ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2010/10/4 追悼の夜

ホントに涼しくなった。
地球はサボらず太陽の周りをまわっているのだ。
涼しいといつまでも寝ていられる。
若い人には分からないかも知れないが睡眠というのは体力仕事であります。
良く眠れるというのは体調がいい証拠なんです。


今にも降り出しそうな空。
ロードバイクでいつもの15キロコース。
途中から雨が降り出した。


雨脚が強まる。
自然とペダルに力が入る。
橋の上の歩道、前に傘をさした人が歩いている。
蛇行してるような…?
右側を抜く。
ペダルを踏み込んだのが点字ブロックの上だった。
タイヤが空回りする。
転倒!
身体の左側を強く打つ。
「大丈夫ですか」と傘の人。
「あ、すいません。大丈夫です。滑っちゃって。」
また転んじゃった。


現場を写真に撮っておこ、と右ポケットのデジカメを取り出す。
わ、液晶がつぶれてる。
電源が入らない。
SONY CYBERSHOT が壊れちゃった。


今回の転倒をどう見るか?
9月16日にもコケた。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20100917/1284655113
この日は雨上がり。
泥の沈殿した水たまりでUターンしようとして転んだ。
今回は雨の降り始め、いわゆるハイドロプレーン現象。
カーリングのブラシで掃いたみたいな摩擦が少なくなってるところで転んだ。
Giantが履いているタイヤはスリックタイヤで速いけど滑りやすい。
わかってたのになあ。


ハインリッヒの法則】というものがある。
労働災害における経験則の一つ。
「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」
この2回の転倒が29の軽微な事故と見るべきだろう。
いずれ大事故につながる。
どちらも雨のからんだ明らかな判断ミス。
雨の降り始め、雨上がりは要注意!


デジカメ破損。
今使ってるモノはCYBERSHOTのT10というカメラ。
レンズカバーを開けると同時にスイッチが入る。
メモ替わりのカメラとしては使い勝手がよい。
2006/9/14に購入している。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida+archive/20100925/1285426660
ちょうど4年前になる。
しゃあない同じタイプの新機種を買い換えるか。
(嬉しかったりして)

   



…ニュースデスク2日目。
オリックスはシーズン終了、阪神は遠征中。
嵐の前の静けさか、関西スポーツ界は天気晴朗で凪の海のごとし。
19時にはスポーツデスク閉局(店仕舞い)とする。


最近はさびしんぼうなもので独酌回避、セルジオを誘う。
梅田第1ビルの地下の酒屋「山長梅田」にて立酌。
立酌とは立ち飲みのことね(僕の造語ですが)。
いい具合にほろ酔い。


セルジオの案内で兎我野町の「ポレポレ」というBarへ行く。
店主はフクスケさんという僕らと同年代の人。
フクスケさんは週刊朝日の似顔絵塾の入選の常連だった方らしい。
(山藤さんの似顔絵塾の特待生だったのかな?記憶曖昧ゴメンなさい)
僕が「じゃあネコの絵描いてる久下さんと同じですね」
「久下さんのニューヨークのお宅に行ったことありますよ。」と言う。
店にも久下貴史さんの原画が飾ってある。
絵に描かれているネコたちも生で見たことがあると言う。
http://www.j-artist.co.jp/mh/cats.html
あのフェデリコやシゲオ・ダ・ビンチ(だったっけ?)に会ったのだ。
似顔絵塾出身の絵描きのコネクション。
羨ましい。


久下さんのネコカレンダーは我が家の常備品です。
  

この「ぷよねこ減量日記」のプロフィール欄の小さなイラストも実は久下さんのネコ。
これは本人に了解を得ずパクっただけですが。



そんな話で盛り上がっていた時、iPhoneにメール着信。
ヒロからのメール、訃報だった。
彼女の親友でママさんバレー仲間のダンナ(夫)が亡くなった。
ヒロとは高校の同級生。
僕と彼とは直接の友人ではないがお互いを知ってはいる。
でも、今いっしょに飲んでいるセルジオとその彼とは同じバンドを組む仲間だ。
リードギター神崎川渡。


渡くんが死んだ、そう言うとセルジオは絶句した。
悪性リンパ腫だった。
去年から1年がかりのハードな闘病生活を送っていた。
この夏に退院して自宅療養。
数日前、ヒロから具合がよくないとは聞いていたが…。


バンド仲間は家族と直接の交流はない。
おそらくヒロ経由の情報が早いのだろう。
渡くんもかつて常連だった西天満の「After Hours」へ行く。
マスターにセルジオが知らせる。
病状は聞いていたが、こんな早く…と言いながらと他のみんなも絶句した。
石垣島に行ったミネーロに知らせる。
ギターを弾く彼の遺影をメールで送る。
9月4日、追悼の夜となった。