10/1/23 2010年に思う。

2010年、いま僕の頭を巡ること。
今年を生きていくためのアイデアの断片(フラグメント)をランダムに並べる。
あまりに稚拙で自分本位で読んで貰うに値しないことばかり。
自分がそのような断片で成り立っている事実を知るのは辛い。


年末から年頭にかけて僕の気持ちを穏やかにしてくれた文章がある。
内田樹のブログにある「ナマケモノでいいじゃないですか」と題された一文。
http://blog.tatsuru.com/2009/12/23_1004.php
けっこう長い文章なのでいくらか抜粋する。


 日本がダメである所以の過半は「怠惰」ではなく「勤勉」の結果である。 
 だから、「ダメなのでがんばる」という脊髄反射的なソリューションを採択している限り、
 「ダメ」さはさらに募るばかりである。
 私はそう考えている。


 社会的不幸には単一の有責者など存在しない。 
 責任の重さに濃淡はあるが、構成員のほとんどが無意識的に加担し、
 構成員のほとんどが間接的にそこから受益しているのでない限り、
 「社会的な不幸」と呼ばれるような重篤な事態は出来やしない。
 日本の刻下の不幸は「ダメな日本をまっとうな国にしよう」として試みられた
 すべての国民的努力のみごとな「成果」である。


 例えば、環境問題というのは誰が何と言おうと「働き過ぎ」の成果である。 
 働くほど環境は破壊される。
 ほんとうに環境を保全したいと望むなら、
 自然の再生産が可能な範囲に経済活動を自粛するべきなのである。 
 緑に覆われたペロポネソス半島はいまは禿山だらけだが、
 それはギリシャ人が製鉄の燃料のために切ってしまったからである。
 古代の経済活動レベルに戻してさえ、それでも環境は破壊されてしまうのである。
 そのことを覚えておこう。
 繰り返し論及している教育問題についても、同じである。 
 日本の子どもたちの学びへの意欲が急速に減退しているのは、
 勉強すると金になるぞという類の経済合理性によるインセンティブを過剰服用したせいである。 


 現在の日本の不幸の原因は「過労」である。
 過労でやつれはて、生きる意欲をなくしている人間に向かって、
 「さあ、『過労』を克服するために、刻苦勉励しよう」
 と言い立てるのはあまり賢いふるまいとは思えない。
 少なくとも精神科の医者は止めるであろう。
                      (内田樹の研究室 09/12/23より)



これを、向上心のない後ろ向きな考えだ、と言えば内田先生の説をさらに強化することになる。
合気道みたいなアイデアですね。
僕はこの考えが退廃を招くとは考えない。
むしろ救われた気持ちになった。
今年も同じように自分の未来をより良くしようと「勤勉」に考えて「努力」すべきなのか。
いや、少なくともその延長線上で考えるのはやめたいと思う。
内田先生の言葉を借りるまでもなく思うのだが、
その手のソリューションがうまく機能した試しがないからだ。
たいていは空振り三振に終わる。
少なくとも物心ついて30年くらいは…。


内田先生は年頭に書いている。


 1950年代の日本人のうち、60年後の日本が「こんなふう」になることを
 予見できたものはいなかった。
 60年生きてきてわかったことの一つは、私たちの未来予測はほとんど当たらないということである。
 長く生きたからといって人間はべつに賢くなるわけではないということを長く生きてきて知った。
 その自分の愚かさについての覚知だけが唯一加齢のもたらした価値ある知見である


 というわけで、だから、今年の目標は「働き過ぎに注意して、のんびり暮らす」である。
 じたばたしてもたいしてものごとは変わらないし、
 変わる場合でも、たいてい悪い方向にしか変わらない。
 だったら、じたばたしないに越したことはない。
 みなさんもどうぞのんびりとよいお正月をお迎えください。


人生の大半は別件で決まる。 
『初秋』でスペンサーがポール少年に言っている。


 『そんなことはどうだっていいんだ。
  要は自分はこうあるべきだという考えにとらわれないことだ。
  自分に出来ることなら自分の気に入ってることをするのが一番いい。』


止まらない不況スパイラル。
環境、生活条件は悪くなる。
シリアスになりすぎないこと。
反省もほどほどに。
飄々と好きなことをしよう。
新しいことをしよう。
他者ともっとつながろう。
ダメならやり直したらいい。
2010年の年頭所感です。



…愛犬てんのカレンダーを作った。
(相当ヒマですね)
薄汚れたぬいぐるみをせっせと山へ海へ北へ南へと連れて行き写真を撮った。
この英語サイトで簡単にカレンダーが作れます。
http://bighugelabs.com/calendar.php