ぷよねこ減量日記 2009/5-2016/1

旧ぷよねこ減量日記です。2016年1月に新旧交代してます。

2013/2/11 今日も元気だ、血行がいいぜ!

2日目のニュースデスク。
帰宅がほぼ終電になる。
iPhoneアプリで見ると外気温が摂氏0度、冷蔵庫というより冷凍庫。
風が無いのは幸いだがきりきりと寒い。
細身でもないのに骨にしみる。
でも…中学生や高校生の頃はこのくらいの寒さは平気だったんだなあ。
セーターにペラペラのadidasのウインドブレーカーで、頬を紅く染めて走り回っていた。
血流が違うんだな。
熱い血液が体中をめぐっているからだ。
今や血管は老廃物で細くなり血液もどろどろで血流が悪い。
ちっとも温ったかくならねえや、ハッッッッックション!
若い頃はそんなことの有り難みはこれっぽっちもわからなかった。
「今日も元気だ。血行がよくてオレ幸せ!」なんて高校生は思わないよね。
人は失って初めて持っているものの価値を知るのだ。


    


…今朝4キロ(前後ジョグ併せ7キロ)を走った。
1キロごとのラップが、524、540、521、501で21分38 秒だった。
奇しくも4日前に走ったときも21分38 秒。
そのときのラップは、540、509、522、527
これが最初の壁か。
今月中に21分を切りたいな。
38秒短縮か。
1キロあたり9.5秒を削り出せ!  
これがけっこう骨なんです。
でも、どんなレベルでもトップランナーと同じ気分になれるとこがいいね。


…このページ素晴らしい。
順番に再生したら時代を超えたフィルムコンサートだ。
アストラッド・ジルベルトチェット・ベイカーの歌ってる映像は初めて見た。
全部聞いたら3時間以上になるのか。
http://japan.digitaldj-network.com/articles/9566.html



…「オリンピックは冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
東京五輪が7歳、メキシコが11歳、ミュンヘンが15歳、モントリオールが19歳、
モスクワが23歳、ロスが27歳、ソウルが31歳、バルセロナが35歳、
アトランタが39歳、シドニーが43歳、アテネが47歳、北京が51歳、
ロンドンが55歳…ということでリオは還暦手前。
選手として適齢期は僕の場合、モントリオールからソウルだった。
実際に現地へ行けたのは、長野(冬季)〜シドニーアテネ
        


こんなことをフェイスブックにアップしたら眼鏡堂氏よりコメントをもらう。


   9歳でモントリオール、失われたモスクワが中1。高2のロサンゼルスは盛り上がり、ソウルのベン・ジョンソンは大学3年、早大生協で見た。
   25歳のバルセロナはサラリーマン、29歳、ついに自腹でアトランタに渡る。33歳でシドニーも現地。
   37歳、アテネはなぜかスキップして嫁に『スポーツジャーナリストなのに何やってんだか』と叱られる。
   41歳、ついにクレンデンシャルを入手して北京に赴く。ロンドンは45歳。あと、何回行けるだろうか?


僕もコメントを返す。


   加藤沢男の床と君原健二のマラソン銀に心奪われた小6のメキシコ、
   高一のバイトは新聞配達、明け方のラジオで知ったミュンヘン田口青木の金メダル。モントリオールの白い妖精とロスの10点満点連発。
   31歳のソウルは南海の身売り騒動を取材していた記者時代、
   ルイスvsジョンソンは大阪球場近くの電気屋で見た。
   バルセロナ、岩崎の金メダルを見たのは出張先の高松のホテル、
   アトランタ、21歳野村の金は彼の実家の奈良の道場で目撃。
   41歳で迎えた長野はクロスカントリーの中継Dとして白馬スノーハープに2週間滞在した。
   シドニーでは体操中継、あん馬平均台を担当、アテネでは体操ニッポンの復活の瞬間を中継車のモニターで見た。
   オリンピックは人生のマイルストーン
   オリンピックは4年ごと、一里はおよそ4キロ、
   一里塚という喩えの方が合ってるかも。


   山田風太郎に「あと千回の晩飯」という著作があるが、
   僕にとっては「あと5回のオリンピック」かなあ。


   いや、冬季もあった。
   「あと10 回のオリンピック」だ。


オリンピックの思い出ならすらすら出てくる。
でも、僕が本当に好きだったのは高校生や大学生のモントリオールくらいまでかな。
プロが出たり開会式が派手になったり民放のワイドショーが大騒ぎするのは好きじゃない。
NHKの中継とアサヒグラフ、どこか遠い国の知らない街で開催されているオリンピックが好きだった。
冬季がいいね。
アルベールビルリレハンメルカルガリーサラエボインスブルックグルノーブル…。
あの頃はサッポロでさえも遠い北の街だった。
オリンピックは遠きにありて思うもの。
政治的社会的な理由とは別に、旧守派オリンピックファンとして2020年の日本開催には賛同しかねる、というのが本音。