ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2012/3/12 その街のこども

体調は少しだけマシになった。
今日から信州白馬あたりへスノウトレッキングへ出かける予定だったが取り止めにする。
身体の具合がこんな調子で自重した。
ヒロもあまり乗り気じゃないし、何より行くのをなかなか決断出来ないでいるうちに
冬山気分が萎えてしまったのだ。
年頭に景気よく“迷ったらGO宣言”なんてしたのに笛吹けど踊らずである。


まあいい。
朝はロードバイクで8キロほど走る。
芦屋浜『グラン・マルシェ』でバケットや五穀ロールなどの食事パンを買って帰る。
この輸入品スーパーの片隅で焼いているパンはフランス直輸入のグレインドールという冷凍もの。
昔、パリで買って食べたバケットはこんな感じだった、と遠い記憶が言う。
香櫨園浜の渡り鳥たちも少しずつ数が減っていく。


…夕方、ポートウェーブ西宮へ行く。
しばらく寝こんでいたので一週間ぶりになる。
陽が傾き、いい具合の夕景になりそうだったので海岸へ寄ってNikonのデジイチで写真を撮る。


モノリスの群れのから覗く落日。


夜は残り物を集めた卵雑炊。
『明石家電視台』にジミー大西が登場。
あいかわらずケタ違いのIQ(?)に爆笑する。




………NHKオンデマンドというサービスを初めて使う。
見たのは『その街のこども』という2010年に放送されたドラマ。
3日間見られて210円だった。
見逃した番組が一ヶ月いつでも見られて970円という見放題パックもある。
決して高いとは思わないけどNHKがうまいこと商売してると思うと若干の違和感が残る。


見ようと思ったのはブログ「特別な一日」でドラマの劇場版を去年のベストワンとして
紹介されていたのと、最近になって脚本が渡辺あやで、彼女が西宮出身だと知ったからだ。
http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20111230
そもそも震災を描いたドラマや映画を見るのは気が進まなかった。
特に1995年の震災は僕も被災者の一人だったし、きっと大げさなエピソードを並べて、
詰め合わせにしたお涙ちょうだい、そして最後は明るく未来へ歩き出そう、なんて
どこかの宗教団体か政党や自治体のプロパガンダ映画みたいだと勝手に思いこんでいた。
でも、このドラマは全然違っていた。


NHKオンデマンドのWEBページでこう紹介されている。


  平成22年(2010)1月16日、勇治と美夏は新神戸駅で偶然知り合います。
  2人は、それぞれ東京で暮らしていますが、誰にも言えない震災の記憶を抱えていました。  
  阪神淡路大震災15年目の朝を迎えるまでの神戸の一夜を舞台に、
  闇の中で「語れずにいた思い」が、不器用にあふれだします。
  脚本は映画「ジョゼと虎と魚たち」の渡辺あや。
  子どものころに震災を体験した俳優・森山未來(みらい)と佐藤江梨子が挑みます。


  


見始めて、これって佐々木昭一郎だ、と思った。
佐々木昭一郎は60年代から80年代前半、NHKで数々のドラマを撮った演出家。
従来のドラマとは一線を画したドキュメンタリータッチの演出は僕も感化された。
特に80年代の中尾幸世をヒロインに抜擢した海外ロケの作品群が好きだった。
『その街のこども』は佐々木作品を思わせるタッチで始まった。
手持ちのカメラ、ノーライト、レベル高めのタウンノイズ。
芝居していることを意識させないぶっきらぼうで独り言のような会話。
セリフを噛んでもカメラは止まらない。


冒頭からドラマは二人の会話のみで進行する。
ブログ「特別な一日」にドラマに流れている通奏低音が“違和感”であると書いている。
http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20110124/1295863351
二人の神戸弁の会話はどこか微妙にすれ違いわかり合えないまま時間は進んでいく。
おいおい、このままどこまでもこの調子かよ。
見ている僕らも違和感を抱えたまま落ち着かない。
三宮から御影まで歩くって?
画面はずっと深夜の光と闇。
フラストレーションを抱えながら見る者は二人の道行きを追っていくしかない。
もうタクシーに乗ろうよ。


ところが後半、二人の同調が始まる。
それはきわめて不器用に始まり不器用に終わる。
見ている僕らも違和感が消えていくのを不器用に自覚する。
彼女の「さぶいんで、はよ中入ってください」あたりからこみあげてくるものがあった。
そして二人が別れたあとに残る安堵に似た感情。
な、なんだ、このドラマは?


