ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

信州 稲子湯にて 2005/8/31

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(ワイドビューしなの9号)
夏が尽きる日、信州行きの列車に乗る。
新幹線でなく在来線で直行の特急しなの9号8時58分大阪発自由席。
京都から80リットルくらいあろうかというザックを持って若い男女二人が乗り込む。
穂高だろうか、槍だろうか。
テント泊で夏の終わりの静かな山へ行くのだろう。
この季節の山は登山者も少なく寂しい山である。
明日から9月、テントには霜が降りるかもしれない。
夏山にもない、紅葉の秋の山にもない、9月の山のそんな寂寥感もいいものだ。

iPodから流れてくるのはケルトの調べ、囁くようなケイト・ラズビーの歌声。

曇り空。
今朝の体重は70.70キロ、血糖値79。
この数日、去年の同じ頃の日記を読み返している。
入院していた頃の日記だ。
そのときに思ったこと、感じたこと、遠い昔のようでもある。

…列車のシートで8月の総括と反省を記す。
(「WEB版ぷよねこ日記」には書きませんけど)
もっとも改善すべき生活パターンは朝から昼にかけて自宅のデスクでぐすぐずすること。
ネットサーフィン的な作業をしたり、日記のアップに時間を費やすことだな。
これは時間で仕切ってしまわないと無駄。
たとえば、朝食の後にはジョギングする、ジョギングしないなら家を出るとか。
日記アップとかネットで調べものなどの作業がしたければその分早く起きるべきだ。

ひとまず夏は例外的にうまく過ごせた。
エアコンを入れないで乗り切ったのはちょっといい気分だ。
申し訳ないが、あんまり反省はしない。
それより秋に向けて、9月以後のことを考える方が優先だ。

『そんなことはどうだっていいんだ。
 要は自分は、こうあるべきだ、という考えにとらわれないことだ。
 自分に出来ることなら、自分の気に入ってることをするのが一番いい。』
            〜ロバート・B・パーカー「初秋」より〜


…塩尻峠を越えると視界に雄大な山岳景観が飛び込んできた。
八ヶ岳のスカイラインと青い水を満々とたたえた諏訪湖。
「日本のスイス」というらしいが、
アルプスに囲まれた諏訪湖はレマン湖やチューリッヒ湖に似ている。
遠目に見れば…だけれど。

…旧中山道で岡谷、諏訪市内を通って霧ヶ峰への登りにかかる。
霧ヶ峰は一昨年の3月にクロカンスキーに来たことがある。
360度アルプスが展望出来て素晴らしいコースだった。
霧ヶ峰のスキー場は日本でも有数の歴史がある。
古いスキー場でリフトが一本しかない。
今となっては初心者用の丘のようなゲレンデだ。
戦後のスキーブームの頃には凄まじい人出で
白いゲレンデがわずかしか見えないモノクロの写真を見たことがある。
霧ヶ峰は三菱エアコンの名前、今でもあるのだろうか?
「きりーがみねっ」というCMを憶えている。
クーラーと言っていた時代、いくらだったのか知らないが
僕の家ではとても買えなかったと思う。 
そう、クーラーは「霧ヶ峰」電気掃除機は「風神」

…霧ヶ峰ヒュッテに寄り立命館合宿所に差し入れ。
天満の稲田酒店で買った純米吟醸「勝駒」だ。
選手は昼寝の時間だ。
諏訪湖へ下見に出ていた杉本コーチが帰って来たので
明日からの予定を聞く。
明日は午後からクロスカントリーコースでジョッグ、
明後日は朝5時から女神湖の周回をペース走で16キロ、
夕方は諏訪湖一周のトライアル(競争)をするそうだ。

下見しながらヴィーナスラインで蓼科へ抜ける。
蓼科からはメルヘン街道と名付けられた299号線で麦草峠越え。
麦草峠は海抜2000メートルを超え、冬には閉鎖される。
車の窓から入る空気が冷たい。
今夜は八ヶ岳の東側にある稲子湯という一軒宿の山の温泉へ泊まる。

山はすっかり秋の気配。
ハギの花やアキノキリンソウ、濃い紫のトリカブトが咲く。
この八ヶ岳の山域を訪れるのは何度目だろう?
最初は1994年の早春、北八ヶ岳の雪山を単独縦走した。
次が夏の蓼科のユースに泊まって、麦草峠あたりに行った。
ハードな仕事のあとの単なる避暑で山に登らなかった。
そのあと、Y田正男と冬に縞枯山荘に泊まった。山荘の奴がイヤな奴だったなあ。
次が1998年の7月、ヒロと女神湖のペンションに泊まった。
このときは痛風発作が出て、車山に登るのがやっとだった。
ニッコウキスゲが満開だった。
一昨年の3月、車山高原や霧ヶ峰、長門牧場でクロカンスキーをした。
都合5回ほど訪れている。
最初の雪山単独登山が想い出深い。あのときは山小屋泊まりで山中3泊だった。
4日間ずーっと好天に恵まれた。
しらびそ小屋、高見石小屋、麦草ヒュッテに泊まり奥蓼科に下りた。 

