ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2012/11/26 フルマラソン完走記

また走りたいなあ、と思って5年前の日記を読み返す。
忘れもしない2007年4月15日、茨城県土浦のかすみがうらマラソン
初完走の一部始終を記録してます。
興味のある方はご一読下されば嬉しいです。
(要注意 もの凄く長いです)

   



フルマラソン初の完走!」 2007年4月15日の日記より


晴れ、5時半に目が覚め、6時半過ぎに起床。
朝風呂につかり準備にかかる。
昨日の夕方にウエアにナンバーカードを安全ピンで留め、
シューズにはチップを装着してある。
唯一にして無二の目標は、完走。
戦略は、前半を抑えてイーブンペースを守る、
周りのランナーに影響されずに自己計測でコントロールする。
30キロまで粘って同じペースで我慢する。
キロ6分30秒、その前後10秒を守る。
遅れても取り戻そうとしないこと。
30キロを3時間15分、
これでゴールは4時間34分16秒、時刻にして2時半過ぎにゴール。
30キロから遅れることを計算しても3時過ぎにはゴールする。


8:15  
チェックアウトし歩いてスタート会場へ。
暑からず、寒からず、風も無い。
僕ら素人ランナーにとっては絶好のコンディション。
14000人以上のランナーとスタッフ、ボランティア、
会場の土浦川口運動公園は文化祭のような盛り上がり。
大会プログラムをもらってウォーミングアップ会場の野球場へ入る。
田中美佐子がおったよ」と誰かの声。
プログラムを見ると、有森、中山、君原、喜多、ワキウリらも
盲人ランナーの伴走として参加するようだ。
かすみがうらマラソンは国際盲人マラソンも兼ねている。
杖をついた盲人ランナーも盲導犬や伴走者と一緒に続々と会場入りしている。


9:00
天然芝の野球場で軽くウォームアップジョグ。
距離にして1キロほど、僕らのような速く走れないランナーはこれくらいでいい。
スタートしてからがウォーミングアップみたいなもの、省エネに徹しよう。
残った時間は入念にストレッチ。


9:40
スタート20分前、デイパックを荷物預けに持っていく。
が、荷物預かりのテント前がもの凄いラッシュ…!
予想しないでもなかったが、まさかこれほどとは。
おまけにテントのある場所は常設のフェンスで囲まれていて、
入り口がボトルネックになっている
預ける人100人以上、預け終わってスタートへ向かう人100人以上、
出るランナーは入るランナーが鈴なりになって狭いボトルネックに集中する。
ちょっと危険だよ、これ。
10マイルレースのスタート1分前、とコールされる。
青いナンバーカードをつけた10マイルの選手たちが大慌て。
でも、まあそこは市民ランナー、まあ遅れてもいいさ、記録を狙うでも無し と開き直る。
僕はどうにかこうにか間に合う。
トイレもスタート5分前なのに長蛇の列、こういうのは経験しないとわからない。


タイムの自己申告でスタート位置を決める。
1万人規模のレースだから遅いランナーは遙か後方。
このマラソンは市民ランナーに親切な大会、
目標タイムごとにペースメーカーが走ってくれる。
3時間を切りたいランナー(いわゆるサブスリーですね)、
4時間以内で走りたいランナー、5時間以内で走りたいランナー、
5時間以内で走りたければキロ7分のペースでよい。
僕はここから走ることに決めた。
ペースメーカーの兄ちゃんはピンクのネコの風船をつけて走ってくれる。
キロ6分半のペースならピンクのネコの少し前を走るようにすればいいのだ。
   


10:00
天候:晴れ 
気温:14度
湿度:51%
東の風:3m


スタートの号砲が聞こえる。
だが、僕らの集団はまだ動き出さない。
ようそろ とあるいは ぞろぞろ と歩き始める感じ。
スタートゲートが見えてきたのが3分後、まだ歩きのペース。
   


10:05
ロスタイム5分弱、スタートゲートを通過し走り始める。
シューズにチップをつけているので個人タイムはここを0にしてスタート、
オフィシャルタイムとの差は出るがまあ僕らにはあんまり関係ない。


走り始めると同時にタイメックスのタイマーを押す。
続いてiPod Shuffleのプレイボタンを押す。
「タイスの瞑想曲」がゆっくりと始める。
道を埋め尽すランナー、たゆたうように流れる大河の如し。
みんなニコニコして気持ちよさそうに走る。


嬉しいことに1キロ毎に表示がある。
1キロ地点はJRを越える陸橋、登りの頂あたり。
キロ7分06秒。
遅いがこの集団の中では仕方がない。


いくつかある登り坂は早歩きでひたひたと登る。
ここでバネをきかせて腿や膝を使うと後半に響いてくる。
次の1キロは6分31秒、これでいい。
iPod平原綾香の「明日」、スローなBGMが続く。


