2011/3/1 与那嶺要氏 逝く

  

1974年(昭和49年)秋を思い出します。
僕は高校2年でした。
最後の最後まで巨人と争ったペナントレース。
最終戦はvs巨人@後楽園、歴戦の強者が手ぐすね引いて待っていた。
前日は大洋ホエールズとのダブルヘッダー、負けたら優勝の行方は後楽園決戦へ持ち越される。
10月12日、マウンドで雄叫びを上げた星野仙一。
巨人V9を止めた!
クラスの男子はそりゃあ大騒ぎでした。


与那嶺監督、感動をありがとうございました。
胴上げされた監督は49歳でした。
あの時16歳だった僕は当時の監督の年齢を5つも越えてしまいました。
お疲れ様です。
ウォーリーさん、常夏のハワイでやすらかにお眠り下さい。


板東英二の歌う「燃えよドラゴンズ」今でも歌えます。
この動画が僕のベースボール・グラフィティです。

巨人を破って優勝しからには、日本一だ!と僕らドラゴンズファンの鼻息は荒かった。
セリーグ優勝を決めた時、中日ファンは誰も村田兆司を知らなかった。木樽正明を知らなかった。


パリーグを制したのはロッテオリオンズだった。
2勝2敗で迎えた日本選手権第5戦、中日は木樽正明に完封負け。
続く第6戦、村田兆司に完投を許し連敗、ロッテオリオンズに日本一を奪われた。
本気で悔しかった。