2014/1/8  走る意味

本日、SN班会&ニュースデスク。
ことし一冊目、金哲彦「走る意味 〜命を救うランニング〜」読了。


走る意味―命を救うランニング (講談社現代新書)

走る意味―命を救うランニング (講談社現代新書)


あの名解説者、やさしい語り口の金さんは
奥深い物語を背負っていたのだ。
知って、目ウロコ剥離、の事実多し。


・いまや日本人ランナーの常識となったボールダーでの高地トレ、
 パイオニアは金さんだった。
 一人で40キロ走をするときの描写が面白い。
 まず車で給水ボトルを置く〜走る〜また車でボトル回収、
 120キロ! 大変だ。


・国籍を変更して韓国のマラソン五輪代表を争ったのは、
 バルセロナで森下と争った金メダリスト
 あの黄永許(ファン・ヨンチョ)選手だった。


・韓国の東亜マラソンでふくらはぎの肉離れを起こす描写がリアル。
 5キロ地点で筋繊維が切れるプチッという音、
 我慢して走るも、20キロ地点でバチッと大きな音がした。
 痛い!


・実業団の選手しか知らなかった金さんが
 市民ランナーの凄さを知る下りが僕には感動的だった。
 大阪マラソンで市民ランナーを取材して凄さを知る経緯に共通するところあって…。


 仕事しながらサブスリーを狙う人ってエリートランナーより価値があるのかもしれない、と。


・高校時代、早稲田で5区を走って箱根に勝ち、リクルートに入社、
 たったひとりの陸上部、小出監督とのエピソード、
 たったひとりのアメリカ、有森のバルセロナ五輪をサポート、
 リクルートの休部からクラブ設立。直腸ガンからの復活、
 フルマラソンを再び完走、そしてサブスリー達成。
 濃い人生だ。


などなど。


2001年か2002年に山口ハーフマラソンの移動中継車のDを担当した。
そのとき、いっしょに中継車に乗ったのが金さんだった。
前夜に山口市内で飲んだ。
そのときはもちろん大腸がんにも罹ってなくて元気そのものだった。
確かクラブチームの立ち上げの話も聞いたがこちらが興味もなかったから単に話を合わせていただけだった。
本を読むと当時 金さんは自分でホームページを作ったりして孤軍奮闘していたのだ。
どんないい情報も受け手にセンサーがないと何の意味もない。
走る意味、うーん、もう少し若いときに気がついていたら…と後悔している。
でも走るのが気持いいと思えることがシアワセなのだ。