交通規制で閉鎖された4車線の国道を走るのは悪い気分じゃない。
5キロを33分37秒、かなりのスローペース。
ここで初めての給水、これでいい。
このペースをキープできれば4時間半を切れる。


5キロから10キロ、まだまだ余裕がある。
キロ5分半くらいのペースでも行けそうな気分。
周りのランナーをごぼう抜きにしてみたい欲求と戦う。
ダメ、絶対にダメ、と理性が僕をたしなめる。


沿道の応援やパフォーマンスが面白い。
野球のユニフォームを着た小学生たちが歩道に並ぶ。
左手で順番にハイタッチしていく。
最後の子供と強めにパチンとやった瞬間…、
痛! 左肩が激痛が走る。
あたたたた、足が止まる。
ハイタッチで脱臼しそうになる。
五十肩だろうか、最近可動域が狭くなっていたのだ。
(「俺は門田か?」って知る人ぞ知る野球ネタです)
しばらく走ると痛みは消えた。
ほっと安堵する。


このクラスのランナーは何でもあり。
十人十色、百花繚乱、妖怪の百鬼夜行ハロウィーンか、
とにかく、こんなんで走れるの?という目立ちたがりランナー。
タイガーマスクが走る、サンタクロースが走る、仮面ライダーのショッカーが走る、
ロリータファッションがキティのぬいぐるみを抱いて走る。
さすが「下妻物語」の茨城。
深田恭子演じる桃子ファッションが3人ほど集団になって走っている。
まあ、僕と同じペースはこんなもんです。


感動編もある。
70代の盲人おばあちゃんを伴走するのは同年代のおばあちゃんランナー。
楽しそうに笑顔で走っているのだが、見ているだけで涙が出てくる。
背中に「フルマラソン完走1088回」と手書きのメッセージの爺さん、
「鉄人世界第2位」とある。
2位の2という数字も手書き
果たして順位が上がったのか、1位を誰かに奪われたのか?
知りたいところではある。
   


数多くの盲人ランナーが走る。
伴走は声で 道の状態、ペースを的確に指示しなければならない。
当然、自分の走力に余裕がなければ出来ない。
いつか、伴走が出来るランナーになりたい。


10キロ通過、1時間07分24秒。
給水をとる。日立の工場前のエイドステーションは充実している。
日立建機はこのレースのメインスポンサーだ。
トイレで小用、タイムを少しロスする。
この遅れでピンクのネコ(5時間ペースのラビット)に追いつかれる。
すぐに追い抜きペースを戻す。
まだ、余裕があるね。


15キロ通過、1時間39分48秒。
コース上で最後の上り坂がこの15キロ過ぎ。
ひたひたとゆっくり登る。
iPodは河島英吾の「生きてりゃいいさ」、登り坂に合う。
ときどき後ろ姿の素敵な女性ランナーがいる。
ストーカーして気を紛らわせる。
決して前は見ないようにする。(経験上、失望が多い)


それにしても人間というのはランニングフォームだけでも十人十色。
15キロを過ぎるとかなりバテてるランナーもいる。
平参平さんのようなカックン走りに 大丈夫だろうか と心配させられたり、
欽ちゃん走り?と笑わされる無茶苦茶なフォームもある。
僕と同じペースはこんなもんです。


20キロ通過、2時間15分20秒。
17キロ地点に関門があったが制限時間20分前に無事クリア。
じわじわと足に疲労がたまってくる。
足裏、脛、ひざ、腰 と下から順に疲れが浸透してくる感じ。


中間地点を通過。
ハーフマラソンは2時間3分で走ったことがあるが、今回は2時間20分以上かかる。
中間地点を越えたあたりでネコのペースメーカーに抜かれる。


中間点過ぎで国道からはずれ狭い田舎の住宅地を走る。
民家の庭にチューリップや芝桜、季節の花が咲く。
やがて霞ヶ浦の湖面が見える。周りは水田や蓮根畑だ。
ここからはひたすら西へ。


25キロ手前、
全身に乳酸がたまってくる。
身体が重い。
おまけに3時間近く走っているので腹が減る。
ガス欠の心配も出てきた。
いざとなれば沿道のコンビニに飛び込もう。


沿道の民家が私設のエイドステーションを設けている。
パーマ屋の前でバナナを配っていた。
思わず、「ください!」と手を出す。
後ろから大集団がこれを見つけバナナに群がる。
バナナは残り少ない。
地獄の餓鬼のように何人もの手が伸びる。
うわあ、ちょっと恥ずかしい と思いつつ手は引っ込めない。
半分に切ったバナナをもらう。
甘い、旨い、美味、バナナがこんなに美味しいとは。
甦った、ような気になる。