…稲子湯に4時半過ぎに着く。
ひなびた山小屋風の一軒宿だ。
稲子湯は北八ヶ岳の天狗岳や硫黄岳への登山口。
宿の前には北八ツ(きたやつ)の苔むした緑濃い森への入り口だ。
宿の周りの空気は冷たい。
10年前の早春、雪に埋まったこの稲子湯に立ち寄って湯に入った。
そのときは夜行列車で飲み過ぎて(アホでした)気分が悪かった。
とても今から雪山に入るなんて体調じゃなかった。
すがる思いで湯に浸かった。
奇跡のように気分が良くなった。信じられないほど体調が回復した。
食欲さえ出て、きのこうどんを食べた。おいしかった。
救われた思いがして、いつかこの稲子湯に泊まろうと思った。

映画「天国の駅」はこの宿と周辺で撮影したらしい。
ロビーにはここで撮影した吉永小百合の写真とサインがある。
たぶん30代だろうか、まだ少女の可憐さを残した彼女が稲子湯の玄関で微笑んでいる。

投宿して湯に浸かる。
男女別の内風呂があるだけのシンプルな温泉。
ひなびた感じは10年前に来た時と変わっていない。
70歳くらいの老人が一人入っていた。
湯が熱過ぎて入れないとかけ湯をしている。
ここのは源泉でうめるのだと教えたら
奥さんが入っているのだろう、隣の女湯に
「おーい、うめたらええねんて」と関西弁で教える。
ここの源泉の温度は何と7度と冷たい。
鉱泉というのだろうか冷泉というのだろうか、沸かして40度にしているが、
湯船の端にその7度の源泉が小さな貯水槽に流れ込んでいる。
蛇口を全開にしてその7度の源泉を景気よく流し込むとあっという間にぬる湯となる。
単純炭酸泉、源泉を飲むとなるほど炭酸水、発泡感がある。
天然の炭酸水ってあるんだな。
知ってはいたけど実際に飲んでみるのは初めて。
前に来たときは温泉の種類や成分になんて興味なかったし
体調不良でその余裕もなかった。
炭酸の温泉は和製のペリエだ。
ペリエの風呂に入っているのだと思うと贅沢な気分になる。

これはいい。
ペリエのぬる湯、かすかに硫黄臭がする。
長湯が出来るぞ。
 
温泉なんて露天や展望風呂や足湯や寝ころび湯、
目先を変えただけのものは本当は必要ない。
そんな小細工は都会のスーパー銭湯ですればいい。
自分に自信がないとそういう趣向でごまかす。
番組づくりでも同じこと、自信がないと本筋以外のことに異様に熱心になる。
スポーツ中継でも同じ。
本当はゲストやスタジオなんてどーでもいいのになあ。
稲子湯、いいねえ。
ペリエの沸かし湯一本で勝負!潔いではないか。

…風呂でその70年配の老人と話をする。
兵庫県龍野市からJRとバスを乗り継ぎ来たのだそうだ。
今回は温泉巡りだが、つい数年前に「日本百名山」を完登したという。
4年前、68歳のときに南アルプスの塩見岳の頂を極めて100座となった。
なかなかの強者ですな。
小柄でやせ形、耐久性に優れて、燃費のいい(粗食に耐える)、昔の日本人の典型。
「百名山」は夫婦揃って登った。それはいいなと思った。
夕食どきに奥さんにも会ったが、小柄で背も丸まって見るからに「おばあさん」。
奥さんも旦那さんも山登りはまったくの素人、自信が無かった。
地元の山岳会やサークルに入ってみんなと一緒に登る自信がなかった。
「みんなに迷惑がかかる」と二の足を踏んだ。
夫婦二人ならゆっくりのんびりとしたマイペースで行けるのではないか、
そんな理由からの夫婦二人っきりの登山が始まった。
悪天候や、体調不良のときは撤退した。
同じ山を2度3度挑戦することは当たり前だった。
北海道のトムラウシは3回挑戦した。
2度目の時は川が突然 増水して胸まで浸り、九死に一生を得たという。
3度目で登頂に成功したときも疲労困憊、数日食べることが出来なかった。
25年かかっての偉業達成だった。
必ず聞かれるという「一番良かった山は?」という質問を僕もした。
その質問には新潟と山形の県境にある「飯豊山」と答える。
その山域の雄大さを語るのだという。
何よりも羨ましいのは「百座の山の記憶」が
夫婦二人の共通のものであるということだ。

…山の宿らしい夕食。
低カロリーなものが多い。
岩魚の塩焼き、鯉の造り、茄子の味噌田楽、味噌仕立ての鍋、土瓶蒸し。
秋の味覚、ジゴボウという根曲がり茸が出始めた。
大根おろしで和えたものが美味しい。
地酒は「牧水」という生酒、佐久の産である。
勉強不足で知らなかったが若山牧水は信州の生まれなのか?
佐久と言えば「帰山」という酒がある。
駅前第2ビルの山長酒店に春先になると「帰山」の濁り酒が入荷する。
濃厚で発泡性があって爽やかな味だ。

