ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

09/6/14 冷夏の予感

今日も早朝からヒロがバレーボールの試合に行く。
僕は取り残されてだらしなく眠り続けた。
8時過ぎ、トイレでちょっともどしてしまう。
吐くほど飲んでない。
こんな状態では走れないね、と走れるくせにサボる。
サボる理由は何だっていい。
今日も梅雨の晴れ間。


…通勤電車でPodcast久米宏のラジオなんですけど)を聞く。
特に根拠もないのだが、今年は冷夏になるかも、と久米宏が予想する。
(実際にエル・ニーニョ現象が現れそうなデータがあるらしい)
1993年、今から16年前も冷夏だったと言う。
これは僕の記憶にも刻まれている。
確かにあの年は冷夏で、天候不順な夏だった。
お米がとれなくて輸入米が話題になった。
Jリーグの始まった年でもあった。
自民党が政権の座から転げ落ちたのはこの1993年だった。
首謀者は党を割った小沢一郎、そして細川政権の誕生。
久米宏が予感しているのはこの政変だ。
今日、鳩山総務相辞任(更迭)で一揺れあった。
いっそのこと 激しい雨よ降れ、とさえ思う。
(ま、降るだろうけど)


…ニュースデスクの一日。
オリックスがヤクルトにボコボコにされた。
プロ野球記録の11打数連続安打。
それでもボコボコ返しをしてスコアは14-10。
ヤクルトはイム・チャンヨンで逃げ切った。


…テレビをぼんやり見ていると島田紳助が得意げに語っている。
10代の頃はあんなに長かった1年が、歳をとるとどうして短く感じるのか?
まるでレコード盤みたいに年が進めば進むほど一周が小さくなる。


なんでか?
紳助が言う。(おそらくは誰かに聞いた話だろうけど…)
高校生の頃は何を見ても何をやっても新らしいことばかり。
1年で脳に刻み込まれる記憶のデータ量は膨大だ。
その作業の膨大さからその時代の密度は高く1年は長い。
でも、人間は一度覚えてしまうと書き込む作業を省略する。
あ、これは前に見たな、と。
しだいに密度はうすくなりスカスカの1年になっていく。
だから、と紳助が言う。
歳とっても新しいこと、やってことのないことをやればいい、と。
そうすれば1年の密度が濃くなる。


僕のようにヒマして、笛吹いたり、自転車に乗ったり、
映画観たり、本読んだり、山登りしたりしてると日記に書くことが多くて困る。
これってすなわち密度なのかも?と思ったりする。
そんな隠居老人みたいな、あるいはリタイアした金持ちみたいな毎日でいいのか?
お前には老いたりといえども何かを成し遂げるという志はないのか?
という問いかけはここでは触れないで下さいね。
毎日、自分なりに、問いかけて、あげくに飲まずにはいられないのです。


でもねえ、と僕は思う。
書き込む作業は体力が要求されるのだ。
新しいことをするのは大事だが、ほどほどにしないとね。
年寄りはほどほどでよろしいかと。


…ニュースを送り終えてA木とビールを飲みに出る。
深夜、京橋の小汚い商店街にクチナシの花が咲いている。
生ゴミや煙草のニオイに混じってクチナシの花が香る。
掃き溜めに純白の花。
いーまでは 指輪も まーわるほど、と歌ってしまう。


クチナシ、紫陽花、ビヨウヤナギ、アガパンサスと梅雨の花が咲き揃う。
もう夾竹桃や芙蓉、夏の花も咲き始めている。
A木の夕飯につき合い、鴨汁の店でビールを1本飲む。
湿気も少なく涼しい。
くちなしの夜はやさし、である。


…明日からしばらくは晴れの予報。
あの1993年の梅雨はどうだったのか?


明日は自転車で神戸まで行こう。
去年から見たかった『ザ・レスラー』を見るのだ。

     


去年の暮れ、ラジオでこの映画を紹介してくれた町山氏が昨日付のブログに書いている。
タイトルは「映画『レスラー』は箱船の船長へのテン・カウント」
箱船とはもちろんノアのことだ。
昨日の土曜日、日本公開の日が、奇しくも三沢光晴の命日になってしまった。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20090613