5時間以内で走るネコ風船のペースメーカーはすでに視界から消えた。
なあにが、ちょっと前を走れば大丈夫だ、だ?
ぶっちぎられてしまった。


これまで5時間制限のマラソンに2回出場した。
準備不足だった。
いずれも25キロの関門で制限時間遅れ、バスに収容された。
今回は6時間制限、まだ大丈夫。
だが、25キロを越え、キロ8分がやっとのスローペース。
立ち止まってストレッチや給水をするのでキロ10分を超えたりする。


もうペースが上がらない。
いくらあげようとしても身体が言うことを効かない。
ここからは我慢、耐久戦となる。
同じ我慢でも前半はペースをあげるのを我慢していた。
それとは攻守一転して、走り続けることに全力を尽くす。
どちらにしてもマラソンは我慢のレースだ。


30キロ手前、右太股の前に筋肉がビクっとわずかに痙攣する。
ヤバイ! 立ったままストレッチでなだめる。
30キロまで走ったら、座り込んでちゃんとストレッチしよう。


パンクした自転車に乗っているような感じ。
あるいは ぬかるみを自転車をこぐような感覚か。
頭ではいいペースで走ってるつもりでも、
実際には少しずつしか前に進まない。
もどかしい。


30キロ通過、3時間42分51秒。
座り込んで入念にストレッチ、時間を大きくロス。
残り12キロちょっと。
キロ10分のペースだったら120分だから2時間、
5時間42分、これ以上ペースが落ちるとヤバい。
少しでも 前に、前に と距離を稼ぐ。


山手に梨園がある。
白い可憐な花が咲く。
蓮畑で泥沼に船を浮かべ蓮根を収穫する農夫がいる。
デジカメで撮影しながら走る。
30キロ過ぎの自分の表情とかも撮ったりする。
何だ余裕あるやん、と思われるむきもあろうが、
スピードアップするエネルギーはもう無い。
撮影を口実に立ち止まり休んでいるに過ぎない。
下半身はすでに弱体化、無力化しているのだ。


1キロ1キロを尺取り虫のように進む。


茶髪に染めた35番の盲人ランナーが道の真ん中でうずくまっている。
疲労困憊、もう走れません、伴走者が肩を抱いて励ます、もう走れない。
前方に土浦の市街地、そして筑波山のシルエットが見える。


35キロ手前、数人のランナーが道ばたで座り込む。
手をあげて救護のワゴン車を止める。
周りのランナーもほとんど歩くようなスローペース。
道行きて、とぼとぼと進軍する。
敗残兵の群れにしか見えない。


35キロの看板が見えた瞬間だった。
イヤホンから「Sweet Caroline」が流れ出す。
気分を高揚させるようなイントロ、レースも終盤、野球なら8回裏だ。
顔を上げる。その先を見つめる。前を行くランナーにフォーカスを合わせる。


♪Where it began, I can't begin to know when
 But then I know it's growing strong


さあ、ラストスパート!


…というわけにはいきませんでしたな。 
そないにうまいこといきまへんでマラソンは、映画やないんやから。
ちょっとその気にさせられたに過ぎない。
35キロ通過、残り7.195キロ。
のろのろと変わらぬペースで行軍は続く。


残り5キロ地点を過ぎ、4時間50分。
完走はこのあたりで確信に変わる。
よっし、と気合いを入れるがスピードアップにはつながらない。
スパートの幻想はいいかげんに諦めろよ。
とぼとぼと走り続ける。


ラスト5キロ、午後遅くなると向かい風になる、と聞いていた。
幸いにも向かい風では無い。沿道の旗を見ると追い風のようだ。


40キロ通過、5時間22分42秒。
ネコのペースメーカーはとっくにゴールしているだろう。


残り2キロでスパート。
と言っても第三者が見ればジョギングしているに過ぎない。
それでも、周りのランナーはほとんどウォーキング状態なのでごぼう抜き。
30人くらいは抜いただろうか。


残り1キロ手前、バテる。
後ろから来たランナーに抜かれる。
え? ロリータファッションのコスプレをした女の子。
フリフリのレースの白いドレスを着てキティのぬいぐるみを抱えて走る。
あっと言う間に抜いていった。(抜かれた!)
本能は追えと言ってるのだが、理性と世間体が拒否する。
やめてくれよ、後が追いにくいじゃないか。


市街地に入る。
沿道の人が「みんな、よく頑張りました」と声をかける。
素直に胸にしみこむ言葉です。
残り500メートル、ゴール会場入り口のゲートが見えてきた。
茶髪の盲人ランナーと伴走者が僕に並ぶ。
35キロで道にうずくまって動けなかった35番だ。
甦ったのだ。
   


僕を抜き去りゲートをくぐる。
35番を追う。
ゴールは陸上トラックだ。
残り50メートルで35番を抜き返す。
そしてあっと言う間にフィニッシュ。
トラックを1周はなく、トラックに入ってすぐのホームストレッチがゴールだった。
実にあっけない。
   


