2010/10/16 「目標を低く設定すること」

山と温泉の旅から摂津国西宮へ帰国。
いわゆる普通の生活に戻るも激しく寝坊、目が覚めたら10時前だった。
この一週間休み無く働き続け、ようやく休みになった人に申し訳ない。
(実際はそんなヤワい心では自由業なんてやってられません)


昨日21時前に帰宅。
「座り込んだらダメ」とヒロの陣頭指揮で荷を解く。
とにかく勢いでやるべし。
ザックの中身を出し、洗濯物、土産物、宿や観光地のパンフなどを整理、処分する。
翌朝、起きた時に旅の荷物がそのままになっていることを想像しろ。
うんざりするでしょ?
ま、僕は洗濯物を出すだけでいいから楽チンでありますが。
帰った10分後には荷ほどきを終えるべし。
ぷよねこ家の家訓の一つ。


おかげで朝のデスク周りもすっきりしてます。
さあ、珈琲を淹れてiMacで写真の整理なんぞを、と思ってついTwitterを覗く。
佐々木俊尚さんがこんなつぶやきを残している。


  村木厚子さんと東電OLと、そして今の若い女性のあいだに横たわっているもの。
  たいへん良記事。/北原みのり村木厚子さんと東電OL http://t.co/dkteb49


さっそく北原みのりさんの当該記事を開く。
僕が感銘を受けた文藝春秋の手記、筆者も同じ手記を読んでこのコラムを書いたようだ。
『LOVE PIECE CLUB』というサイトにある「村木厚子さんと東電OL」と題されたコラム。
http://www.lovepiececlub.com/kitahara/2010/10/ol.html
北原みのりさんがどういう人かは知らなかったが、なかなか鋭いコラムだと思った。
改めて村木さんの賢明さと心の強さに感動した。
人って心の持ち方で(大抵のことは)乗り越えられる。
コラムは冒頭、僕が同じ手記を読んで気づかなかった点に触れている。


  村木さんは検察で嘘の調書を強要され、抵抗し続けてきた拘留期間に、こう考えたという。
  
 「検事の土俵にいる限り、私が勝つことなんてありえない。
  だとすると、やらなきゃいけないのは負けてしまわないこと」
  
  そのために村木さんがしたのは「目標を低く設定すること」だったという。
  しかも驚いたことにその目標はたった二つ、こういうものだった。
  
  「体調を崩さないこと」「落ち込まないこと」    
                      (北原みのり 『LOVE PIECE CLUB』より)


コラムでは目標を高く設定して男社会と闘った東電OLと比較して論を展開する。
「目標を低く設定すること」
どうして村木さんはかくゆう戦略を即断することが出来たかをコラムは読み解く。
それは村木さんの数十年来の処世術だった。
「体調を崩さないこと」「落ち込まないこと」というシンプルな設定が凄い。
つまり心身ともに強く健やかであることだ。
立場は全く違うが僕も村木さんと同世代、この2点がどれだけ大切かは経験でわかっている。
だけど、目標に設定することはなかった。
もちろん村木さんも起訴、拘留されたがゆえに一旦後退し防御線として設定したのでしょう。
でも、そんな状況ゆえに余分なものは削ぎ落とされ本当に大切なことだけが残った。
それが「体調を崩さないこと」「落ち込まないこと」だった。 


  村木さんは、今回の裁判で戦い抜いた“勝因”についてこう記していた。 
 

 「気持ちが折れない、健康で体力が続く、いい弁護団に恵まれる、
  自分の生活と弁護費用をまかなえる経済力がある、家族の理解と協力を得られる、
  という5つの条件が揃う幸運に恵まれないと戦えないんです」 


  東電OLになく、村木さんが持っていたもの。
  村木さんの穏やかなパーソナリティだけでは説明できない。
  女がこの社会で生き抜くための条件が全部ここにあると思った。
                  (北原みのり 『LOVE PIECE CLUB』より)


「5つの条件が揃う幸運に恵まれないと戦えないんです」
筆者はフェミニスト(?)でコラムは女性の生き方、戦い方をテーマに書かれている。
おじさんである僕は人生=戦いであるとの設定でものごとを考えてはいない。
でも、「幸運に恵まれないと」のくだりは凄くよく分かる。
もしもの時の戦い、そのための武器は“日常を生きる力”にしか宿らない。
最高でも金、最低でも金、引退したヤワラちゃんではないが、
最高でも「体調を崩さないこと」「落ち込まないこと」
最低でも「体調を崩さないこと」「落ち込まないこと」だと思う。
実際にはこの2つでさえ難しいミッションだ。
50年以上生きてきて、自分はラッキーだ、と誇張無く思う。
幸運の積み重ねで生きてこられたと思う。
だから、「落ち込まないこと」、これだけは譲れない。



…帰りの飛行機で高田郁『八朔の雪』を読了。
4つの連作小説で春夏秋冬が巧みに構成されて、上手い、と唸った。
著者は隣の宝塚出身でもともとはコミックの原作者。
主人公の料理人 澪に惚れてしまったと前に書いたが高田郁の文章も好きだ。
次々と艱難辛苦がふりそそぐ澪につかのまの幸せが訪れる。
悲しくも美しいこころの描写。


  今のつる家、種市から店を任された当初、待てども待てども
  暖簾をくぐる客の無かったことが嘘のような盛況ぶりだ。
  気がかりだったご寮さんの体調も良い、店も繁盛。
  心優しい人々に囲まれてもいる。
  何と果報者なのだろう、澪は頬を緩めながら柚子の皮を削ぐ。
  ー可哀想やがお前はんの人生には苦労が絶えんやろ。これから先、艱難辛苦が降り注ぐ。
  ふいに、遥か昔に聞いた易者の声が耳の奥によみがえって、澪の手を止めさせた。
  慌てて首を振り、胸に宿りかけた不安を追い払う。
  いつの間にか幸せの前で足踏みする習慣が身についてしまっただけ、きっとそれだけ。
  澪は自身にそう言い聞かせて、柚子の皮に向かった。
                     (高田郁『八朔の雪』201頁より)

     

「いつの間にか幸せの前で足踏みする習慣が身についてしまっただけ」
なんだか昔の伊勢正三や狩人あたりが歌いそうな甘っちょろい文句。
あるいは花登筺のドラマ「ぼてじゃこ物語」を思い出す。
だけど時代小説の中で、しかも惚れてしまった澪が言うと不憫でならない。


澪つくし料理帖シリーズはすでに文庫書き下ろしで4冊ある。
図書館では50人待ちだったので近所のブックオフにあった2冊購入。


そう言えば時代小説で衝撃を受けた文章があった。
山本一力の名作『あかね空』の冒頭の3行。(文庫本では3行です)


  深川蛤町の裏店(うらだな)が、宝暦十二(1762)年八月の残暑に茹だっていた。
  長屋裏手を流れる大横川からの川風も、
  入り組んだ路地を渡る間に涼味を抜かれてぬるくなる。
  風は、お愛想がわりに軒先の風鈴を鳴らして過ぎ去った。
                     (山本一力「あかね空」文春文庫より)


Twitterの140文字に満たない字数で、簡潔、かつ情緒あふれる表現。
これぞ職人芸! 憧れます。


あかね空 (文春文庫)

あかね空 (文春文庫)