2015/4/27 もしかしてだけど…。

季節の言葉に新緑の頃の山を称して「山笑う」と言う。
いや、もっと前の芽吹きの頃を指すのだったか。
ま、どっちでもいいが、今朝は空気が澄んで、六甲山がまさに「笑っていた」。
ちなみに秋の紅葉は「山粧う(よそおう)」と言います。


四月なのに風薫る五月の風景。
夙川に鯉が泳ぐ。
新緑が本当に美しい。
新緑、ルー大柴風にいえばニューグリーン。
(英語ではfresh green と表現されるみたいです)
   


ニセアカシアもニューグリーン? 
   


朝からナレーション書き。
しんどいけどこれを書き終えてしまえば仕事が一段落する。
早朝から2時間ほどうんうん唸りながら書く。
ちょうど集中力が切れてきたのでクリニックへ行く。
日曜日をはさんだのでガーゼが血と膿みで汚れていた。
膿み(膿汁)は白血球の死骸。
異物と戦ってくれているのだ。
タンポンを替える。
これが痛い。


クリニックからの帰り、新緑の木々を見ながら改めて思った。
いまは普通に仕事して普通に飲み食いしている。
何ごともなかったかのように。
でも、改めて思い出すと危ないとこだった。
いやホント。
浮き石か枯葉に隠れた丸太を踏んで前のめりに転倒した。
あのまま木の根っこにつかまれずに滑落してたら…。
骨折くらいではすまなかっただろう。
結果、とっさにアクロバティックな動作で滑落を逃れたが首に枝が刺さっていた。
深さは診断書によると4センチ。
もし1センチ深かったら…脊髄を傷つけていたかもしれない。
もし左右どちらかに1センチずれてたら太い血管を裂いていたかもしれない。
半身まひ?
出血死?
あるいは即死?


緑のオアシスロードを歩いていて思う。
これは現実なんだろうか。
もしかしだけど…自分はあのとき死んだんじゃないのだろうか。
柴田元彦先生のエッセイに「死んでるかしら」ってのがあったけど、実はもう死んでいて意識だけ現世を彷徨っているのでは?
翌日、編集スタジオに来た僕を見てオペレーターは困ってたんじゃないだろうか。
シオダさん、確か山で死んだはずでは?
教えてあげたいけど言いにくいなあ、って思ってるんじゃないだろうか。
まさか、シオダさん、あなたはもう死んでますよ、とは言えないだろうし。
このおじさん死んでるのに一生懸命編集したりして悲しいわ、なんてテロッパーの女の子に思われてたりして。


生きてても死んでてもナレーションは書かなきゃ。
プロ野球中継フィラー6分×6本、8分ものも2本あるから総尺40分くらいになる。
すべて有りもの(アーカイブ)でつないでるからナレーション原稿が多いのだ。
眼鏡堂氏の表現を借りると “千本ノック” のような作業だ。


痛風に苦しむナレーターF沢氏に読んでもらい、間違っていたテロップを直したりして午後6時半。
ミックスしてもらうのを待ちながら福島かいわいを散歩する。
立ち飲みの竹内酒店に誘われて久々にビールを飲む。
つまみはシーチキンの缶詰とコロッケ。
7時半過ぎ、プロデューサーらが立ち合いのもと音を返して終了。


一仕事終えたので自宅で少し飲む。
彦根城で買った「金亀60」のオンザロックと新生公司の叉焼を炙ったもの。
ああ、終わった終わった。
生きてるのか死んでるのか不確かなまま心地よい眠りにつく。