振り向くと35番と伴走者がゴールイン。
握手に行こうか、と思った瞬間、二人は抱き合って泣き始めた。
そっとしておこう、と自分をデジカメで撮影。


フルマラソン初完走
5時間37分29秒(公式記録は41分47秒)
 
15:45
芝に座り込む。
みんな仲間同士で喜び合っている。
走り終えてみると正直こんなものか、と実感がない。
でも、2回失敗して3度目に完走出来た。
おまえは42.195キロを走り切ったんだよ。
そう思ったら、ちょっとだけ涙が出た。
ストレッチしながら一人喜びを噛みしめる。
     


常磐線の特急「フレッシュひたち」で帰路につく。
メールでヒロに完走を伝える、エビス缶ビールで祝杯。
ビールを飲みながら考える。


そもそもフルマラソン完走を目標に掲げたのは1996年、
2000年のオホーツクマラソンと2001年の西宮甲子園マラソンで途中失格、
(ちなみに両マラソンとも廃止になってしまった)
その後、糖尿病の入院を経て、3度目のフルマラソンだった。


村上春樹が書いている。


フルマラソンとは不思議な体験である。これを経験するとしないのとでは、
 人生そのものの色彩もいくぶん変わってしまうのではないかという気がする」
      (新潮文庫「村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた」より)


こんなことを書かれたら走ってみたくなる。
でも、この意味はわからないかったし、人生の色彩が変わるという実感はない。
ただ、もういちど走らなきゃな と思い始めてることだけは確か。
それは何故か? 村上春樹がこのあと書いている。


「…フルマラソンを走り終えると人は(少なくとも僕は)簡単に飲み込むことの出来ない
 “こだわり”のようなものを腹の中にがつんと残すことになる。
 うまく説明出来ないのだが、自分がついさっきまでぎりぎりのところで味わっていた
 この『苦しみのようなもの』とは、近いうちにもう一度対面して、
 それなりの落とし前をつけなくてはならないのだ、と感じてしまうのだ。
 『これはもう一度繰り返さなくてはならない、それももっとうまく繰り返される必要がある』 
 という風に。だからこそたぶん僕はそのたびにへとへと、くたくたになりながら、
 めげることなくあきらめることなく、かれこれ12年ものあいだしつこくフルマラソン
 走り続けているのだろう…もちろん落とし前なんてまだぜんぜんついてはいないけれど」


これはよくわかる。
村上氏よりも数段ダメランナー(5時間オーバー!)の僕でさえ、
たぶん同じ次元で同種の感情を共有しているという確かな実感がある。
42.195キロをもっと上手に感じとりたい、美味しく飲み干したい、
入念に準備すれば可能なんじゃないか、いや、絶対に挑む価値はある と。


村上春樹氏が100キロのウルトラマラソンを完走したときにこう言った。


「うん、ほんと、うれしかった。
 これはほかでは経験できないよね。
 結局ね、今は何か分からないけど、この気持を持っていれば、
 将来きっと何か役に立つだろうという、そういう気持がぐっと胸にくるんだけど
 …うまく説明できないな。
 説明しちゃうと薄っぺらくなっちゃう。
 感動だとか、感謝だとかさ。
 もちろん、それもあるんだけど言葉にしちゃいけないんじゃないかと。
 このまま、持っていると、後でじわじわ昆布のようにしみ出してくるみたいな」
               (99/6/1 雑誌「BRUTUS」より)


その通りでした。
感動もないことはないんだけれどそれだけではない。
それって一過性で泣いて終わってしまうけれど、長続きしそうな感じがある。
フルマラソンだけど僕も「将来きっと何かの役に立つだろう」と走り終えて思った。
50過ぎたおっさんが「将来役に立つ」と思うってのは
若い人は滑稽に思うかもしれない。
でも、その年齢のおっさんが そう思えた ということがいいなあと思うのです。


体力ではない、こういう精神力が自分にあるんだ、将来なにかの役にたつかもと50男が思う。
僕なんかは自由業で、今はたまたま 食べられる くらいにはうまくいっている。
でも当然、不安がないわけでもない。
だから どこまでなら耐えられるか をきまぐれに試してみたい気持だったのかも。
自分はもしかしたら我が儘なただのフリーターなのではないか、
会社勤めのハードシップには耐えられそうもない失格者なのではないか、という不安。 
フルマラソンを走ったからといって、耐えられるという証明にはなりはしない。 
ただ、ちょっと確かめたかっただけなのかもしれないですね。
フルマラソンというのは安直だが手強い代償行為なのかもしれない。



帰宅すると玄関に子犬やらクマやらが祝福のメッセージで迎えてくれた。
   
この夏は高地合宿だあ!、てか。