2010/11/29 ミセス・グリーンの思い出

日記を書くのは朝、それも早朝に限定しようと思う。
書く行為は自分の感想をまとめたり、思っていることを整理する作業。
昼過ぎや夜には向いていない気がする。
アウトプット、反復反芻する作業にあまり時間をかけるのは本末転倒だと思う。
朝以外の時間はインプットに充てたい。


今日も5キロ走る。
ちょっと身体が重い。
去年から今年の始めにかけて身体のいろんな部位が体調不良だった。
血便が出たり、めまいで吐いたり…。
今年は原因不明だが体調がいい。
今のうちにしておこうと思う。
何を?
これと言って思い当たらない。
人生そういうものです。


Podcastで久々に町山智宏の映画紹介を聞く。
『フェアゲーム』という原題のハリウッド新作。
主演はナオミ・ワッツ、ショーン・ペン。
実話を元にしたCIA工作員もの。
フェアゲームとは狩猟の解禁された“獲物”という意味。
ブッシュ政権下で獲物にされた女性スパイの凄い実話。


ナオミ・ワッツ!
『リング』や『キングコング』のイメージがあったのでB級女優かな、と思ってた。
『イースタンプロミス』を見てからファンになりました。
日本公開されたら見たい。


…ニュースデスク勤務の一日。
そういえば昨日、セルジオからメールが入る。
彼に近しい人、二人の訃報だった。
この2ヶ月で同世代(五十代)が3人亡くなっている。
去年、釧路のライブでサックスの梅津和時さんが言ってた。
還暦を迎える頃から友人の生きてる人と死んだ人の比率が半々になって愕然とした、と。


…「ミセス・グリーンの思い出」と苦し紛れに表題を書いてから後悔した。
短編小説になりそうなタイトルだけど、そんな奇特な話があるわけではない。
ただ、映画『最後の初恋』で、ホテルに女主人と二人きり、という場面設定で思い出しただけ。


1989年7月5日、場所はアイルランドの西岸、ゴルウェイという街。
その日、僕が街に着いたのは21時を過ぎていた。
とはいえ7月のヨーロッパ、それも西の端っこ、まだ十分に明るかった。
泊まる予定のメアリー・ライアンYHに行くと満室だった。
そのYHはライアンさんの民宿なのだ。
ミセス・ライアンが紹介してくれたのが、彼女の友人グリーンさんのお宅だった。
確か22時を回っていたと思う。
「こんにちは」
「メアリーから聞いてるわ。ビールでも飲む?」
冷蔵庫から瓶入りのビールを出してくれた。
それがミセス・グリーンだった。
「帰ってからまた飲みましょ」
彼女はすぐにどこかへ出かけていった。
家には僕一人になった。


僕の記憶はこんなところ。
その夜、キッチンでビールをひたすら飲みながら話をした。
村上春樹の短編小説みたいだ。


この日のことは旅のノートに書いてある。
実は、今読んでも自分勝手な文章で何がどういう順番であったのかよくわからない。
今はブログにして曲がりなりにも人様に読んでもらうことを前提にしているから、
後々になって読み返しても出来事の全体像が甦るようになった。


それでも旅の断片はわかる。
自分の記憶と随分違う。
ミセス・グリーンが帰宅してからビールを飲んだのは二人っきりではなかった。
ドイツ人の学生トーマスと3人だったようだ。
北アイルランドのカトリックとプロテスタントの対立に西ドイツがどう関わっているか?
18歳の彼は熱く語った。
ミセス・グリーンは知的な人で、私の意見は違うの、と平易に説明してくれた。
トーマスの考えはちょっとカトリック寄りね、と彼女は言った。
(ミセス・グリーンもカトリックなのだが)
日記にはその深夜のキッチン討論の詳細が記してあるが今読んでもよくわからない。
僕は宗教問題としてとらえていたが二人は経済問題なのだと説明してくれたようだ。
ただテロは狙い撃ちなので旅行者は安全よ、特にあなたはね。


日記の断片から判明したこと。
グリーン宅には高齢のおばあちゃんがいた。
おばあちゃんは孫娘の写真を見せてくれた。
みんな可愛くて写真を撮っていい?と聞くと嬉しそうに、Sure と答えた。
中心に写ってる一番年少の子が写真撮影の時にネクタイを忘れたのよ、と苦笑いする。
みんな可愛い子ばかりだ。
  


ミセス・グリーンは看護婦さん(今は看護師か)だった。
4人の孫は彼女の娘ではなく彼女の兄さんの子供だった。
ベケットのファンで、分厚い本を何冊も見せてくれた。
彼は今パリに住んでるのよ、大戦中はアイルランドの赤十字にいたの。
ハインリッヒ・ベルというドイツ人作家を薦めてくれた。
『アイルランド日記』(原題 Irish Journal)という著作があるという。
ゴルウェイの古い本屋を紹介してもらい僕はそこへ行った。
今はないので予約しておけば教えてあげる、と言われた。
日本に住んでいるので、と断ると、エアメイルで送るわ、と言われた。
素敵なセーターショップも教えてもらった。
町の主婦が手編みしたものをその店に持ち込んで売る店だった。
そこで生なりのフィッシャーマンセーターを買った。
ドイツ人学生のトーマスはこの宿でドイツから来る友人を待っていた。
女の子だった。
ガールフレンドだね、と僕が言うと、違う、フレンドだ、と言った。
眼鏡の彼女はかなり美人で数学を専攻している学生だった。
日記には、トーマスがさえない彼女を連れてきた、と書いてる。
でも、写真を見るとけっこう美形だ。
   



僕の記憶ではミセス・グリーン宅には一泊しただけだと思ったが違った。
いったん僕はダブリンへ戻り、数日を過ごしてからまたゴルウェイに出直している。
記憶は記録しないと自分勝手に改ざんされてしまう。


あの頃が生涯で一番英語を話しただろう。
アイルランドで日本人にほとんど会うことがなかった。
ミセス・グリーンも、日本人が泊まるのも初めてだし、話すのも初めてよ、と言ってた。
今思えばアイルランド人って本当に人なつっこい人たちだったなあ。
話しかけ方がそこに住んでる住人感覚なのだ。


旅したのは1989年、まだ東西ドイツもソビエト連邦も存在した時代。
僕は32歳だった。
思えば、同年代は就職してキャリアを積んでたんだ。
僕は極楽とんぼでした。
また、アイルランド行きたい。