事実として犠牲者の分だけ悲劇があった。
このドラマは見る者を泣かせようとするための仕掛けはない。
(誤解を恐れずに言えば)見栄えのする、大向こう受けしそうな衝撃的なエピソードを芯にしたり、
その当事者を主人公には設定したりはしない。
これもまた不器用に(不器用なふりをして)さりげなく物語に織り込む。
派手なエピソードがないのは15年後の物語だから、ではない。
それが15年後のリアルな感情なのだと思う。


「特別な一日」でも指摘されているが渡辺あやの脚本は現実から“逃げていない”。
森山未来の一家を単なるかわいそうな被災者として設定しなかった。
いろんな人たちがあの震災の時代を生きた。
みんながいい人だったわけではない。
宮城の佐々木さんからのメールで仮設住宅の一部の人の暮らしぶりを知った。
テレビや新聞はそれを伝えない。
脚本に織り込まれた佐藤江梨子の友人一家の悲劇は実際に起きたことだ。
震災後、僕は家族で唯一生き残った(生き残ってしまった)父親のドキュメントをテレビで見た。
たしか灘区六甲道と新在家の間にあった小さなビルの倒壊。
父親はカメラに向かって人生の無情と不屈の決意を泣きながら叫ぶように話していたことを記憶する。
渡辺あやも同じドキュメンタリー番組を見たのだろうか。


森山未來も佐藤江梨子も実年齢で出演、子供の時に実際に震災を体験した。
サトエリは東京生まれだが神戸で育ったのだという。
実は、最初は彼女の神戸弁がちょっと気になった。
13年間神戸を離れていた、という設定なのでこれがリアルなのかな。
ドラマが進むにつれ自然になってくるのもこれまたリアル。
ヘタに達者でないところがいい。
森山未來は灘区出身、どこにでもいそうな彼は等身大でまったく言葉に違和感がなかった。


三宮から御影。
ロケ地が身近で背景が気になって仕方ない。
これJRの高架下、こっちは阪神沿線、このコンビニは岩屋あたり、と。
今月はじめに灘温泉へ行った。
その時、たまたま撮った写真がドラマのロケ場所だった。


阪神大石駅の下に流れる都賀川の遊歩道。
左がサトエリが佇むドラマの1シーン、右が温泉から帰るセルジオ。今月2日に撮影したもの。


水道筋商店街。
左が三宮の東遊園地へ向かって走り出す二人(遠いっちゅうねん)、右が賑わうアーケード。


温泉から上がって瓶ビールを飲んだ居酒屋『一色屋』
ドラマでは森山未來が店の前に停めてあった自転車を盗もうとする。



ドラマの目的地として登場する東遊園地。
あの日、震度7を六甲の山中で体験した僕は登山仲間といっしょに山を下りた。
海側が開けた高台から見た異様な風景。
幾筋もの煙が立ち上り、街は静まりかえり、埋め立て地は茶色に染まっていた。
筑紫哲也は温泉のようだと表現しバッシングされたが僕らもそう思った。
新神戸の歩道には砂が噴出し信号の灯が消えていた。
足を踏み入れた盛り場の東門街の惨状は凄まじかった。
マッチ箱のようなビルがいくつも前倒しになり道をふさいでいた。
見たところ建物の八割が倒壊していた。
「三宮壊滅やん」
今だったら大臣が辞任に追いこまれるようなことを言った。
報道写真で見た中東の街のようだった。
「市街戦の戦場やな」と仲間につぶやいた。
あれほど破壊された街を見たことがなかった。
なのに僕らは不思議と冷静で落ち着いていた。
まだ独身で家族もいなかったからだろうか。
JRと阪急の高架をくぐり東遊園地へ行った。
朝の9時頃だった。
あたりにはガスの臭いが漂っていた。
市役所が用意した公衆電話には人が殺到していた。
腹が減っていたのでキャンプ用のストーブでチキンラーメンを作って食べた。
ほどなく空から自衛隊のヘリが舞い降りてきた。
電車は動いていない。
自宅のある甲子園までの20キロをザックを担いで歩いた。
途中、いたるところでビルや住宅やアーケードが倒壊していた。
御影にあった七階建てくらいの公団住宅は途中の3階部分が完全につぶれていた。
そこについ数時間前まで誰かが眠っていたことが想像出来なかった。
あの時、若くて元気だった僕は何かをすべきだった。
つぶれて瓦礫の山になった家の前で立ちすくむ人を置き去りにして、僕は東へ歩いた。



《BACK TO 2011》
2011/3/12「何もできないけど」 http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110313/1299948056


仙台の叔母さんといまだ連絡がとれない。

青葉区なので津波の被害は受けていないとは思うが、地震や津波の時刻に出かけてたのではないかと心配だ。

伝言ダイヤル、ネット捜索、Twitterでの呼びかけなど出来る限りやっておく。

Twitterの返信で該当エリアは平穏であると知りちょっと安心した。

連絡がとれていない人は他にも大勢いる。

信じて待つしかない。


眼鏡堂さんの生まれ育った故郷が大打撃。

空襲を受けたあとのような惨状だ。

ラグビーマガジンを買った文真堂書店は大丈夫だろうか。

みんな生きててくれ、のツイートが悲壮だ。


深夜、最終電車で帰宅。

生きてること、水や食料があること、暖かい家があること、お風呂に入れることに感謝。