朝、今月3度目の筋トレへ行く。
中2日ペースで、続けられるように内容は軽めに。
3〜4種類のウエイトトレーニングとバイクを30分くらいしようかと思ったが空きがなかった。
これからの5年を思う。
2011年〜2015年は自分の生活レベルではさして大きな変化はなかったように思う。
静かな後退戦といった感じだった。
2016年〜2020年、次の5年、59歳から63歳の自分を想像する。
今までとは違う変化が確実に訪れるだろう。
肉体的にも、精神的にも、経済的にも、自分のとりまく社会も。
この5年という時間の旅を、どんなふうに楽しむことが出来るだろうか。
作家の言葉に覚悟を決め、心と身体とお金の準備をしようと思う。
タイムは問題ではない。今となっては、どれだけ努力したところで、
おそらく昔と同じような走り方は出来ないだろう。
その事実を進んで受け入れようと思う。あまり愉快なこととは言いがたいが、
それが年を取るということなのだ。
僕に役目があるのと同じくらい、時間にも役目がある。
そして時間は僕なんかよりはずっと忠実に、ずっと的確に、その職務をこなしている。
何しろ時間は、時間というものが発生した時から(いったいいつなのだろう?)、
いっときも休むことなく前に進み続けてきたのだから。
そして若死をまぬがれた人間には、
その特典として確実に老いていくというありがたい権利が与えられる。
肉体の減衰という栄誉が待っている。
その事実を受容しそれに慣れなくてはいけない。
大事なのは時間と競争することではない。
どれくらいの充足感を持って42キロを走り終えれるか、
どれくらい自分自身を楽しむことができるか、
おそらくそれが、これから先より大きな意味をもってくることになるだろう。
数字に表れないものを僕は愉しみ、評価していくことになるだろう。
そしてこれまでとは少し違った成り立ちの誇りを模索していくことになるだろう。
(村上春樹「走るとことについて語るときに僕の語ること」)
…雨が降りそうでまだ降らない。
帰りは歩くつもりで駅までは自転車で行く。
明日は歩いて出勤すればいい。
風邪はひきたくない。
マスク、うがい、手洗いの励行。
取材のアポイントの電話を済ませる。
この手の作業はフットワークよく軽く済ませていかねばと思う。
立ち止まると難度が上がってしまうものだ。
編集チェックのあと、夕方5時まで東京仕事の構成案の手直し。
長崎取材帰りのA部氏と飲む。
やるべきことはあるのだが…。
心が弱い。
というか明日やればいい。
出来ないと判断すれば飲みにはいかない。
それくらの分別はあるのです。
雨が降ったり止んだり。
冷たい雨ではない。
福島吞み。
「藤乃」という蕎麦屋で鴨肉で吞む。
「三味六徳」という立ち吞みでするめいかで吞む。
さらに福島駅の高架下の立ち吞みワインでライブを聞きながら吞む。
♪ 悪い事ばかりじゃないと
思い出かき集め
鞄につめこむ 気配がしてる
そうですよね。
人生、悪いことばかりじゃない。
モノより思い出。
かき集めながら吞んでいる。
そのライブやってた立ち吞みワインの店。
こうして写真を撮るとオールドイングランド、英国みたい。
真上に福島駅のホームがある。
エキナカの店に入る。
A部氏も僕も少々壊れかけている。
カールズバーグ生といっしょに注文したのは…
そういえば昨日もナポリタンだったような。
明日から3日間は断酒、のつもり。