朝、雲が厚い。
宍道湖畔へ早朝ジョギングへ出る。
ときおり日の光が地上にふり注ぎ、ときおりシャワーのような雨が降る。
アイルランドのような空模様。
丸山薫にこんな詩がある。
汽車に乗って あいるらんどのやうな田舎へ行かう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまはし
日が照りながら雨のふる あいるらんどのやうな田舎へ行かう
窓に映った自分の顔を道づれにして 湖水をわたり隧道をくぐり
珍しい顔の少女や牛の歩いてゐる
あいるらんどのやうな田舎へ行かう
この詩を知ったのは小田実の『何でも見てやろう』だった。
小田実がダブリンの映画館で母国日本のトーキョーを紹介するニュース映画を見た。
文明の国ニッポンを見て感嘆の声をあげるダブリン市民を小田が面白がった。
1950年代のダブリンはどんな街だったのだろう。
ジョイスの小説世界を思い浮かべる。
すぐに話が逸れますね。
天気の変わりやすい松江でジョギングしていたのでした。
変わりやすいと言えば金沢も負けず劣らず、弁当忘れても傘忘れるな、の土地柄。
あ、また逸れた。
新しいデジカメCyber-shot DSC-T99で写真を撮る。
液晶画面も大きくてハイビジョン仕様、それはいいのだがサイズが小さくて扱いにくい。
操作がすべてタッチパネルになった。
間違って触ってしまう。
わけがわからない画面になって困る。
長く使い慣れたものから新しいものに変わると違和感に戸惑う。
でも、マイブーム的金言が僕を救う。
「あ、これでいいです。あとは自分で何とかしますから」
最新モデルを使ってこの言いぐさはないか。
松江を走りながらPodcastで「キラ☆キラ」を聞く不思議。
小沢一郎の強制起訴、民間人の検察審査会って何なのだろう。
被害者が一人もいない事案なのになんで国民が怒っているのか。
政治生命を絶つことを目的としているとしか思えないのだが。
…昼前から晴れる。
さすがは10月10日、晴れの特異日。
あの東京五輪は46年前、あの年に生まれた妹もそんな歳になるのか。
汗ばむほどの陽気になる。
一畑電鉄に乗って出雲へ移動。
この路線に乗るのは3年ぶり2度目。
年代物の車輌、映画『Railways』を思い出す。
宍道湖北岸を西へ向かう。
途中、なぜかスイッチバックする箇所がある。
向かいのシートで4歳くらいの可愛い女の子が絵本を一心不乱に読んでいる。
むき出しの両足に虫さされの痕が痛々しい。
本人は気にもしていない様子。
川跡(かわと)駅で乗り換える。
ステンドグラスの駅舎の出雲大社駅に到着。
…何年も取材で出雲へ来ているのに出雲大社の中へ入ったことがなかった。
神在月の日曜日とあって凄い人出、牛の歩みの参列にまじってすぐに後悔する。
しかも、出雲大社は『平成の大遷宮』の最中。
本殿は工事用のシェルターに収まり参拝者は御仮殿に列をつくる。
平成の大遷宮。
そういえば名古屋の熱田神宮も去年本殿を建て替えていた。
半世紀ごとに建て替えていくことには技術伝承の意味もあるのだろう。
遷宮のような大事業がなければ大仕事の経験のないまま一生を終える。
宮大工にとって本殿の建て替え不可欠なのかも。
思えば僕らのような仕事だって同じかもしれないね。
僕のようなロートルが同じ仕事を何年もしてるから若い人が育たない。
同じ職場にしがみついたらダメなんですよね。
実が落ちないと同じ枝に次の実がつかない。
勇気を振り絞って今の場所を去り、新しい働き場所を見つけることも僕らの責務なのかも。
体力がある時にはそれくらいは出来ると思う。
錯覚かもしれないけど。
今頃気づいたのか、とも思う。
鳥居前、駅伝のスタート地点。
中継クルーがクレーンカメラのテストを繰り返す。
午後5時前、開会式の会場へ行きオーダー表をもらう。
早稲田が前半勝負をかけてきた。
京都産大、立命館、ともにほぼ予想通りの布陣。
先手必勝は早稲田と変わらないが選手層の厚さはいかんともしがたい。
二校どちらかでもいい、全国に名前を売って欲しいなあ。
監督、コーチに挨拶して山陰本線で松江に戻る。
歩き回って疲れた。
…松江の夜、今日はスタートが遅い。
昨日と同じ『やまいち』から『山小舎』
溢れんばかりに水を満々とたたえる大橋川、
松江の街はいつ来ても水に浮かんでいるかのようだ。