ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

10/6/11 ブブゼラ

ワールドカップが始まった!
あの耳障りなハエが群れるような音はいつか慣れるのだろうか?
開幕戦、南アフリカとメキシコ。
どっちもサッカー上手いなあ。
個人技も組織ワークも、無駄に走らず、ここぞと言うときにトップギアに入れる。
南アフリカの先制点。
あれは肉食獣、ライオンが獲物を狩る時の動きだね。
ときに集団で、ときに一匹で狩りをする。
ボールを奪った瞬間、野性が反応して、いきなりトップスピードになる。
日本代表はうろうろ歩き回る草食獣なのかも。
ゴール直後のダンス好きです。


…今日はニュースデスク。
大阪は今日も30℃越えの真夏日です。
朝から番組会議、そのままデスク勤務、明日からの取材の段取りで落ち着かない。
神港学園 伊藤諒介の最多本塁打新記録狙いでカメラクルーを出す。
練習試合の球場は岡山の山の中らしい。
明日は2試合、出れば終わりだが出なければ岡山泊だ。
(僕が行くわけじゃないですけどね)


三十路さんがTwitterでつぶやいていた名前に反応する。
熊本の多良木高校に斉藤健二郎先生(61)が野球部監督として復帰というニュース。


あ、この監督さん、取材したことあるぞ。
時は1987年の暮れ、阪神1位指名の野田浩司の取材だ。
実家や母校や多良木の駅や商店街やらを精力的に撮影した。
まだ僕もスポーツ担当としては駆け出しで要領がわからず全力投球のころでした。
野田は熊本の九州産交で働いていたので不在、両親の家で食卓を囲みながら話を聞いた。
お父さんは実直な感じの郵便局員で野田のプロ入りを心配しつつも喜んでいた。
しばらくして高校の監督である斉藤先生がやってきた。
僕が呼んだのか、単なる偶然だったのか今は忘れてしまった。
浩司はプロで通用するとですかねえ 先生、とお父さんが何度も問う。
種は蒔いた。あとはどんな花が咲くか、どんな実がなるかとですよ、と斉藤監督。
咲きました。
前人未踏の一試合19奪三振日本記録として。


翌日は熊本市内で野田本人の撮影。
その週に阪神入団を控えていた野田が「選手の両親はついてくるもんなんですか?」と聞く。
僕もはっきりわからないまま「そういうもんじゃないかなあ」と答えた。
社会人やプロになってまで親がついてくるのに照れていたのだろな。


後日談がある。
そのミニドキュメント風のVTRの出来は良かった。
滅多にないことだけど自分自身も満足行くものだった。
当時プロとアマは一線を画し、かなり厳しかった。
スポーツ事情に疎かった僕のミスだ。
高野連関係者に問い合わせたところNGだとのこと。
斉藤先生に迷惑がかかる、とのことでカットされることとなった。
いいシーンだったのになあ。
結局、先生の存在だけカットして両親だけの夕食シーンとしてOAした。
今はプロとアマの壁はなくなってきたから問題にはならないだろう。


あの先生は校長になったのかあ。
三十路さんが、斉藤さんも若い先生だったのだろうな、との感想をつぶやく。
いや、すでにオッサン、御大だったという記憶がある。
でも待てよ、と思う。
新聞記事によると現在61だから23年前は四十前だったはずだ。
思えば僕は20代後半、10歳以上離れた人はみんなオッサンに見えたのだろうな。


野田は神戸市内に「まる九」という地鶏・黒豚・馬刺しの店を出している。
まる九の九は九州の九だろうか。
23年前、熊本城の広場でシャドウピッチングを撮影した。
そういえばあの頃の野田はスリークォーターでなくオーバースローだった。
フォークを投げていたという記憶はない。
http://www.youtube.com/watch?v=jLrV1Hh4bUA


もう一つ付け加えたい。
阪神に所属していた選手の中で野田浩司は間違いなく真っ当な人だった。
育ちが良いのでしょうか。(セレブという下品な意味でなく)
有名になっても僕を見かけると自分から挨拶してくれた。
そんな人はタイガースの選手では稀有な存在です。