ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

09/11/20 長浜平和堂のエスカレータ

ゴミ捨ての朝、体重72.20キロと増える。
午前中は日記を書いて過ごす。
明日はびわ湖大学駅伝の本番、午後から長浜へ移動、前泊する。


JR尼崎から新快速長浜行に乗る。
1時間半の電車移動、250mlの小さなペットボトルに純米酒
何の銘柄か忘れてしまったが冷蔵庫の野菜室に安置しておいたもの。
キオスクで買った乾きモノをつまみに飲む。
車窓に晩秋の風景が流れる。
iPodでジャズをランダムに流し文庫本を読む。
図書館で借りている後藤正治『表現者の航跡』、実は貸出期限超過。
小説家の高樹のぶ子の人物ノンフィクション、題して「愛のプロ」。
恋愛小説を得意とする作家らしいが読んだことはない。
釧路の休坂の宿主さんに数年前推薦されたことがあるが未読のままだった。
でも、後藤さんの文章は本人を知らなくともぐいぐいと気持ちよく読める。
高樹のぶ子の小説が読みたくもなる。
『サザン・スコール』『光抱く友よ』『透光の樹』『百年の預言』などなど。
でも、この手の恋愛小説は苦手かもね。
恋愛力には全く自信がないし、関心も待てない。
この文庫に収録されている7人のうち国谷裕子内田樹高樹のぶ子を読んだ。
彼女ら彼らの両親の話に興味をそそられる。
時代のせい、だろうと思う。
例えば内田の父は満州で諜報機関の仕事をしていた。
同僚やいっしょに働いていた中国人が次々と処刑される中、生き残った人。
高樹のぶ子の父は戦前に生物学の大学教授だった。
が、戦中は若い新兵に飛行機の操縦を教え特攻へ送った。
自らも8月18日に隊長として出撃命令を受けていたが出撃を待たずに日本は無条件降伏した。
fatfat氏の書いていた昭和初期から戦後にかけてのフィクションより奇なるノンフィクションの時代。
物語が否応なしに濃厚にならざるを得ない、暴力的な時代だったのだ。
ほろ酔い、居眠り、酒精が醒める頃、長浜に到着。
午後5時半、駅前はすでに夜だ。
この街は闇が深い。


明日の出発は早い。
朝食を買おうと駅前のスーパー、平和堂に寄る。
ハトの看板の金属の枠に錆が浮いている。
エスカレータが音をたててきしんでいる。
相当な年期モノなんだろうな。
初めて長浜駅を通過したのは大学受験の時、僕は18歳だった。
名古屋から在来線特急「しらさぎ」に乗ってこの駅を通過した。
鳩のマークの看板がのったビルが駅前にあった。
平和堂という見慣れない名前。
それが滋賀県にあるローカルなスーパーチェーンだと知るのは数年後のこと。
秋から冬に名古屋から金沢へ行くとき、長浜あたりから北陸の匂いがした。
駅前には暗い空と湿った空気と平和堂があった。
このエスカレータはその頃からあったのだ。
昇りだけ、降りるには階段を使う。
30年モノ、いや40年モノかもしれない。
地元の子供がその古いエスカレータに乗ってはしゃいでいる。
エスカレータに乗るのが珍しくて楽しくてたまらなかった頃が僕にもあった。

     

     

     

駅前のビジネスホテルにチェックイン。
会議室で打ち合わせを済ませる。
スタッフとの食事は遠慮させてもらい一人で街に出る。
去年も行った『2nd Booze』というビアバー。
古い明治風の洋風建築のビルの一階にある。
広い店内、どっしりと重厚なカウンター。
ギネスの樽生1パイントとミネストローネのオムライス。
表現者の航跡』の続きを読む。
次なる人物ノンフィクションは数学者の森毅、「老人フリーター」。
カウンターの中には男前のバーテンダーと美人が2人。
聞くともなしに客との会話が耳に入る。
地元の60年配の夫婦が新しく入荷した国内産エールの旨さを愛でる。


もし自分が長浜で暮らしていたとしたら…。
そんな夢想にふけり20分ほどでギネスが空く。


9時過ぎ、ホテルに戻る。
エレベーターホールに置いてある『美味しんぼ』を3冊、部屋に持ち帰る。
テレビで『天空の城ラピュタ』放送中。
パズーがラピュタに辿り着く前に眠りにつく。
明日は早い。