2014/5/24 T氏に会いにいく

今日のベストショット。
1300年前、この単線の鉄路の先に藤原京という都があり白鳳文化が華開いた。
きょう、僕は藤原京の次に都となった平城京から南下、電車で15分、天理市大和郷にT氏を訪ねた。
このあたりが天理という名前になったのは戦後の話である。

 


…天気はいいのにブロンプトンマラニックもしなかった。
いま、なし崩し的に運動習慣が失われているのだ。
じりじりと減退していく感じ。
こういうのが一番良くない。
その体たらくな状況をせめてこうして記録してくい止めようとしているのだが状況は変わらない。
明日は走るか、それが問題。


近鉄電車で奈良へ行く。
JR奈良駅まで歩く。
何年ぶりだろうか。
20年ぶり?
いや、それ以上かも知れない。
奈良テレビの仕事をしていた頃、おそらく1980年代後半。
30年ぶりじゃないか。
今日見て変貌ぶりに驚く。
高架になって駅前にショッピングセンターやホテルが建ち並び…新幹線の駅みたいだ。
奈良は大観光地だ。
当然かも知れない。
でも、かつてのJR奈良駅を知ってる身としては啞然とする。
あの牧歌的な駅は跡形もない。


正確にはかつての駅舎はあった。
いまは観光案内所になっている。
聞くところによると建物ごと移動させたのだという。
  


JR奈良から和歌山行きに乗る。
和歌山へ直通列車があるのは驚きだった。
桜井、大和高田、御所、五条、紀ノ川沿いに橋本を経由して和歌山まで。
いちど乗ってみたい。
桜井線の駅名がいい。
京終と書いて「きょうばて」、帯解で「おびとけ」と艶っぽい。
櫟本「いちのもと」は読めなかった。
考えてみれば畝傍(うねび)も耳成(みみなし)も日本史や百人一首で知ってなかったら読めない。
きょうの降車駅は長柄(ながら)です。
  


仕事の大先輩Tさん(玉戸氏)に会った。
最初に会ったのは僕が25、玉戸さんが38だったと思う。
訪ねるのは3年連続3回目だ。
一昨年は1月、まだ寒い季節。
去年は3月早春、そして今年は5月後半になってようやく腰を上げた次第。
そういえば去年の訪問記は写真のみで何も書いていない。
2012年 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20120119/1326899702
2013年 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20130313/1363139784


お元気そうでした。
  


今年は公私どもども色々とあって渦中のY田正男を誘う。
T氏は京都の銀閣寺からこの生まれ故郷に戻って10年になるという。
以前、手紙をもらい、そこに大和郷という郷里の歴史を調べていると書き記してあった。
失礼ながら僕はそのことを失念していた。
「例のあれ、いろいろと進んでてなあ。まあ、聞いてくれ…」と言われた時は、
はて、なんのことか? と思ったがもちろん知ったかぶりをした。
T氏は手描きの地図(神社の配置図)を見せて、古代や中世に住んだ先人の思惑に思いをはせる。
だからな、そういうことなんだよ、わかるだろ?
おい、シオダ、聞いてるのか(怒)
T氏は僕らにそんな話をするのがとても楽しそうだった。

  


写真のお酒はT氏宅の冷蔵庫にあったもの。
Y田正男が一掃してくれました。


Tさんはお元気でした。ことし69歳になる。
昭和20年生まれ とんでもない年に生まれた方です。
僕らの年齢になると年上の人と話したり飲んだりすることは少なくなる。
(当たり前ですけど)先輩面され呼び捨てされるのが意外と快感。
ある意味、若返る。

  



桜井線の無人駅長柄のホームにたたずむ渦中のY氏。
Y氏嫁はT氏を丹波篠山に呼ぼうと画策している。
このホームに立つY氏のジャケットのポケットにはT氏宅でくすねてきた缶ビールが入っている。
普段はそれほど飲んではいないというが、飲むと決めた時の飲み方はやっぱりアル中的である。

  


以後は行動記録。
奈良市内で少しだけ飲む。
お目当てのならまち「蔵」へ行くも予約で満席。
2年前に初めて行った時は僕一人だったのに超人気店になってしまった。
店の人たちはあたたかくのんびりした印象だったけど…。
奈良の地酒を試飲する立ち飲みで一杯ずつ、近鉄奈良駅構内の立ち飲み「豊祝」で2杯飲む。
僕は近鉄、T氏はJRで帰宅す。


  


嫁が法事で広島へ行っている。
作り置きのカレーライスで家メシ。