『光州 5.18』 2008/6/17

「タクシー運転手」という映画を観て思い出した。(2018/4/26)

 

 

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73.35キロ、とまた逆戻り。
6月は72台と73台の数値、並ぶ数字を真摯に受け止めよ。
得意のフィードバックしてみると、
07年6月は最重71.75キロ-最軽70.25キロだった。
06年6月は70.40-69.15、05年6月は71.25-70.55。
酒量もさることながら、悪い嗜好が復活してしまったのが問題。
オムライス好きを容認して好きなだけ食べていたら、ビフカツや海老フライも容認。
以前は一ヶ月か二ヶ月に一度、しかも注意深く、あるいは胸ときめかせて、食べたのに…。
昨今は、昼はインディアンカレーにしよか、というのが日常になってきた。
飲む時のつまみも天ぷら、唐揚げ、フライ、串カツのうち一つは必ず食べる。
野菜、魚、腹八分目というキーワードから遠くなった。

…朝10時からモーニングショーを観に行く。
おととい『イースタン プロミス』を観たシネリーブルの上階にあるガーデンシネマ。
韓国映画、タイトルは『光州5.18』です。
客の入りは30人ほど、客層は年配のグループ、夫婦が中心。

いわゆる“光州事件”、実話のドラマ化です。
チラシの説明を引用。

 1980年5月18日。韓国 光州市。
 平和なこの町に住む市民の前に、突然悲劇は訪れた。
 25000余名の韓国軍と民主化を求める学生らとの間に武力衝突が起こる。
 一瞬にして戦場と化した状況の中で、何の抵抗も出来ない市民は、恐怖に打ち震え逃げ惑う。
 兄弟が、恋人が、愛する息子が…。
 彼らは極限の中で、ただ愛するものを守りたいという本能で、戦いを挑んでいくのだが…。
 多数の死傷者を出した“光州事件”は、当時韓国では、マスメディアの情報操作によって
 その悲劇は正確には伝えられなかった。
 ニューヨークタイムズなどの海外メディアの外信によって、事件は初めて公にされたのだ。

“光州事件”、映画を観ると事件などという生やさしいものではなかったと知る。
一つの街を戦車が包囲し集中攻撃をしかけた市街戦だった。
1980年、28年前(もう懐かしき80年代なのか)、僕らの生きてきた同時代の歴史だ。
当時の僕は23歳、恥ずかしながら休学中の学生だった。
新聞やテレビで聞いて知った韓国の光州事件、光州というのは街の名前なのだと初めて知った。
やがて、学内のタテカンやビラで光州の事件は民主勢力の蜂起だと知る。
市民や学生は武器を手に抵抗したらしい。
韓国は徴兵制の国だからなあ、ゲバ棒や投石では済まないんだなあ、と感心した。
しかし、軍事政権による総攻撃で市民が虐殺され蜂起は鎮圧、歴史の闇に葬られる。
以後、政権が変わり、反政府分子による暴動が一転して民主化運動として認められた。
当時の軍事政権の全斗煥元大統領ら責任者が逮捕、投獄された。
いったい光州事件とは何だったのか?
頭の片隅でずっと気になってはいた。

事件は日本で例えれば、地方都市、たとえば広島でデモが激化した。
鎮圧にあたったのが自衛隊の空挺部隊、軍はいったんは撤退する。
しかし、最終的には戦車部隊が広島を包囲、県庁にたてこもる武装した市民を総攻撃した。
映画はノンポリの市民を主人公にわかりやすく描いている。
(ノンポリ?いいのか悪いのかは別として積極的に政治運動に関わらない普通の市民)
市民側にもベトナム戦争経験者がいたりして、日本とは違う。

でも、もの足りなく思う点も少なくない。
なぜその事件は起こったのか? の視点だ。
なぜ、学生のデモが起こったのか?
当時、韓国の国内でデモは頻発していた、見せしめだったのか?
では、なぜ光州だったのか?
もし軍事独裁による挑発行為が招いた内乱だとすれば、なぜ挑発する必要があったか?
映画では一部の空挺部隊の長が悪いように描いているが、事実はそうだったのか?
そもそも軍事政権は何のために市民を殺したのか?
デモは北の工作員が仕掛けていたという話は本当なのか?

もちろん日本とは違う。
日本の敗戦が1945年、朝鮮半島はそれからまだ戦争が起こり休戦したのが1953年。
あくまで休戦、戦争は続いていた朝鮮半島の政治的、地政学的状況は日本とは違う。
当時どこからか聞いた話で韓国国内に地域的な差別や対立があったのだと知る。
ソウルを中心とした慶尚道は光州のある全羅道を蔑視しているという。
そして、全羅南道はかの金大中の出身地でもあった。
数年前、映画『太白山脈』を観た。
朝鮮戦争直前、右翼と左翼が血で血を洗うあの悲劇の小村も光州と同じ全羅南道にあった。
全羅南道は政治的に悲劇性の強い土地なのだろうか。
日本が南北、あるいは東西に分割されて差別的な見方が顕著になっていたら、
どこかが全羅南道のような運命になっていたのだろうか。

ここ数年、言いたかったことが一つある。
今や韓国は韓流ブームや日韓共催のサッカーW杯などで親しい隣国となった。
悪いことではない。
でも、ちょっと待て、20年前には明らかに違ったのだ。
僕らが学生だった時代、韓国は反動的な国家だった。
国の成り立ち上、仕方なかったかもしれない。
が、当時は南は北より恐いと思われていた。
糾弾すべきは韓国の反動政権だった。
時代は変わる。
今、その空気を知っている人は少なくなりつつある。

映画のHPに当時の日本の朝日と読売の両全国紙がどう伝えたかを載せている。
読売は一貫して“暴動”という言葉を使っているのが興味深い。
朝日は学生、市民の抵抗というニュワンスだ。
まだ、その差が歴然とあった時代だったのだ。

『君のためなら千回でも』のソ連のアフガン侵攻も1980年、
この映画の光州事件も1980年。 
たまたまだが1980年、その時代 まだ鉄のカーテンが歴然と存在した。

…映画のあと、ミズノオープンの始まる読売ゴルフ場へ行く。
夏のような強い陽ざし、石川遼の練習をチラリと見て帰る。
録音したピーター・バラカンのラジオ番組でボー・ディドリー特集を聞く。
ジャングルビートが頭に鳴り響く。
読む本は朝暮三文の「広告放浪記」、これが面白い。