2013/9/11 不毛だったのか?

あの日から12年が経つ。
あの日から2年と半年が経つ。
あの日も、あの日も、今と地続きなのに、あの時の感情はよみがえっては来ない。
今日までの途上ですり減ってしまったのか。
風化してしまったとは思いたくないけど、人は変わる。
かなしくもあり、かなしくもなし。


      2001/9/13 撮影 ブッシュと小泉純一郎の時代 まだ iPhone はこの世に存在していない。
      


iPhone5s と 5c が発表された。
DoCoMo からも発売されるというニュースが新聞の一面を飾る。
ずっと前からソフトバンクの僕らは、それほど大騒ぎすることなの? と冷めてます。


…ニュースデスク、兼務で編集の手直し。
甲子園では引退を発表した桧山進次郎が満塁代打で登場するもデッドボール。
足を引きずりながらも打点に小さくガッツポーズしたのが微笑ましい。
対する中日も満塁代打にこちらも引退表明の山崎武司。
おつきあいしてこちらもデッドボールで押しだしの決勝点。
ニュースが作りやすい展開でした。
そして、バレンティンが55号に到達。


井岡の世界戦、なかなかタフな強敵だったが執拗なまでのボディブローが効果あり。
これ以上打たないで、と戦意を失っていく。
相手のガードが下がったところに左が決まった。
3試合連続のKO勝利となった。


井岡も、山中も、村田も強い。
けど時代の空気感のせいなんだろうなあ。
どこかひりひりとした切実なものが感じられない。
原田、海老原、輪島らにあったサムシングが。
時代は人間で言えば20代、今は貧しい、けど、10年経てば世界は変わると信じてた。
戦後の中進国の残り香は、具志堅あたりまでは確実にあった。


この本を思い出した。
ボクシング狂 香川照之にとって「あしたのジョー」の世界は受け入れがたいものだったらしい。
氏はボクシングという競技を“甘美なる科学”として心から愛していたのだという。


     私が、そんなボクシングに陶酔し始めた思春期、」
     したがっていつも思っていたことがある。
     そんな時代背景の下にボクシングというスポーツに陶酔する一方で私は、
     ボクシング漫画の金字塔、
     あの『あしたのジョー』だけは決して認めたくなかったのである。


                                          (香川照之「慢性拳闘症」より)

慢性拳闘症

慢性拳闘症



中学時代の著者を書いたプロローグを読んで笑ってしまった。
こんな中学時代だ。


    私はー実は十三歳の時から、ボクシングというスポーツだけを観ることに心血を注いできた。


    そんなマイナーなスポーツに青春を捧げる若者など、当時も今も珍しかろう。
    しかもボクシングを「やる」ならまだしも、ボクシングを「見る」ことに全てを費やしているのだ。
    もっと他にやるべきことが、十代の一介の学生にはあるはずである。
    しかし、恋だの部活だの友情だの、あんなあり得べき煌びやかな一般の青春は、
    あらゆる面で偏執的な生き方に固執していた変わり者の私にはハナから必要ないのだった。
    美しいこのボクシングさえあれば、血が流れ、倒れ、修羅場の三分が連続するこの厳しいスポーツさえあれば、
    私の二十四時間は青春の甘い香りとともに流麗に過ぎ去っていった。恋人はボクシング、それが私の青春の全てだったのだ。


    中学生の香川照之は学校が終わると後楽園ホール向かい四回戦から全ての試合をなめるように観戦し、
    パンフレットに載った全ての選手の事細かなプロフィールを学業そっちのけで懸命に覚え、
    家に帰れば今度は海外のありとあらゆる選手が映し出されたベータだかVHSだか忘れたが、
    その稀少なテープを繰り返し、繰り返し、繰り返し見ては気に入った選手の戦績やら出身地やら、
    都内の済む普通の学生のとっては本当にどうでもいいことを「耳なし芳一」の写経のようにノートにビッシリと書き留め、
    ふむと唸ったかと思うと手元にあるこれも通販で入手したメキシコ製REYESの
    8オンスのグローブを左拳にテーピングテープでがちがちに留めて、
    右拳の装着は今は亡き祖母に頼んだ。
   (七十歳の老女が一人の中学生の右手にメキシコ製のグローブを巻きつけているー
                 それが私の家で当時おこなわれていた異様な光景だ)
    左フックだの左アッパーだのをとりあえず通だと思われる角度で打ってみたあとに、
    その気に入った選手の見惚れるまでのパンチの美しい軌道を真似てしつこく繰り返し、
    「ほう」と満足げにため息を吐いてからやにわにグローブをはずして再び専門誌を穴が空くまで熟読し
    「パウンド・フォー・パウンド・ランキング
     (体重階級の差を度外視した全ての選手の仮想・強い順のランキング選者によって異なるが、
    当然自分なりのランキングを週に一度は更新して確かめるのが当時の私の習わしだった)を
    100位とかまで丁寧に丁寧に原稿用紙に書き込む。
    その毎日を繰り返してきたのが不毛の学生時代なのであった。



大好きな競技を「やる」ならまだしも、ボクシングを「見る」ことに全てを費やしているのだ。
この一文である友人を思い出した。


  


箱根駅伝、ラグビー、アメフト、高校野球、バレーボールをスポーツ新聞と雑誌で予習して、見て、復習する青春だった。
ただ、“不毛”だったはずの青春時代を職業に結実させたという点で眼鏡堂は香川照之を凌駕している。
どっちがエラいのか?
僕にはわからない。