写真は京橋の「ふなこし珈琲店」と「博士の愛した数式」
8月になってしまった。
1週間後にアテネへ出発だ。昨夜は嫁と夙川のスパゲッティ「サンレモ」で夕食。
喫茶店を改造したパッとしない内装の店だけど、スパゲッティもピザも何でも旨い。
カリカリのプレーンピザは今まで食べたピザの中でも最高位だ。
おまけに昨日はサービスデイで生ビールが半額だったのだ。
ベーコンとこねぎの和風スパゲッティも旨かった。夙川沿いに歩いて帰る。いつもより人が多い。
今日は芦屋浜の花火らしい。
すれ違う年配の夫婦が「今日は花火中止」と言う。
台風による強風で危険だと判断したのだろう。
自宅に戻りサッカーを見始める。
…アジアカップ準々決勝、日本対ヨルダン。
久々にテレビの前で握り拳。川口凄い!
普段はおっちょこちょいなとこがあって、いろいろ不安視されてるけど、PK戦になればヨシカツだった。
嫁に延長戦の最中に「PK戦になったら川口がいいんだよなあ、アグレッシブだし」と言う。
その通りになって鼻高々?
確かに相手をまっすぐに睨みつけて、視線をぴくりとも動かさなかった川口の表情がよかった。
行けるかも…と思わせた。
凄い。
思えばプレミアからデンマークのノアシェランまでずっと控え人生の川口、
プレッシャーは計り知れない。
何だか知り合いでもないのに「ヨシカツ、よかったなあ」と思う。
ただ…その精神力や運気をここで使い果たせしてしまってないか?ちょっと、不安。
でも、川口はちょっと不安なくらいの方が「らしく」ていいのだ。
…ところで、重慶はかなりの反日で完全アウェイ状態だったという。
日本にしては珍しい体験だろう。でも、思うんだけど日本代表って
ホームでやっても、ジョホールバルみたいなニュートラルな場所でやっても
いつもホーム状態で贔屓されていた。
ちょっとしたチャンスでもスタンドが大騒ぎする中でプレイすることが多かった。
何か、それって選手自身も「力になります」と言いながらも
こそばゆい感じがしたり鬱陶しかったりしたのではないだろうか?
今回のようなあからさまなブーイングの中、プリミティブな負けず嫌い根性が出たのでは?そんな気がする。
あの70年代後半の日本シリーズで阪急が後楽園球場で感じていたような反骨心。
そんな感情の方が元来、日本人が力を発揮するには合っているのではないか。
あのときマウンドに立っていた足立(阪急ブレーブスのサブマリン)は
「もっと騒げ、もっと騒げ」とつぶやいてと言う。
…台風の通過する中、散髪に行く。散髪の時にしてもらうマッサージが苦手なのです。とにかく、痛い。どこの散髪屋でも誰がしても痛いので、たぶん僕の方に問題があるのだろう。でも、気が弱くて「マッサージやめてください」と言えない。それどころか「…ぁぁ気持ちいい」などと心にもないことをいってしまう。情けない。
プールで少し泳いだ後、京橋のダイエーの3階の忘れられたような場所に「ふなこし珈琲店」という珈琲専門店がひっそりと営業を続けている。スーパーの中にあるとは思えない雰囲気の店。行くのは3年いや4年ぶりくらいか。オイルステンを塗り込んだ重厚なカウンター、インテリアとしても機能している夥しい陶器のカップ、隣の部屋から聞こえてくるかのような控えめなクラシック音楽、そんな店。そのカウンターで小川洋子「博士の愛した数式」の残り20ページほどを読む。台風の気配が残る大阪の場末の珈琲店のカウンターがこの小説を読み終えるのにふさわしいか、いささか、自信がない。
出来るなら、秋めいた昼下がり、夙川公園の緑が窓に映る図書館の閲覧席の方が似合うかな。
この本の中にある小説世界が愛おしい。好きな小説だった。誰かがレビューで映画の「ビューティフルマインド」と小説「センセイの鞄」をミックスしたような物語と書いていたが、ちょっと違う、けれど言いたいことはわかる。数学と初老の男と30過ぎの女性が出てくるから。
おまけに10歳の少年と江夏豊も出てくるのだ。村上春樹と池澤夏樹もちょっとミックスされているかな? どこか外国の街(たとえば英国)のファンタジーのよう、登場人物が「博士」「ルート」というように日本人的な名前が出てこないこと、家政婦が登場することなどが、そう思わせる。この「博士」と「ルート」と主人公の「ルート」の母親の3人の幸福な時間がいつまでも続くことのないだろう儚さに満ちていてちょっぴり悲しい。
主人公の一人「博士」は天才的な数学者、しかし記憶が80分までしかもたない障害を負っている。映画の「メメント」みたいだ。素数や友愛数、完全数(江夏の背番号の「28」は完全数)やフェルマーの最終定理やオスカーの定理など数学のお話がいっぱい登場してこれが意外と読ませる。楽しいのだ。ふと、思った。僕の嫁の記憶が80分しかもたなかったとしたら…?僕はこの主人公の家政婦のように優しくつきあえるだろうか? なんか悪用して、とんでもないことになってしまいそうで怖い。眼鏡堂さんに吉祥寺で薦められて読んだのだが正解です。川上弘美や村上春樹や池澤夏樹の小説が嫌いじゃない人は好きな小説だと思います。
ただ、アマゾンのカスタムレビューを見ると人はいろんな感じ方をするのだなあと改めて思う。
ほとんどが絶賛のレビューなのだが、なかには最低の一つ星評価をする人もいます。
まあ、それは人それぞれ感じ方が違うのでいいのだが、こんなことを書いている。
(物語が平板で、何故、高い評価を得ているのか理解に苦しむと書いて)
曰く、
「博士が愛した数式」を読んで感動したのであれば
『放浪の数学者エルデシュ』や『フェルマーの最終定理』
この最低2冊の本は読んでおくべきだと思います。
…はないんじゃなかな。こういう人いるけどね。見当違いな人、なんで「博士の愛した数式」を読むのに上記の2冊が必須なのか? (読んだら面白いのかも知れないが)
ただ趣味に合わなかっただけだろうに、本質をはき違えてしょうもない知ったかぶりをひけらかせているだけ。
…それとこんな人も、
ラストは号泣、通勤電車で読んではいけません。ただただ唸らせられてしまう本。
降参です。
…と手放しで絶賛。 号泣って? そんな本でもないと思う。
巧みなエンディングには静かな幸福感と淋しさをともなった感動はある。
けど、たいていの人は号泣はしないと思うし、
作者の立場としても号泣されても困るんじゃないかな。
最近、思うけど、こんな見当違いの人や極端な人多いよなあ。号泣も大安売りだし。