ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2011/1/23 キミとこの嫁はん元気か?

人並みとまではいけないけれど、今月はよく働いている、と思う。
頑張った分だけ何かいいことあるかな、と期待するが人生はそんなものではない。
神様は気まぐれだから先のことは誰にもわからん。
ご褒美など期待しないでせっせと励みましょ。


…Daiさんから、浜ちゃんのことを書いちゃった、とメールが届く。
SUZUKI RUGBYのサイトに「体脂肪11.9%」と題されたコラムがアップされた。
http://www.suzukirugby.com/column/index.html


読みながら何度か吹き出してしまった。
おかしみとペーソス。
浜ちゃんを知ってるだけにその見事な活写をふむふむと頷きながら読んだ。
客のいない午前10時の回転寿司、夜勤明けの元日本代表のプロップが一人で食べている。
大きな背中と高く積まれた15皿、コミカルで哀愁漂う映像が浮かぶ。
たまたま今日もその浜ちゃんから携帯にメールが届いた。
毎度おなじみ能登の母上からのふるさとメールを頼みもしないのに転送してくれる。
(博さんにもよろしくな)
なぜか僕のことが書かれている。
母上に伝わっている僕は糖尿病で手足を切断しなければならないのに飲み歩く人。
ま、いいけど、なんでファーストネームなんだ?


浜ちゃんのことを知らない人のために写真を本人に無断で掲載する。
不惑間近のスクラム番長は寛大なる心で許してくれるだろう。
写真センターが浜辺和その人、場所はもちろん花園ラグビー酒場。
ちなみに、2007年1月近鉄ライナーズ時代の写真です。
生涯現役を口にする人はいるが浜ちゃんのように本気の人は稀有だ。
現在も近畿日本鉄道勤務、クラブチームに籍を移し「常翔クラブ」所属の右プロップ。


…ポスプロでの編集作業を終えて久しぶりにタクシー帰宅。
今日で一段落、明日からは手遅れにならないうちに運動に節制だ。
なぜか明日はニュースデスク、なかなか休めないな。
ぷよねこよ、はたらけ!



都道府県対抗男子駅伝@広島を編集中にチラ見する。
去年は竹澤健介(兵庫)と佐藤敦史(福島)のアンカー勝負が見ものだった。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20100125/1264347384
今年はダークホース栃木が優勝、2位に長野、3位争いが激烈だった。
ゴール前、地元広島の鎧坂(明治大)と京都の三岡(京都産業大)が集団から抜けだした。
おお、西宮出身の三岡クンじゃないか。
ラストスプリント勝負に惜しくも敗れて4位、でも知ってるランナーが出ると力が入る。
びわ湖駅伝で顔なじみの立命館や第一工業大のランナーも地元代表として出場している。
来年はメンバーリストを見ながらスタートからゴールまでフル観戦したい。


喜味こいしさんが亡くなった。享年83。
一昨年の4月、『ホノカアボーイ』という映画に出演していた。
ハワイの日系人、漢字の読めない老人の役だった。

  

いとこいの漫才が子供の頃から大好きだった。
肌に合うというか、リズムが合うというか、うまく表現出来ないけど、好きでした。
数年前の日記にこんなことを書いている。


  最近の漫才、M1の決勝に出てくるような漫才は忙しい。
  4分でいくつボケは入れられるかが勝負のような漫才だ。
  それはそれでハマれば面白い。
  いとしこいし師匠の漫才を思い出す。
  「最近は大阪もゴミの分別にうるさい」
  「ちゃんと分けて出さんとあかんので出す我々も大変ですわ」
  「燃えないゴミは水曜日、生ゴミは木曜日てなぐあいにね」
  「そう、生ゴミは木曜日」
  「ところで、生ゴミで思い出したんやけど、キミとこの嫁はん元気か?」
  漫才ってこういう優雅な(?)芸だったんだ。
  昭和は遠くなりにけり、だよなあ。
  (実際は、鬼瓦で思い出したんやが、キミとこの嫁はん元気か?、でした)
                       (2009年2月25日)


お兄さんは先だって数年前に亡くなられた。
『がっちり買いまショウ』(毎日放送)が懐かしい。
夢路いとし師匠が早口で言う「3万円、5万円、7万円、運命の分かれ道!」がいい。
オリエンタルカレー提供でした。


大阪に出てきたばかりの頃、阪神電車夢路いとしを見た。
座らずにつり革につかまって立っていた。
子供の頃からテレビで見てきた人が目の前に立っていることにちょっと感動した。
まだ誰かに席を譲られるほどの年ではなかったと思う。
その頃の漫才の動画がYou-Tubeにあった。


晩年のころ、偶然だが電車で席を譲るというネタをやっている。


「わたしらも長いこと漫才やってますね」
「そう、もう2000年もやってます」
漫才、生で見ておきたかった。