベルに達したとき、
   それが熱病を呼んだ。市警察の下級警官の一部が地下組織をつくり、
   マフィアに報復テロルを宣言して、法の番人自らが法秩序を脅威にさらしたのである。
   彼らは、『P』と呼ばれた。
   打海文三が真価を発揮した最高傑作渾身の書き下ろし1000枚。

                  

ハルビン・カフェ

ハルビン・カフェ


僕の中で「海市」はずっと敦賀だった。
敦賀は歴史のある港湾都市で新興ではないが…。
ハルビン・カフェ」はなかなか雰囲気のある犯罪小説だった。
徹底した書き込み、心理描写、情景描写。
これでもかと登場人物を無計画にまき散らし、事件に巻き込み、
最後の7日間にそれらを一箇所に集中させる手法。
映画「バグダッドカフェ」、福永武彦の小説「海市」、
候孝賢の映画「非情城市」、ダシール・ハメット「血の収穫」
これらのエッセンスがこの物語を形作っている。
誰にでもオススメというわけにはいかない。


   石川ルカが洪孝賢とはじめて会ったのは、十八年前の、うだるような残暑の九月、
   海市警察が老沙の紅旗路で中国マフィアを二人射殺した夜だった。
   そのときのルカは、永浦二丁目の通称リトルウォンサンで客を物色中の、
   どんなサービスにも応じる用意がある六歳の街娼だった。
                      (打海文三ハルビンカフェ」より)


もし、この冒頭の一節にただならぬ雰囲気を感じ取ったらご一読を。


走ったり、歩いたりして6キロちょっと散歩する。
駅は港から離れた内陸にある。
戦前の旧敦賀港駅は海沿いにあった。
今の門司港駅みたいなどん詰まりのターミナル駅だったらしい。


  


かつて栄華を極め、今はゆっくりと滅びゆく都市に惹かれる。
遠洋漁業で栄えた宮古石巻に震災前に行った。
そんな街の古い銭湯へ行ったりする。
時間が止まったまま何も新しいものがない。
老夫婦が二人だけで暮らしているようなたたずまい。
敦賀にもそんな銭湯があったはず。
以前、セルジオから聞いた…。


  


駅前のマンテンホテルは新しい。
新しく、清潔で、アメニティーも充実、大浴場もある。
地元の人によると敦賀原発の新設を当てこんでホテルの建設ラッシュがあったとか。
駅前の一等地には東横インもルートインもあった。
地元の人も「原子炉の新設なんてもう無理でしょ」と話す。
写真右上は大通りにいくつもあった「銀河鉄道999」のオブジェ。
かつてヨーロッパ行き鉄路の日本の出発点だった敦賀をアピールするものらしい。
鳥取境港のきたろうロードみたいだ。
中段の写真は夕方の敦賀港、船の発着もなく眠っているようだった。
広々としたボードウォークがある。
下段は港と駅の中間地点にある気比神宮
商店街に「秋吉」があった。
1993年の6月、北海道へ自転車旅行にいったときに立ち寄ったと日記に記されていた。
アーケードの看板の汚れが街の滅び度合いの指標か。
  


欧亜国際連絡列車という便があった。
思えば戦前から戦中、ヨーロッパへ行くには船か鉄道しかなかったのだ。
飛行機の便なんて無い時代、南回りは船、北回りはシベリア鉄道だった。
政治家も、学者も、技術者も、音楽家も、オリンピック選手も、その多くは敦賀から欧州へ旅立った。
  


新橋から鉄路で敦賀へ来た乗客はこの駅舎に降り立ち、ウラジオストック行の客船を待ったのだ。
当時の国際港の賑わいは今となっては想像も出来ない。
  


港の公園に杉原千畝夫人の来港の記念樹とプレートがあった。
かの「命のビザ」で救われたユダヤ難民がシベリア鉄道経由で日本に到着したのが敦賀港だった。
1940年の8月から翌6月までのほぼ1年難民を受け入れ続けた。
  


ポーランドバルト三国で暮らしていたユダヤ住民はどんな思いでこの東洋の港に降り立ったのか。
  


最初に難民を乗せた船が着いたのは8月、真夏だった。
むせ返るような緑や草いきれ、灼熱の日差しが彼らを迎えたのだろう。
  


赤煉瓦建築マニアとしてここは見逃せない。2棟の倉庫は戦前のもの。
1905年、ニューヨークスタンダード石油がこの地に立てた倉庫。
舞鶴にある旧海軍施設や赤煉瓦記念館にも一度行ってみたい。
  


プレートには「敦賀のシンボルとして親しまれている」とあるけど、どう見てもうち捨ててられてるように見えた。
ライトアップすればきれいなんだろうけど…。
最近のもう一つのマイブーム、自分撮りのテクニックも覚えました。
いいおっさんなのでほどほどにしておきます。
  


裏手はこんな感じです。
  


裏町のスナック街を通ってホテルへ帰る。
街には意外にもオシャレなバーがある。
映画のロケにも使えそうなバックカウンターの店もある。
http://www1.rcn.ne.jp/~kiraku/


ホテルの大浴場で汗を流す。
Mの友人に案内されて郊外にある「アイビス」という大衆的な居酒屋へ行く。
友人氏は敦賀市内で魚の卸を生業としていて「アイビス」はお得意様だという。
(ちなみにアイビスとは鳥の「とき」の英名らしい)
車でしか来られない立地なのに満員盛況。
http://www.tsuruga-ibis.jp/pc/


くえの薄造りやするめいかの活けづくりなど今朝納めた魚に舌鼓を打つ。
日本酒は新潟の「卷機(まきはた)」だった。
僕のお気に入りの銘柄で嬉しい。
飲んだのは生ビール2杯、日本酒1合、ハイボール2杯。
握り盛り合わせとミニラーメンで締める。
帰りは地方ならではの代行運転サービスでホテルへ送ってもらう。
すでに23時過ぎ、明日は5時起きだというのに。