2015/3/12 何者にもなれない。

A部氏のお誘いで久しぶりの京都呑み。
ならばと、こちらも去年11月以来のブロンプトンを稼働させて
一乗寺の恵文社と元田中のウイークエンダー・コーヒーへ行ってみよう。
寒いが雨は降りそうもない。
昼前に出発、自宅〜阪急夙川〜阪急烏丸〜(ブロンプトン)
〜元田中 ウイークエンダーズ・コーヒー〜一乗寺 恵文社書店
〜二条 Cafe Bibliotic Hello! 〜井倉木材〜京都捏製作所〜hayasakaba〜
阪急河原町〜阪急梅田〜阪急夙川〜自宅


  


ウイークエンダーズでエチオピアを立ち飲み。
エチオピアのモカ(ナチュラル)と深煎りのオペラ・ブレンドを100グラムずつ購入。
神楽坂のお店の話をする。
東京と京都では水が違うので苦労したとのこと。
京都は軟水、東京は硬水なのだそう。
しっかりした濃い味を出すには硬水がいいのだが、
ストレートの繊細な味わいや香りを出すには軟水が必要なのだとか。
そうか、自宅では深煎りは硬水(コントレックス)、
中煎りは軟水(湯冷まし)を使うことにしよう。


さて、恵文社書店。
時間をかけて書棚や雑貨をゆっくり巡る。
知的欲求が刺激される。
日常にはないしあわせな時間……なのだが。


  


いろんなジャンルの書物を見ながら高揚するものがある。
同時に強い悔恨の感情にとらわれる。
アメリカ文学、登山、ジャズ、クラシック音楽、映画、絵画、ウイスキー、辺境のルポルタージュ。
まだ訪れたことのない外国を紹介したガイドブック、建築、デザイン、都市計画、料理…。
自分は 何者にだってなれると思っていた時代があった。
書棚に並ぶ本を実現可能な未来として見ていた。
皮肉にもその時代、僕は何者かになることを拒んでいた。


どうして拒んだのか?
おそらく、うまく諦めることが来なかったのだ。
笑われるかもしれないけど、僕はすべてを手に入れたいと思っていた。
何者かになるために何かを諦めることはひとつの能力だ。
捨てることは勇気だ、と今は思う。


遅きに失したがそう思う。
You can't have everything.(すべてを手にすることは出来ない)

今回の人生であれとあれは諦めて何者かになろう。
そう思えたのはたいていのことを実現する可能性が限りなく低くなった四十半ばを過ぎてからだった。


池澤夏樹が何かに書いていた。
「本を処分すると言うことは、実現しなかった企画を捨てることだ。
 人生は実現しなかった企画の束である。それらを処分することは、淡い哀感を伴う情緒をゆさぶる作業だ。」
(たぶん、詳細は違ってる)
恵文社は実現しなかった企画の森なのだ。


  


クートラスの画集、果てしのない本の話、ちいさな城下町を買う。

果てしのない本の話

果てしのない本の話

ちいさな城下町

ちいさな城下町

僕の夜―ロベール・クートラス作品集

僕の夜―ロベール・クートラス作品集



アカツキコーヒーへ行く。
美人の女性が、3人がけのカウンターのまん中しか空いてないんですが、と言う。
両端の客には歓迎されないだろうな。
また来ます、と諦める。
  


二条柳馬場まで走ってカフェに入りエスプレッソダブル、しばし読書。
「自爆条項」下巻と「果てしのない本の話」を2編だけ読む。
なぜか鼻水がとまらない。
  


府庁裏手の「酒場 井倉木材」でA部氏と合流、旨酒と旨肴を堪能する。
この店はミーツに紹介されていて以前から行って見たかったところ。
場所が場所だけになかなかチャンスがなかった。
でも、考えてみれば地下鉄の烏丸線丸太町駅から歩いて10分ほどなのだ。
  


材木屋さんがやっている立ち飲み。
寒いので室内のカウンターに立つ。
おそらく八畳間くらいの狭い空間。
松本の「8オンス」みたいでしっくりと落ち着く。
ハートランドの生と生酒が3種類、熱燗を1合、さらにスタウトを追加。
燗酒は伏見の「まつもと」でした。


2軒目に麩屋町二条の「京都捏製作所」へ行く。
つくねと日本酒のお店で、以前に眼鏡堂氏と飲んだことがある。
カウンターの角が二席分空いていた。
次から来る客は満席で断られていた。
ラッキーだった。
燗酒ばかり2種類飲む。


締めはhayasakabaでグレーンウイスキーを飲む。


マクドナルドでコーヒーを買い阪急電車で帰る。
ブロンプトンで十三駅の階段の上り下りするのは嫌なので梅田まで行き乗り換える。
でも、座れなかった。
おかげで遅くなる。