2013/10/27 大阪マラソン2013(未)

きのうは大阪マラソンだった。
台風が東の海に消え、秋の青空がひろがった。
いつもはずっと本社での作業だけど今年はスタート地点で撮影した。
こんな秋晴れの朝に走れるなんて、ランナーたちがうらやましかった。
でも、一方で思った。
今、笑っているこのランナーたちは、今から苦しみを味わい、足や腰が痛くなり、
トイレを我慢して情けない思いをしたり、とにかく大変な目に遭うのだ。


でも、それってオプションを手にしている、てことなんだ。


数年前に箱根駅伝中継で流れたサッポロビールのCMを思い出した。
村上春樹の文章、是枝裕和監督の映像、仲間由紀恵のナレーション、明星の音楽。
映像と音楽が村上春樹の文章に味をつけ、深い意味や情感をプラスする。
言葉が手造りの純米酒としたら、画や音は絶品の肴だ。
映画(ショートムービー)にはこういう業が出来るのだと感心した。
まだ夜の明けきれないトラックで大学の陸上部員たちが、
白い息を吐いて走るブルーを基調とした映像にナレーションが流れる。


   痛みは避けられない。


   でも、苦しみは自分次第だ。


   あるとき、そんな言葉を覚えた。


   そして、長距離レースを走るたびに、


   頭の中でその文句を繰り返すようになった。


   きついのは当たり前、


   でも、それをどんな風に苦しむかは自分で選びとれる。


   Suffering is opitional 


   へこたれるもへこたれないもこちら次第。


   苦しいというのは、つまり、


   僕らがオプションを手にしているということなのだ。


 
友人のMは去年、雨のハーフマラソンで15キロ過ぎで靴擦れを起こした。
激痛に耐えゴールしたが記録はさんざんだった。
昨日の大阪マラソンでも僕に手を振って元気にスタートしていったが腰が悲鳴をあげ、
30キロ給水で15分も動けなかったという。

 
  Pain is inevitabel, Suffering is opitional
  (痛みは不可避、苦しむかどうかは自分で選びとれる)
 

彼がCMを憶えていて、このフレーズを思い出したかどうかはわからない。
けれども、激痛に耐えゴールまで走り続けた。
目標には遠い不本意なタイムしか出ないとわかっていても…。

 
苦しむことをオプションでわざわざ選ぶ?
実生活で、そんなバカなことはしない。
たいていの場合、向こうから勝手にやってくる。

 
  Suffering is opitional 

 
苦しみがオプションであること、それはきっと贅沢なことなのだ。
だから、彼も、そして僕も、たぶん、
またどこかのレースのスタートラインに立つだろう。


※去年の日記より一部抜粋 
 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20121030/1351523683



もうひとつ、大阪マラソンの現場で思い出したことを…。
箱根駅伝で流れたサッポロビールのCMに別バージョンがある。
子供たちの運動会、ハンディカメラで撮影した懸命に走る子らと
応援する父兄の映像にナレーションが被さる。


   僕や、あなたのような普通のランナーにとって、

   レースで勝ったか負けたか、そんなのは大した問題じゃない。

   自分の掲げた基準をクリア出来たかどうか、それが何よりも重要になる。

   判断はあなた自身に委ねられている。

   自分の中でしか納得出来ない物ごとのために。

   他人にはうまく説明出来ない物ごとのために、

   長い時間制をとってしか表せない物ごとのために、

   僕らはひたすら走り、また、こうして小説を書く。

                       (文 村上春樹


この手の文章は走ったあとで読むとビンビンと感じるものがある。
そうそうそうですよね、と。
僕はもう補欠じゃない。
チームのレギュラーでエースだ。
恥ずかしながら走ってるときは自分がヒーロー、ヒロインなのです。
マラソンを走る人は多分にナルシシストである、
ということを自覚しておかねばならない。