野村忠宏が講道館杯で2回戦で合わせ技一本負け。
ロンドン五輪を目指していたが事実上断念、引退を示唆する、とある。
野村は35歳、敗れた相手は19歳だった。
僕が彼と初めて会ったのはアトランタ五輪の直前取材。
彼の叔父さんがミュンヘン五輪の金メダリストだった。
決勝開始わずか10数秒で背負い投げ一本勝ち、衝撃的なテレビ中継を高校生の時に見た。
その野村豊和選手の甥っ子が忠広だった。
そんなきっかけで五輪特番での取材を始めた。
21歳、高校生のような初々しい若者だった。
最初にインタビューした時にはまさかオリンピック3連覇するなんて予想もしなかった。
「得意技は、背負い投げ、です。」と小さな声で答えただけだった。
当時は中村三兄弟、吉田秀彦、小川直也に注目が集まり、
国際舞台での実績がない野村はマスコミ的にはまったくノーマークだった。
アトランタで金メダルを獲って帰国した伊丹空港で出迎えた。
金メダルを触らせてもらった。
1996年の夏だった。
あれから14年が経つ。
少年は男の顔になった。
朝刊に尼崎市長選挙の開票結果が載る。
当選したのは38歳の女性候補、現職の白井市長も女性。
尼崎は2代連続女性市長を選んだ。
記事のプロフィールを読んでちょっと驚いた。
1995年、阪神淡路大震災の時、彼女は神戸大学の学生だったのだ。
震災のボランティアをきっかけに市民運動に参加する。
あれから15年、女子大生が市長になった。
90年代半ばがすでに遠い昔に思われる。
時間が激流のように流れ過ぎていくような思い。
新たにやってくる15年は僕の脳内記憶でさらに加速するだろう。
怒濤の果て、気がつけば呆けた老人になって彼岸に打ち上げられているのだ。
40代にはこんな感慨は浮かばなかったのに、どうして50代はいつも自虐的になるのか。
fatfatさんの日記にも、自らが朽ちていく様を嘆き、愚痴り、結局は諦める、
というマゾヒスティックで自傷マニアな感慨が綴られている。
五十路には終着駅が見える。
そんな年頃なんだな。
60代までサバイブしたらまた違う世界が見えてくるのだろう。
ま、順番だからさ。