ジゴボウを採ってきたのは宿の客。
宿の人から「ヤマザキさんが採って来られたんですよ」と紹介された。
山崎さんはまさにご隠居さんといった笑顔の老人。
奇遇にもこの宿は泊まっている3組とも兵庫県人となった。
ドイツ人と関西人はどこにでも行く法則がまた証明された。
山崎さんも龍野のご夫婦に負けないスーパー老人だ。
ことしで81歳になる。
夏の数週間、ここ「稲子湯」に泊まり、
その間、毎朝4時に起き、登り2時間下り1時間半のしらびそ小屋まで往復しているという。
六甲山麓では「毎日登山」と言って、早朝に家の近所から往復できる山や茶屋まで
散歩する人たちがいるが、そんな感覚らしい。
ニコニコして元気そうな顔色をしている。
あまり頑固そうな感じがないのが老人らしくない印象だ。
山崎老人も会社を辞めてから退屈しのぎに70歳から山登りを始めた。
暑いのが苦手で4年前からこの宿に来るようになった。
当初はなんと登り6時間下り5時間かかる硫黄岳へ毎日登るつもりだったらしい。
これはいくらなんでも無茶だ。
「単独行」の加藤文太郎でもそんなアホなことはしなかったに違いない。
山登りしている僕らの感覚からしても同じ山を
10時間以上かけて毎日登り続けるというのは信じられない。
まず体力、加えて気力の問題、一日登ったら、そんな気力はなくなる。
だいいち硫黄岳のピストンは11時間、日帰りの出来る山ではない。
山崎老人は3日続けたらしい。
言っておくが当時76歳、一日11時間の往復登山だ。
暗いうち3時過ぎにヘッドランプをつけて真っ暗な森へ入る。
帰りはペースが落ち、夕方6時近くになる。
また、翌朝3時に出発…!
3日間続けて4日目に気力も体力も無くなったと言う。
そのときは、自分はダメな奴だ、と落ち込んだ。
後年、4つ年下の登山家と同じルートを歩いた。
その挫折を告げると
「あんた、そんなことしとったんか、わしは日帰りすることさえ出来んぞ。」
と驚嘆されたことから逆に自信を回復したとニコニコして話してくれた。

山崎さんは81歳の今も恒例の六甲全山縦走を踏破している。
実は2004年の踏破成功者で最高齢者らしい。
歴代の最高齢記録は84歳。
山崎老人は85歳の新記録まで何とか歩きたいという。
あと4年…しかし、最近体力の衰えを感じているという。

もう一つ驚いたこと。
宿の前に神戸ナンバーのワゴン車が停まっていた。
山崎老人はここ八ヶ岳山麓の温泉まで自家用車で来ているのだ。
81歳が神戸から自分で運転してくるのだ。
僕が驚くと、ケロッとして言う。
「運転は苦にならないんですわ、4回くらい休憩しますからなあ」
まいった!
高齢者ネタ、登山ネタ、健康ネタ、の狙いでで取材しようかな。
ニューススクランブルあたりでどうでしょう?

(翌朝のこと)
翌朝9時前、僕が宿を出てしばらく登り坂を行くと
林の中から山崎老人が出てきた。
昨日と同じようにニコニコして頑迷なところがない。
朝の日課、しらびそ小屋まで往復して下山するところだった。
僕は挨拶して、少し立ち話して、それではお元気で、と言う。
「もう、二度と会うことはないでしょうなあ」
山崎老人はニコニコしてそう言った。
その言葉に僕はちょっと戸惑い、質問を返した。
神戸のどこにお住まいですか?
「長田です」
震災のときは大丈夫でした?
聞いてから後悔した。
長田なら家族が亡くなってるかもしれない。
「家は半壊でしたが、無事生き残りました」
ほっとした。
「わしゃ、ほんとに運がいいんです。恵まれとるんですよ」
山崎老人は笑顔でそう言うと、それじゃあ、とまた森の中へ消えていった。

宿の人から聞いた。
「あの人はこの稲子湯からしらびそ小屋までの2時間ちょっとの登山道を
 毎年、整備してるんですよ。草を刈ったり、倒木をどけたり、木道を直したりして」
夕食時に百名山を登った龍野の夫婦の話を聞いた山崎老人は、
「何よりも、二人いっしょに登ったのが素晴らしいことですなあ」と何度も言った。

「運がいいんです」と言った山崎老人。
笑顔の裏には、もしかしたら悲しい出来事があったのかもしれないが、
たぶん、あのニコニコ顔で人生を肯定的に生きてきたのだろう。
アメリカ人が言うところの自然と他人も幸福にする「ハッピーピープル」なのかもしれない。
「ハッピーピープル」に会いにまた稲子湯へ行ってみたい、と思った。